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佃煮屋から唯一無二のレトルトメーカーへ。創業70周年 にしき食品のあゆみ

株式会社にしき食品(以下、にしき食品)は、レトルト食品のOEM製造と自社ブランド「NISHIKIYA KITCHEN」の製造・販売を行っています。2022年3月19日をもちまして設立70周年を迎えました。

現在はレトルト食品の製造・販売をメイン事業としていますが、実は70年前の設立当時は、宮城県仙台市で佃煮製造業を行っていました。佃煮製造業からスタートしたにしき食品が、なぜレトルト製造業を行うことになったのか、なぜ現在の「素材にこだわる」味づくりを行うことになったのか、にしき食品の70年の歴史と共に現在のスタイルに至るまでの背景や想いをお伝えします。

にしき食品企業サイト:https://www.nishiki-shokuhin.jp/

NISHIKIYA KITCHENオンラインショップ:https://nishikiya-shop.com/


佃煮からレトルト食品へ

創業者の西木寛一は、日中戦争の真っただ中の1939年に「食べ物商売に食いっぱぐれなし」として始めたのが佃煮製造業でした。その後1952年3月19日に西木食品製造株式会社としてにしき食品は設立しました。

その後も佃煮製造業を続けていましたが、1970年代に入ると世の中は、「塩辛い」「甘すぎる」食品が避けれらる時代となっており、二代目社長・西木睦雄も佃煮製造業の未来に危機を感じはじめます。そのころ世の中では、1968年に世界初一般向けレトルト食品が販売され、大ヒットしていました。二代目社長は、減塩・減糖した佃煮は日持ちがしなくなるため、新たな殺菌技術であるレトルト殺菌に目をつけました。そのような背景もあり、ついに1975年レトルト殺菌装置の導入を決めました。その装置を販売していたのが、当時大手印刷会社に勤めていた、現会長兼社長の菊地洋(きくち ひろし)です。

レトルト殺菌装置を導入したものの、今まで佃煮製造をしていたにしき食品にはレトルト食品を開発する技術がなく、思うように売り上げが伸びず経営危機に陥ります。当時レトルト殺菌装置を販売していた菊池は、「どうにかしてほしい」と2代目社長に懇願され、1981年ににしき食品に入社しました。

菊池が入社したあと、まず最初に取り組んだのは業務用レトルト食品の製造でした。小売用は大手メーカーが独占していたため、小ロットで作れる業務用商品を作り、顧客それぞれの要望に合わせて味を作っていきました。その戦略が功を奏し、業務用レトルトで売り上げを順調に伸ばしていきましたが、市場規模が大きくなるにつれて、大手メーカーが参入し、次第に価格競争が激しくなりました。にしき食品も価格を下げることを求められましたが、価格を下げれば商品の味づくりにも影響が出てしまいます。しかし、価格を下げることだけを求められ、素材の重要性は理解されませんでした。

味づくりへのこだわり~きっかけはタイマーさんのひとことから~

にしき食品が素材にこだわり始めたのは1980年代半ば、大手お弁当メーカーのカレーに採用され、製造量が増え岩沼第1工場が完成した頃のことです。そのきっかけになったのは、あるタイマーさんの一言でした。

ある日、菊池が食堂に行くとお昼ごはんを食べていたタイマーさんたちが水筒を持参していました。「どうして会社の水が飲めるのに、わざわざ水を持参しているのか」と尋ねると、パートさんは「ここの水はカルキ臭くて飲めない」と答えたのです。従業員が飲めないような水でおいしい商品は作れないと思い、そこからさまざまな浄水器を試しました。その結果、現在は蔵王山系と甲子旭岳を水源とする水を丁寧に濾過して使用しています。水を変えたことがきっかけで、他の素材にもこだわりはじめ、塩や砂糖、油など基本の食材から見直していきました。そこが、現在の化学調味料・香料・着色料不使用の味づくりへと繋がっていきます。

現地の味を学ぶインド研修

素材にこだわった味づくりが次第に評価され、小売用商品のPBブランドの開発の話もいただくようになりました。味づくりへの想いは次第に強くなり、2010年、「カレーの本場・インドのカレーを学ばずして本当のカレーは作れない」と一大決心をし、インドに研修に行くことにしました。

