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新生活から1ヵ月、「感じる事」を思い出すGW。

4月の下旬、家族や知人、色んな人から「会社はどう?」「新生活は慣れた?」と聞かれる。また、会社では入社して1ヵ月の振り返りのような時間もあった。
私は至って幸せであった。新居も特別困った事などは発生せず着々と環境に定着し、居心地の良さを構築していっている。仕事も特別嫌な事やしんどい事はあまりない。強いて言うなら、最寄駅から新居までの帰り道が暗くて怖い、それぐらいだ。

ただ幸せ、それ以上でもそれ以下でもない現状に何となく有難さも感じつつも、どこか疑問を持つ自分もいた。確かに、生活する環境が今までとガラっと変化した事に対して何事もなく暮らせている事は素晴らしいことだ。しかし、この現状をずっと続けていくことは、あまり考えられなかった。
何かがウズウズしている。どこかでドライブ感が欲しくなっている。もう駅までの下り坂をブレーキをかけずに自転車で下っていく事にも飽きてしまったようだ。

GWの後半は実家に帰り、ゆったり過ごす予定だった。少し早いが母の日のプレゼントとして、珈琲を持って帰る予定だった。
今までは、平日の中日に会社からそのまま実家に帰って一泊。そしてまた会社に行く、という工程で実家に帰る事が多かった為、久しぶりに実家でゆっくり過ごす事になる。
約3日、実家でゆっくりするのなら、と思って家にあるまだ読めていない本を何冊もカバンの中に入れた。あれも読みたいな、これも読みたいな、と思う気持ちに久しぶりに感じるワクワク感を思い出す。ああ、この感覚は丁度1年前あたりに感じていた感覚だった。
全てがリモートになって移動に掛けていた時間、体力、お金がなくなった。「何でも出来るじゃん!」と思って、ワクワクして、とにかく知識としても、経験としてもたっぷりの栄養を蓄えた日々を思い出す。
あの時と同じように、とは思わない。しかし、別の方法で、別の形で、これからまた沢山栄養を蓄えたい。今年のGWはその方法について考える良い機会かもしれない。

しばらく家を空ける為、布団を干したり、家の中を換気したり、溜め込んだ洗濯物を干したりする。その日は間借りしている家の一階でイベントがあった為、家主さんの会社の人が来た。いつも会っている人とは違う人で「困った事はとかはない?」と、私の事を気遣ってくれた。
冒頭にも言ったように、特別困った事は無かった。実際に生活環境としてはどんどん良くなっている。平日に会社に行く傍ら、土日にこれだけ緑溢れる場所にいれる事に、これ以上のリフレッシュは無いのではないか?と思う程だった。
会社も同様に、研修やメンター制度などがあり、とにかく私たちは様々な方面からサポートされていた。会社側も私達も、どんどん良い方向に向かっている。しかし、何故かそのことに対して直ぐに首を縦に振れない。
これはどういう事なのだろうか?今までは、漠然と抱いていた感覚だった。これは本来もっと掘り下げるべき事なのだ、ふと自分の部屋の掃除をしながら気付いた。

先日、大学の先輩が新居に来た時に、部屋の片づけやレイアウトなど、私がまだ出来ていなかった事をやってくれた。そこまでリソースが割けない、と言えばそれまでだ。確かに私はこの1ヵ月、日々の日常を送れる事だけで大成功だと思って生活していたのだ。
「自分が思っている以上に体には負荷が掛かっているからね」とその時、先輩は言っていた。自分でもその事実については把握していたが、実際今までのように立ち止まって一つ一つの事をじっくり考える事を少し忘れていた。その時、人ってのはこうやって変化するのだな、と感じた反面、自分自身がいかに変化していくのか、自らがかなり無自覚だった事にも気付く。

決して変化したくない訳ではない。むしろ変化していくべきなのだ。問題はどう変化していくのか、どこまで自覚的に自らを変えていくか、なのだ。
このGWだけでも、日々の生活に対して、一つ一つを味わっていく事を思い出したい。今の生活には、あまりにも色んな生き物や人間、面白い体験が多く、忙しない。この忙しなさがいつか魅力になるように、このGWは感じる事を思い出したい。

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