人は誰もが誰かの複製
YouTuberのモーニングルーティンを見るのが好きだ。
(この人俺と同じことしてるな。)
(あれ?俺はこれはやってない。俺もやってみよう。)
なんて思って見ている。
気を張って動画を見ているわけではないけれど、無意識のうちに気になった人や憧れの人の行動を真似しようとしてる自分がいた。
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私には持論がある。
それは、
「誰もが誰かの複製である」ということだ。
そもそも誰も参考にしていない。全てがオリジナルだ。なんてことは不可能だと思っている。
何かがオリジナル。はあっても、全てがオリジナルは無理だ。
大前提として、
人は見聞きした言葉でしか、話せない。
人は食べたものでしか、排泄できない。
人は自分が優しくされた方法でしか、優しくできない。
人は人から受けた愛しか、人に愛を与えられない
私の好きな作家Fさんもそう言っていた。
だとすれば、
嫌なことをする人は、嫌なことをする人の周りで育ってきた。
ポジティブな人は、ポジティブな言葉に囲まれて生きてきた。
と、考えることもできるな。
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全てがオリジナル、唯一無二のなにか、なんて崇高なものはこの世に存在しない。
そう思ったのは高校の頃。ある人の一言だった。
「俺は誰の服装も参考にしない。ダサいのは嫌いだ。」と。
これ、何か違和感を感じた。
ダサいの反対はカッコいいとするならば、その2つは既に相対評価で成り立っている。
ダサいと思う何かがあるから、カッコいいと思う。
カッコいいと思う何かがあるから、ダサいと思う。
ならば、ダサいの裏には必ず比較がある。
カッコ良いと思える何かを少なからず参考にしているはずだ。
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模倣は正義だ。
Appleのスティーブ・ジョブズですら、側近の人間から「彼は人のアイデアを盗む天才だ」と言われていた。
これは芸術家の池田満寿夫氏の言葉だ。
ともすれば、高校時代のチームメイトのプレースタイルがNBAのラッセル・ウェストブルックに似ていたのも、彼がウェストブルックの動画をよく見ていたからという理由にも繋がる。
レバンガ北海道の山口選手の魅力であるプレーの多彩さは、彼の色んなバスケットボールの試合を観るという習慣によって生まれたのだろう。
コービー・ブライアントだってマイケル・ジョーダンを熱心に研究していた。
人は誰もが誰かの複製。
だったら
「自分で1から考える」
よりも
「模倣の天才」
になったほうが生き易い気がする。
仕事ができる人がいるならば、その人の良いところを盗む。
プレーが上手な人がいれば、その人の良いところを盗む。
恥ずかしがらずに憧れた人の意見を取り入れ、自分に落とし込む。良いと思ったらすぐにその考えや技術を盗む。
それでも合わないならすぐ取り替えればいい。
それをセコいだとか、卑怯だとか、小さいレベルでみるのは絶対勿体ない。
誰かの複製を重ねて重ねて、ようやく『その人らしさ』が完成するんだと思う。
憧れの人や目標の人のモノマネをしまくったらその人になれるかな、、、なんて。
一生懸命、マネして生きていこう。
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