朽木祥「引き出しの中の家」
この本を読んで、以前記事に書いたこちらの物語を思い出しました。
主人公の女の子(この物語は二世代に渡り、2人の女の子が出てきます)が、最初は気に入りの人形のために、引き出しの中にかわいいおうちを作るところなど、そっくりな感じがしました。
古今東西、女の子というのは家の間取りや家具を考えるのが好きかもしれないですね。
私も子供の頃、新聞の広告の間取り図を見るのが大好きでしたし、自分で間取りや家具の位置を絵に描いてました。
そしてこの物語では、女の子が花の精(花明り)と出会い、交流を重ねて成長していく様が描かれているのですが、
私が惹かれたのは、家やお料理や人物の描写が細かく描かれていていることも、ですが、目に見えないものの命に対する感受性てす。
物語の中で花明りは10センチくらいの人間と同じ姿をした小さな精霊です。
この精霊がいるところでは、花が美しく咲いたり、植物が生き生きとしたりします。
そして、明かりというだけあって、この精霊がいる植物は輝いて見えたり、よい香りがしたりします。
現実世界でも、精霊がいて、植物の成長を促したり守ったりしているのではないか、と思うことがありませんか?
縄文の土偶などは、その精霊をかたどったものという説もあるようです。
人は大なり小なり子供のころはその精霊みたいなものの近くにいて、見えないものと交信したり、お人形とおしゃべりしていたりするのかもしれません。
また、あちらの世界に旅立つ日が近い老年期の方も子供のような感受性をお持ちのような気もします。
実際、この物語でも、主人公の女の子の味方になっているのは、おばあちゃんです。
最近、絵本や児童書を読んでいるのですが、ファンタジーが人間にとって必要なもの、という印象を強く受けるようになりました。
おとなになるにつれて、そういう感受性を捨ててしまったり、否定されて嫌いになったりしている人は多いと思います。
かつての私もファンタジーには全く食指が動かされませんでした。
しかし、村上春樹さんや吉本ばななさん、梨木香歩さんの小説を読んでいると、そういう不思議な存在の話がでてきて、知らない間に癒されている自分がいるのです。
また、最近絵本を作るサークルのようなものに入っているのもあり、改めてファンタジーの素晴らしさを感じています。
目に見えないものにたいする感受性。
魂も目に見えないものですが、確実に存在しているものです。
それを、疑似的に創作物で表しているのがファンタジーなのかもしれません。
児童書や絵本は、もしかしたら、私たちの魂に一番響くものなのかもしれませんね。
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