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「文化はそこにある」 滞在制作まとめ

私が埼玉県に滞在制作を行ったのは10月の後半。丁度それを終えて一ヶ月が経とうとしている。

埼玉県に滞在していた1週間はとても濃い日々で、語ろうと思えば、いくらでも語れる自信がある。しかし、改めてどんな滞在制作だった?と聞かれると、まず第一に「人に恵まれた滞在制作だった」と言うだろう。

埼玉県には生まれて初めて訪れた。しかし、訪れてみると、自宅のある滋賀県との共通点も感じた。埼玉県はかなり広いし、東京から熊谷に向かう電車には乗っている人が多かった。埼玉県は東京のベッドタウンなのだ。滋賀県も京都大阪のベッドタウンであったが、やはり首都のベッドタウンだけあった数が多い。

歴史においても共通点は多い。埼玉県は中山道、滋賀県は東海道、宿場町として栄えた場所がそれぞれあったり、京都が都だった時代、東京が首都だった時代にに残された遺跡や建物、出来事があった。どちらも時代の中心となった土地に近かったからこそ、熊谷で見かけた遺跡や出来事一つ一つが比較的スッと理解できる。
直接影響を受けているわけではない、しかし、水面に出来た波が遠くの場所まで届くように、距離感を持って影響されている感じがどこか似ていた。今まであまり気付いていなかったが、この「距離はあるけど近い」という距離の感覚は、私が作品を作る上で大きく影響していたのだろう。

初めて経験する滞在制作では、滞在場所に行く前からビビリまくっていた。当初は謎の頑張らなくちゃ感でいっぱいいっぱいな感覚だあったが、思い返してみると、迎えてくれたガレージの管理人さんやそのご両親はとても良い人だった。
ガレージの管理人さんから滞在する家の鍵をもらった時に、くまのプーさんのキーホルダーも付いていた。しかし、そのキーホルダーはただのくまのプーさんではない。くまのプーさんにNの刺繍が入っていたのだ。

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この刺繍を見た時、ビビリまくっていた私は歓迎されているんだと気付けて、すごく嬉しかった事を今でも思い出す。滞在制作後もそのキーホルダーは大事にしたくて、ずっとPCの近くに置いている。

他にも、歓迎会ではおじいちゃんが訪ねてきて、「参加はしないけど、これ食べなぁ」と言って房ごと付いたみかんと枝豆をくれた。初日には道路に面した窓から「枝豆が取れたから」と言っておばちゃんが枝豆をくれて、ガレージの管理人さんと少しお話をしていた。ガッツリと関わりはしないけど、どこかで気にかけてくれている。そんな優しさをヒシヒシと感じた。

上演中には、近所のおじいちゃんが「何しているの?」と声を掛けてくる。数日後にはそのおじいちゃんは以前と同じ状況でも「おはよう」と言ってくる。おばあちゃんは寒さを心配して、日向にコタツを出したほうが良いとアドバイスをくれた。
興味を示してくれた人にお茶会と称した上演中に私の作品の話をすると、それぞれが素直にトイレットペーパーを手にとって「細かいね〜」とか「おもしれ〜」と言う。誰も「いやぁアートはちょっと難しくて分からないんです…」と謙遜する人はいない。しかし、作品として渡したトイレットペーパーは最後まで「作品」として皆向き合っている様子で、私はその様子に感動した。

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極めつけには、コタツの前を車で通りがかったラーメン屋さんに「うちでやりなよ!」と言われ、次の日にはラーメン屋さんで上演をした。
突然の出来事に嬉しさ反面、ラーメン屋さんのフットワークの軽さに驚いていた。しかし、次の日のそのラーメン屋さんを訪れると、「面白いからうちでやりなよ!」と言われた意味が分かった気がした。
この時、ハロウィンが近かった事もあり、ラーメン屋さんの店内や店の外、至る所にハロウィンの飾り付けがあった。店長さんに「内装はご自身でされたのですか?」と聞くと、「そう、あの机も俺たちで作った」と大きいカウンター席の机を指差した。その瞬間に「これがインディペンデントだ…」と痛感された。
その後も店長のお父さんに店の裏にある山を見せてもらった。「春になったら筍がいっぱい取れるんだよ〜」というお父さんに「この辺はご自身で切り開かれたのですか?」と聞くと「そうだよ」とあっさり答える。奥の竹林からの想像しか出来なかったが、相当な量だったに違いない。
その近くでは店長とその親戚の女性がクリスマスパーティーの日程をどうするのか、かなり真剣に話し合っていた。クリスマスに遠すぎるのも良くない事やケーキの調達の関係と意外と難しそうだったが、それほど彼らはクリスマスパーティーに真剣なのだ。

