未来を予言するSF作品…実は予言じゃなく具体的要求仕様なので当たり前なのです。(でも時々凄いのがある)
タイトル画像:渋谷の交差点、色味が派手で未来の街のような写真
SF作品。サイエンス・フィクション。
科学的な考察を入れて書かれたフィクション作品、というジャンルです。
時々、過去の作品で「現代社会を予言してる!」と言われるような作品が話題になります。
でも、よく考えればそれって当たり前のような。
とは言え、それを超えた「予言」と呼ばれるような作品もあります。
そんな事を記事にしてみます。
こんなものが欲しい!というのを発明する
テクノロジーの発展を見れば、明らかな考え方です。
人間は、欲しくもないもの、のために時間をかけて何かをしたりしません。もちろん、時々本当に偶然の発見などもありますけど。
そもそもの動機が強烈にあって、それに対して切磋琢磨して技術を発展させて発明をする。
例えば、
・燃料補給不要のランプが欲しいな
・馬を繋がなくても走る馬車が欲しい
・空を飛びたい
・品質が悪くならない食品の保存したい
・月に行ってみたい
・家の中でいつでも水が出てきたらいいな
・離れた人と会話ができないかな
など、今ある商品やサービスは、多くの人が便利に幸せになる(と信じている)欲求が、推進のエネルギーとなり、現在の形になってきたもの。
それらがなかった時代を想像しながらもう一度上の例を見てください。
画像:馬車のイラスト
魔法でもなければ実現しなさそうですよね。
繰り返しになりますが、人間はわざわざ欲しくもないものを発明しようとしたり、そもそも思い付いたりしないのです。
その欲求に対して、実際の開発では「要求仕様」を作ります。こういうことを実現したい、というのを手順や効果をなるべく分かりやすく書く。それに沿って開発していきます。
SF作品では、そこが割ときっちり描かれることが多い。
SFの文学や映像作品に出てくること
元々「空想」が許されているジャンル。それを読んで「現実的ではない」などの批判は普通に出てきません。
そこでは、欲しいもの、理想とするもの、行きすぎたらこんな風になるという自分理論を自由に展開できます。
その「欲しいもの」は比較的読者みんなが「あったらいいな」というものになります。つまり、世の中の「欲しいもの」であり、開発者が「実現したら儲かるかな」と思えるもの。
これは、技術の発展などによりいつか実現することがあります。だって便利で、欲しいものですから。
だから、その時からの未来を描いた過去作品には「あたかも未来のサービスを予見したものが多い」というものが多いわけです。
言ってみれば「ボクの考える格好いい未来」という絵。その中のアイディアを、その子が成長しながら追求して行って、いつか実現してしまうかもしれません。
そうするとその時の絵は「未来を予言した」ように見えるのです。
どんなものが「予言」されていたか?
ものすごい数の例がここから。
①人工知能の反乱、iPad?
「2001年宇宙の旅」(1968)
原作のアーサー・C・クラークというSF小説のレジェンドが原作、スタンリー・キューブリックが映画化したザ・シリアスSFの金字塔。
画像:ワーナーブラザーズのWEBにあった画像
この中には、
・地球以外の星への到達
・人工知能の人間への反乱
・どう見てもiPad
・回転体を使った人工重力
などが出てきます…まで書いて気が付いた!まだ「反乱」は起こってないか。銀行のコンピュータシステムが反乱じゃないことを祈ってます。
また、それだけで無く、その頃のインタビューでは、
・インターネット(言葉はなかったけど)
・パーソナルコンピュータで個人情報管理
なども語られてます。
でも、まだ達成されてないものも。
・月面に居住
・木星への有人飛行
・地球以外の文明体の遺物の発見
・人工冬眠
などはまだまだですね。
予言例、面白いからもう少し
他の作品でもたくさん。個人的に面白いのでもう少し例を出してみましょう。簡単に。
①ドローン
・砂の惑星(1965)(小説)
②VR+ゴーグル
・ピグマリオン劇場(1935)
③スマートウォッチ
・ディック・トレーシー(1946)
④自動車の自立走行
・アイザック・アシモフ(SF作家の大家)インタビュー(1946)
⑤クレジットカード
・顧みれば(1888!)
