スポーツで勝てる「良い部品」を育てるのが良いコーチングなのか

最近、勝利史上主義🏆だった以前の流れから日本のスポーツ界が「それは違うよね」となっていると思っています。

私は、それに大賛成なのですが反対論者もおられます。

日本のスポーツが弱くなったらどうするんだ!
私の県は伝統的に強いんだぞ!
勝つ喜びを〜とか

そういう声もありますが、全部それを手にしたい側の煩悩だと思います。選手がそれを言ってるなら分かりますが、大体言ってるのは大人です。

そこからしてコーチという言葉の意味を良く理解してないと思うんですけどね。



大前提として

スポーツが弱くなっても人は死にません
。スポーツのレベルが低くても、スポーツをしている人は楽しいです。

要は娯楽です。テレビゲームをしているのとなんら変わりません。



これに抵抗がある人もいると思いますが、よく考えて見てください。何のためにスポーツしてるのかって人それぞれのはずです。

ゲームだったのがeスポーツと発展して、テレビゲームで飯を食いたい!という人出てくる。そういう人はそうすればいい。

だけど、プロになりたいほどではないけど、上手くなりたい!とかあの人のあの技術すごい!とか言って楽しむ。

すげ〜なーとか言って、自分は他に好きなことがあるから両立する。


それがスポーツの世界だと、「プロになれる人が凄い」とか「優勝するチームは何が違うのか?」とかそういう事が言われる。
週3の部活は許されないわけです。努力してないダメなチームと言われるわけです。

言いたいのは、
目指したい人は目指せばいいけど、そうでない人まで巻き込みすぎじゃない?ってことです。


別に家でみんなと楽しくゲームできてれば良い人もいるじゃないですか。
それをなんで一括りにして大会をして順位付けするのよく分からない。


そんで例えば

スポーツの楽しみ方って、相手に勝つために努力する以外でも沢山あるんですよ。ってことも

マラソンは一般の人が走りますが、楽しいです。

自分の目標を超えていく過程が楽しいのです。

自分に勝つために努力したりとか、マラソンで練習してるときに知り合った人と共に頑張るとかね。

そしたら、今度は運営もしてみんなを楽しくサポートしたい!って人も出てきますよね。

マラソン大会が勝ちだけにこだわっていたら、もっと殺伐としているはずです。

これは市民ランナーも含めた大会だからなんかズレてるじゃん!という話ではなくて、楽しみ方って沢山あるよねーってことを言いたいんですね。相手に勝つ以外に‼️

私はスポーツ全般がそのように、自分の目標を超える為に楽しむものになったほうが良くなると思っています。

私の大前提として、
人生は楽しむもの。その中で行われるスポーツも楽しむもの。だと思っています。

仕事においてもそうですね。楽しく仕事をするのが良いですよね。

ですが、成功者という言葉があるようにこの世の中では人の上に立つことがすごい事だと思う、人間ならではの煩悩があります。

相対的な価値観ですね。人より優れているとか。

私はこれからの社会は、自分ならではの主観的な価値観を持つべきだと思っています。

自分がどのくらい成長するのが楽しい!とか
大会で他のチームの仲間が頑張っているのを応援するのが楽しい!とか

審判をしてて、前よりも上手くなった!とか

そういう沢山の楽しみ方があるわけです。



それをスポーツ指導者は「試合に勝つチーム選手が素晴らしいし楽しい」という価値観しか教えないのは寂しい世界ではないでしょうか?

そんで、あの有名高校に行った!スポーツ推薦で行ったあの人はすごい!となるのはわかります。

でも、私は行った先でそのスポーツしか出来ない苦しさと引き換えているということをみんな知らないのかなと思います。
私は体育大学にいて、沢山推薦で入る人を見てますがそれはそれで苦しそうではあります。

多くの期待を背負っている分、ある程度人生を犠牲にしているんですね。

「やっぱスポーツじゃなくて、バンドしたい!」

とか言い出せば周りに何を言われるかわからない。

スポーツ指導者もそのように育てているから、スポーツで勝つよい部品でなくなったら残念がるわけですね。その人の人生ということを忘れて。(全ての指導者ではなく、勝利史上主義の指導者です)

なんて寂しい世界だと思いませんか。

勝利にこだわると、このような事が起こるわけです。

まぁこの例えは極端ですけど、多くの人が金メダルを取れる選手が引退すると残念がりますよね。

まだ出来たんじゃないかとかね。
それが部品でしか見てないって事だと思います。

全てそう見てるということではありませんが、ついそう思ってしまうのが人間です。

いい選手である事が、その人の幸せに直結するわけではないことに気付く事です。

人は、自分の幸せのあり方を自分で決めれるという当たり前のことを言いたいんです。

部品という表現はそれをすることに意味があるという盲目的な考え方を揶揄した表現です。

だから、私は勝ちをまず手放しなさいと思います。その意味で、今の日本の勝利史上主義からの脱却運動はもっと進めるべきだと思います。

極端に進めて、勝利史上主義が良い!ってなったら戻ったらいい。それがスポーツをする人の幸福であるなら。


若い世代や普通に学生でスポーツをしている人に過度にスポーツで結果を出せる部品になるように、それが素晴らしいということを伝えすぎないことも指導者の責任だと思ってます。

脳科学者の中野信子さんが「人間は遊びが尊い」と言っていました。
部品になることは誰でもできるわけですが、遊びこそ尊いと。

今は、遊びをしているとだらしない!となるわけですね。部品となるのが素晴らしいと思っている人の思考だと思います。
英語がペラペラで、勉強も出来て、良く働くビジネスマンが賞賛される。
その人も確かに凄いけど、それだけが価値観じゃないよね。ということですね。


私は日本がモノで豊かになり、次は精神で豊かになりたいと思っている人が多いんじゃないかと思います。

そうするためにも、多様な楽しみ方、人生の生き方

を教える指導者が必要じゃないでしょうか?

勝ちを目指してきた人には教えられません。そういった意味で、良い指導者って何?という事が議論されてもいいんじゃないかと思います。

言いたい事がズレたり、表現が過ぎるところもありますが
「伝われ〜」と願ってます笑😂


ではまた😊


(子供はただスポーツを頑張り、大人はそれを横で見守り、楽しむこれが本質だと思うてます)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?