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コンプレックスとトレードオフされるもの 「みんなちがって、みんなちがう」

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コンプレックス(劣等感)をバネに成功する。

美談である。

しかし、世の中そんな単純なものではない。コンプレックスをバネにするという状況で、失われているものはないのか。ないはずがない。

僕にとって、「それ」は単純な美談ではない。

そんな、誰も語らない美談の裏側。

美談を否定したいのではない。多様な視点について考えてみて欲しいだけである。

そもそも、僕はほとんどコンプレックスを持っていない。それはそれで非常に問題ではあるのだが、それはまた別のお話。

僕は、生まれつき頭が良く、イケメンで、身長も高く、などなど恵まれた才能(!?)によってコンプレックスを抱かなくなったのだろうか。もちろん、違う。一番大きかったのは、コンプレックスという概念がそもそも理解できなかったことであろうかと思う。生まれつき歯の噛み合わせが悪く吃音症で、かつ、あがり症でもあったため、対人関係に多少なりの苦手意識があったし、幼少期にコンプレックスで人格が捻れる可能性も、十分にあった。しかし、捻れることはなかった。

僕は、物心ついて以降、歯の噛み合わせだけでなく周囲の人間とまともに話が噛み合った記憶もない。心の底から親友だと思えるような人間にも出会わなかったし、心の底から尊敬できる師にも出会わなかった。とにかく、自分は異質だという意識だけをずっと持っていた。

コンプレックスをバネにするという行為は、自己防衛に近い反応であって、動機はかなりこじれている。純粋に何かを目指す行為ではなく、代償、埋め合わせ行為である。それが大きなエネルギーを産むことは事実なのだろう。しかし、いくら美談に見せかけても、コンプレックスは劣等感、つまり、「劣った」人間の感情である。だから、コンプレックスをバネにする行ないとは、劣った人間の代償行為であり、必然的に他人に対して優位に立つことを目指すものである。

だから、コンプレックスをバネにした成功者はたくさんいるが、コンプレックスをバネにした博愛主義者など存在しない。別に博愛主義者を肯定しているわけでもない(念の為)

僕を動かす原動力は劣等感ではない。疎外感である。より正確には「関係性の質」の自覚と言えば良いだろうか。もっと乱暴に言うなら、他人と自分の距離感、その「差」を熱力学的な駆動力に変えて動いている。余計わかりにくかったなら申し訳ない。

そもそも、僕は人を優劣で見ていない。正確には優劣という概念が理解できない。人には、一側面で測った能力の差異が、歴然として存在する。しかし、どの能力のどの程度をもって優劣を判断すれば良いのか、不器用な僕にはその基準がわからない。だから、僕は自分が他人より優っているとも劣っているとも感じないし、逆も然りである。僕にあるのは、優劣ではなく、人と人の関係性、類似性、つながりの「強弱」の概念だけだ。全ての価値は関係性の中にある。仏教ではこれを「空(くう)」というらしい。仏教の教義に特別詳しいわけではないので、原理主義的な突っ込みはご容赦いただきたい。

それにしても、何もかもを「相対」の中に融かしてしまう思考は、訓練(修行)なしには、なかなかできることではない。つまり、誰しもが持つ「優劣」という概念は、「相対」ではないということだ。優劣とは、一見、相対的な上下の「関係性」を指しているように思えるが、そうではない。「優劣」はベクトル量ではなく、絶対座標である。優劣を判断する際には、「原点」が、絶対的に既に選択されている。だから、劣等感を持つ者、優越感を持つ者、どちらも等しく座標系(価値観)に囚われていると言える。

劣等感を持つ者に、「劣等感をバネに成功しろ」とアドバイスをする。僕はそのスタンスは取らない。劣等感をバネにして、そこから生まれ得るものは優越感であり、優越感とは裏を返せば劣等感の他者への押し付けに過ぎないからだ。どちらも等しく、違いがない。

劣等感を持つことは「空」ではなく「無」である。僧侶でもない僕には説明が難しいが、誤解を覚悟してひとこと添えるなら、「無」は「有」でもある。認識(方法)が認識(対象)を分裂させる。「空」 は「空」である。認識に方法も対象もない。

みんなちがって、みんないい。これは「無」だ。

みんなちがって、みんなだめ。これも「無」だ。

みんなちがって、みんなちがう。これが「空」であろう。

いま挙げた例のうち、『みんなちがって、みんなちがう』というタイトルだけ、僕以外の人が使っているのを耳にしたことがない。他はよく聞く。いかに「相対感覚」がマイノリティであるかがわかる。

結局のところ、コンプレックスをバネにする者は、「良いか悪いか」という絶対座標軸から離れられないというわけだ。

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