⑥ビデオチャット
・In the Year 2889(1889)
⑦ビデオ・オン・デマンド
・Stand no Zanzibar(1969)
いやー、もうなんと言いますか。こんなもんじゃなく、もっとたくさんの実例は出せます。
作品があったから生まれた?技術屋を舐めるな
作家の想像が素晴らしいのは間違いありません。ただ、その素晴らしさを表現するのに
「作家がこれを書かなければ生まれなかった」
という表現を見ることがありますが、研究者や技術屋を舐めすぎてますね。
画像:科学者のイラスト
作家の着想は素晴らしい。でも、何かを産み出す職業にある人の創造性は、作家と同じくらい素晴らしい。
そして、その道の専門家であれば、その分野の未来妄想は作家の比じゃない精密さで考えられているはずです。なぜなら、それが職業だから。
それを小説の形で出版してないだけです。
やっと本題。今までの例を超える「まさに予言」の作品
さて、なんと!ここまで前振りです。
発明品は産まれるべくして産まれた。だから、予言に見えるけど、予言ではなく「願望」、と書きたいわけですが、それを超える作品があるのです。
しかも日本に。
かなり話題になったので「はいはいアレですね」と思い浮かぶ人は多いでしょう。
AKIRA
です。大友克洋のSFコミック。映画にもなり、さらに日本のコンテンツとして、キワモノではなくしっかり国際的にも評価された作品。
こちらでは、1982年に連載が始まり、描かれてる未来は2019年、つまり一昨年です。
そこではっきりと表現されているのが、
「2020年東京オリンピック」
です。
ピッタリ年度が合ってるだけでなく、オリンピック反対派がいることなども含め、現代の予言として見たくなる点はよくできてます。
画像:「東京オリンピック開催予告看板に、『中止だ中止!』」と落書きされてるシーン。4Kリマスター版発売CMの画像
他にもこの作品ではWHOが日本の伝染病対策に苦言を呈する表現などもあり、第三次世界大戦の話もあり、なんなの見てきたの?みたいなネット界隈の反応もあったり。
ガジェット系では、バイクは化石燃料をそのまま燃やして走るのではなく、電気に変換して動いてたりもします。
種明かしをすれば、大友氏のインタビューにあるように、AKIRAは昭和の大友氏の体験を描いたもの。令和の日本は、技術を除いて昭和から一つも進歩してない、という情けない状態なわけです。
東京オリンピック開催年に関しても、戦後何年目で最初の東京オリンピック、というのを、作中の戦争終結後、同じ年数を足したらたまたまそうなったようで。でも、驚きますよね。
他の作品でもこういうのはある?
小松左京著「復活の日」(1964)は、ウィルスにより世界が壊滅的な打撃を受ける世界を描いています。そこでは、ウィルスの蔓延に伴う社会混乱が、ほぼ現代に起こってるそのままで表現。
もちろんたくさん合って、少し暗い未来を描いたものだとこちら。
画像:マイノリティリポートのNetflixのページキャプチャ画像
下のリンク:マイノリティリポートのWikipediaページ
犯罪を予測してあらかじめ逮捕、という未来を描いた作品。中で使われてるガジェット系の描写も、「あったらいいな」がたくさんあって、次の予言映画になる予感がします。
ちなみに、Netflixは、閲覧した作品情報の傾向からおすすめが出ますが、もう、未来を描いた作品がたくさんあるのが分かります。
画像:Netflixでマイノリティリポートを見た人向けに提示される他のおすすめ作品のサムネイル。未来ものが山のように!
他にも、社会派SFといった、世界の政治的な事を描いた作品で、管理社会への批判、行きすぎたAIなどの文脈の作品はすぐ出てきます。
想像すること、それに向かって動くこと、が重要
実験室で、ビーカーにうっかり何かを落としたら世紀の大発明!みたいなことも確率としてはゼロじゃありませんが、人間が想像してアウトプットした作品は、より確度が高く描いていた未来が将来出てくるのは必然なのです。
なので、考えれば「そうなる確率が高まる」。逆に言えば、考えなければ「そうなる確率は下がる」。
我々人類は、「こうなりたい」という欲求をエネルギーに発展してきたのです。
常に現状よりよい未来を想像すること、が大切なわけです。
学生には、発想法を教えてますが、常に現状を観察して想像する人間になってもらいたいものです。
今なら、もちろん世界平和。でも、超個人的には、ご贔屓のチームの活躍。そんなもんだ。
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