※インド研修での料理教室の風景

特別選抜チームでインドに向かい、現地の有名店から家庭料理を作る料理教室などに通い、スパイスやカレーを学びました。その後も10年間、商品開発部をメインに毎年1回から2回北から南までインドの研修を行っています。※コロナ禍のため現在休止中

ないなら作る~生のカレーリーフ~

「カレーリーフ」は、インドではスパイスとして用いられ、特に南インドのカレーには欠かせないものでした。日本で広く流通しているカレーリーフはそのほとんどが乾燥している状態のもので、インドで味わった、爽やかな香りはフレッシュなカレーリーフでなければ出すことが出来ませんでした。

「ないなら作ってしまおう」と考え、地元の農家さんを何軒も周り、やっと、蔵王の農家さんに栽培していただけることになりました。

農家さんと約3年の歳月をかけて栽培・生産体制を整え、安定した量のカレーリーフを育てることに成功しました。

順調に見えた道のりも2011年に途絶えかけた

2011年3月11日、東日本大震災で海岸からわずか4㎞にある本社・工場が津波に襲われ大きな被害をうけました。

菊池は「あの頃、業務用しかやっていなかったら会社は潰れていたと思います。」と語ります。素材にこだわり味づくりを追求した結果、私たちにしか作れない唯一無二のレトルトであったために、取引先は商品供給を開始するまで待っていてくれました。

菊池は岩沼市長に掛け合い、震災から25日後には水道・電気・ガスのライフラインは復旧し、社員も全員無事であったこともあり、45日後には製造を再開することができました。

自社ブランド「にしきや」の誕生

震災から1年後の2012年自社ブランド「にしきや」の展開に乗り出しました。自社ブランドをつくることで、今ある開発技術をもっと高め、それをさらに新しい商品づくりに生かすことが狙いでした。

2012年2月に本社工場敷地内に「にしきや本店」をオープンしました。その後も東京・自由が丘店や宮城県内に3店舗展開し、2022年6月17日にオープンする東京ミッドタウン店で5店舗目となります。

「にしきや」から「NISHIKIYAKITCHEN」へ

『にしきや』は2021年に『NISHIKIYA KITCHEN』へと生まれ変わりました。2020年は自粛生活を余儀なくされ、おうち時間が増えると共にレトルト食品の需要も増加し、その価値観も大きく変わってきました。にしきやのブランド立ち上げから約10年、生活様式が変わり、改めてブランドの使命を見つめなおしたことがきっかけです。パッケージもすべて一新し、新たなスタートを切りました。

にしき食品のこれから

リブランド後、コロナ禍での巣ごもり需要も後押しとなり、にしき食品全体の売り上げが伸長しました。生産量増加に対応するため、新工場を建設中です。

長期的には直営部門を拡大し、NISHIKIYA KITCHENの売上比率を高めたいと考えています。

"世界の料理を「カンタン」に"の想いでこれからもモノづくりを続けてまいります。

そして、にしき食品やNISHIKIYA KITCHENを知らない人に知っていただき、ファンになっていただけるようになることが最大の目標です。


【会社概要】

会社名:株式会社にしき食品

所在地:〒989-2421 宮城県岩沼市下野郷字新関迎265番地の1

代表者:代表取締役 菊池 洋

設立:1952年3月

事業内容:レトルト食品の製造・販売

資本金:3000万円


<NISHIKIYA KITCEHNについて>

2021年3月に「にしきや」からリブランド

"世界の料理を「カンタン」に。"というコンセプトで、カレー、スープ、パスタソース、幼児食など、約100種類のレトルト食品を取り揃えた専門ブランドです。

2022年8月現在は、宮城県に4店舗・東京都に2店舗直営店を構え、自社のオンラインショップでも販売を行っています。

プロフィール

菊池洋(きくち ひろし)

代表取締役会長兼社長

1949年生まれ。山形大学工学部卒業。

1973年凸版印刷株式会社入社。

1981年株式会社西木食品入社。

1991年代表取締役社長に就任。

2012年会社名を株式会社にしき食品と変更。

2016年より現職。

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