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Think difficult ! part1「学力とは何か」【全文公開】

大学の入学試験では、受験者の学力が測られている。いったい、そもそも学力とは何なのだろうか。

こんなことは、指導に当たっている側の人間からしたら明らかなことなのだが、受験生の側からするとあまり意識していないであろう。学力の正体を意識してもらうため、ちょっと小難しい話を展開してみよう。

なお、学力を伸ばすための要因となる、素直さ、真面目さ、などの性格的な問題はいまは扱わない。純粋に学力それ自体の正体を明らかにする。

現状の入学試験において学力として測定されるのは、主に、記憶力と論理の運用能力(一般に言う思考力のこと)である。そして、そのどちらにも共通して必要なものがある。「抽象化」という過程だ。

ものを数多く記憶するには、記号による抽象化が欠かせない。「数多く」と言っている時点で、既に概念による抽象化が行われている。そして、記憶だけではなく、論理の運用にも記号を用いた論理体系や枠組みが必要不可欠だ。

そもそも言葉自体が抽象化の産物である。抽象化の能力こそが、人間を人間たらしめている最大の特徴であると言っても良い。その能力が学力と呼ばれるよくわからない力の根本である。

抽象化というのは、余計な要素をそぎ落として物事の「本質」だけを抽出することを指す。ついでに言うとそれに名前をつけることも重要なポイントになる。抽象化された「本質」をその名前という「概念」に着せ替える。そして、「本質」を着せられた「概念」という人形を用いて思考の風景を構築する。この一連の流れを実行する能力が学力の正体だ。

もちろん、いまこんなわかりにくい表現を選択しているのはわざとであるが、この時点で、どこまで読めているか、読者の理解度に差が出ているはずだ。それが真実なのだ。真実はいつも微笑みかけてくれるというのは幻想で、真実は厳しい。厳しいというより残酷だ。むしろ、現実の方が優しい。

いまから、もう少しわかりやすく書いてみよう。では、わかりやすく書くとはどういうことなのだろうか。端的に言えば、より具体的に(小さなパーツに分解して)書くということだ。そう、抽象的な概念を用いた表現を自分の頭の中で紐解いて展開し、意味を理解することが難しい人のために、より身近に感じられる事例と置換して表現に変更を加えるということだ。そう、変更を加えているのでこれは既に同じものではない。わかりやすく書かれたものを読むとはどういうことか。いわゆる「頭の良い人」が見ている風景の簡易版を観ることで「頭が良くなった」という錯覚を得ることを意味している。繰り返す。それは「錯覚」だ。それだけは肝に銘じておいて欲しい。

では、わかりやすいバージョンを書いてみよう。

僕のいまの活動に合わせて、数学の勉強に置き換えて話をする。例えば、青チャートという定番の問題集があるのだが、勉強法の一つとして、いまその問題の解答を丸暗記したとする。そして、その問題をそのままテストされたとすれば、丸暗記した解答を書けば当然満点をもらえるだろう。

数学の勉強法として、「(具体的な)解法暗記を繰り返せば、典型パターン問題は解けるようになる」というものがある。

はっきり言う。これは各個人が持つ「抽象化」の能力に大きく依存する。だから、青チャートの解法暗記というのは、万人に勧められる勉強法ではない。少なくとも、万人が無思慮に最初の段階で取るべき勉強法ではない。

「抽象化」という言葉の意味がわかりにくいだろうから、少し言い換えよう。例えば、いわゆる頭の良い生徒は青チャートの問題をどうやって解くのだろうか。そこにヒントがある。

頭の良い生徒は、たとえ繰り返し同じ問題を反復していたとしても、絶対に解答の記憶からスタートしない。必ず問題文を読むことから出発する。問題文を読み、条件を確認し、何が問われているのかを頭に入れる。これをしっかりした上で、自分が知っている解法で使えそうなものがあれば適用できるか検討し、あるいは丸っきり答えを覚えてしまっている場合は、どういう理由でどういう情報整理をすれば答えにたどり着くかを意識的に書き出す。

いわゆる勉強ができない生徒は、問題文を読んでいる途中の段階で、類題やその解法が頭をよぎると、その瞬間、その類題の方に意識が支配されてしまう。現実に目の前にある問題を解いているつもりでいながら、その実、記憶の中の問題を解いていたりする。暗記だけで数学を身につけようとする生徒が、いつまでも勉強ができないのは、こういうところに原因がある。問題のポイントや本質をピックアップして整理するということをせず、解答のストーリーを最初から最後まで丸ごと完全に一つのものとして認識してしまっていて、解法をポイントの集合体として見れていない。

頭の良い生徒は、解法のポイント、本質をピックアップして、いくつ注意すべきポイントがあるかチェックして要素に分解し、それぞれのポイントで気を付けるべきことを意識的に頭に入れる。そして、解法の流れ、このポイントからこのポイントへつながったのはなぜなのかということを意識して、つらつら書かれた長い解答を丸ごとではなく「ポイント1→ポイント2→ポイント3→答」のように流れだけをシンプルに記憶する。念の為補足するが、ポイントを数え上げて書き出しているわけではない。思考の結果として、自然とポイントが抽出されているということである。この、ポイントを抽出することが自力でできない生徒がいわゆる勉強ができない生徒の正体だ。

上の例は、数学の勉強という具体例で話したので、数学を勉強したことのある人なら、すんなり理解できたはずだ。しかし、逆に言えば数学を勉強したことのない人間にとっては、あまり助けにはならなかっただろう。具体的であるほど共感の可能性は狭まる。いずれにせよ、

「本質」を着せられた「概念」という人形を用いて思考の風景を構築する

と、先に僕がこれみよがしにわざとらしく表現したものが、上の例で丸ごと伝わったとは言えない。いま伝わったのは、結局のところ数学の勉強法でしかない。

具体的な説明とはそういうことだ。

では、抽象化能力を身に付けるにはどうすれば良いか。

理由を徹底的に言語化すること

これしかない。これができれば、間違いなく頭は良くなる。勉強もできるようになる。そして、「厳密な意味で」そうなるための唯一の方法だ。言語化とは一見具体的な行ないに思えるが、そうではない。言語化とは記号化であり抽象化である。そして、意識下の何もかもを言語化しようとした時、我々は普段意識しないありとあらゆる概念に説明を与えねばならなくなり、その過程で説明の折り合いをつけるため、抽象と具体の果てしない往復運動をする羽目になる。その中で間違いなく抽象化能力は底上げされる。

ただ、そんな小難しいことを言ってはいるが、本当のことを隠さずに言うと、頭の良い生徒は何もそこまで徹底した言語化などを意識するまでもなく、軽やかに概念の向こう側に行ってしまっている。つまり、残念ながら、こうした訓練によって真に頭の良い生徒と全く同じ風景を見ることはできない。それでも、これをやれば、少なくとも「受験」程度の範囲内では頭の良い生徒に追いつくことができる。だから、やるしかない。

たとえば、数学の模範解答を読むときには、全ての改行の理由を説明できるか確認する。ただの計算であれば、ただの計算の行として、それも言語化して意識する。

それを繰り返せば、理論上は大幅に抽象化の能力を高めることができるだろう。

本当は、記号論理学などをきちんと学べばもっと近道はある気もするが、高校生は習わないのだから仕方がない。

しかし、そのような地道な訓練を、一体どれほどこなせば良いのか。たとえば、受験には、事実上時間制限がある。何十年も浪人するわけにはいかない。だから、能力開発とそもそも受験に費やす時間、それぞれの限界を見極めて、時間の使い方を考える必要がある。

場合によっては、解法丸暗記で無理矢理頻出パターンを叩き込んでわけもわからず受験するということも、一応、一つの戦略にはなり得る。ただ、それは受験が終われば無に帰す。つまり、後で苦労する。

学力の真実と現実。できることなら、生徒には真実に到達してほしいと願うが、現実的には無理矢理ごまかさざるを得ないことも多い。

せめて知っておいて欲しい。抽象化の能力を開発することが、学力の最も応用性のある高め方であるということを。でき得る限り、そこに注力してほしい。そして、それが難しいという自分の限界を知ったとき、絶望してはいけない。いわゆる受験テクニック、(志望校の)頻出問題の丸暗記に逃げることで、少しでも合格の可能性を高め、諦めずチャレンジすること。そこにも、一応可能性はある。もしも、それで合格することができたなら、それはそれで、能力開発を後回しにすることができるということだ。入ってしまえばこっちのものと思えるのなら、後回しにしたツケは大学に入ってからじっくり時間をかけて払えば良い。足りない能力を分割払いにするということである。

もっとも、それでどの程度利子がつくのか。そこまでは、僕は責任を持たない。


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