ラーメン屋さんが構築していた自らの力でこの世界を楽しんでいる現場は、私にとってあまりにも凄まじい現実であった。しかし、彼らにとってはこれが日常だったのだ。それを示すかのように、自作のカマドにさっき切った薪を入れて火を起こしている。家の中には暖炉があるそうで店長は「暖炉は良いですよ〜」と言う。とにかく情報過多だったが、彼らの中にはこの世界を楽しむための指標があることがよく分かった。

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ラーメン屋さんで出会ったおばちゃんには餃子や唐揚げをご馳走になり、「良い子だから、頑張ってね」と何度も言ってもらう。どこの誰かも分からない人にここまで優しく出来るなんて、凄いな、と思っていたら、別れ際にそのおばちゃんは涙目になっていた。その姿を見て、まだ出会って一時間も経っていないのに、私もおばちゃんも泣いてしまった。

その日、ラーメン屋さんを後にする時に、店長さんに何度も頑張ってね〜、また来てね〜と言われた。こんなにも衝撃的だったラーメン屋さんは初めてだ。また来よう、とお世辞なしに思った。

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持って帰ったラーメン屋さんの唐揚げ、あまりにも一つ一つが大きくて、ガレージの管理人さんのご両親と一緒に食べていた。その時に、作品の話になった。そこで私は「コタツがそこにあるだけで、前を通りがかった人がそれを目撃した所から作品の拡散が始まっている。そしてそれが循環した結果がこの唐揚げなんですよ」と言うと、そのままお母さまと私で爆笑していた。

「循環」と言うと、あまりにも遠い感覚になるが、よくよく考えてみると作品はコタツ、ラーメン屋さん、唐揚げを経て私の所に戻ってきたのだ。ここから私がこの唐揚げを食べたら、また新しい循環が始まる、そう思うとワクワクした。この唐揚げを一緒に食べたご両親はもう共犯である。

その日の夜、管理人の人と話をした。その時に管理人さんが「あなたの作品を見ていて、感じた事は文化はそこにあるんだなって思ったこと」と言った。管理人さん自身もアーティストで自らの表現を行っていくにあたり、地方に文化芸術の場を作ろうとする企画を何度も見てきたそうだ。しかし、私の作品を通じて、地方に文化芸術が全く無い事はないのではないと感じたそうだ。
私はその事を聞いてすごく嬉しかった。作品のコンセプトに直接関わっている話ではないが、私は自分自身の世界を大切にすると同時に、それぞれの持つ世界を尊重したいと考えていたからだ。それがこの上演を通じて伝わった事が単純に嬉しかった。

私達は0から1を作っているのではない。他の人が見落としてしまうような0.01、0.00001の出来事や情報を拾って1や0.5に拡大する事が重要なのだ。その拡大の手法を私はアートを用いて行っている。
落ち葉を一つ見たでけで、私は豊かさを感じる事が出来る。しかし、その豊かさを感じることが出来ない人も同様に存在する。私はその人達に落ち葉が豊かである事を共有するつもりはない。しかし、それぞれの人が何かに豊かを感じるような仕組みを作っていきたい。

熊谷から持ち帰ったウーパールーパーは成長著しく、お迎えした時は12cmだった体長が約3週間後には2cm伸びて14cmになっていた。
うどん屋さんからウーパーを受け取る時に、店員さんから「また大きくなったら見せてくださいね〜」と言われて私はただのウーパールーパーの購入者ではなく、里親になった事を実感する。彼が大きくなる度に、うどん屋さんの事を思い出し、どんな写真でうどん屋さんにお手紙を出そうか、ずっと考えている。

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我が家のウーパーが埼玉県のうどん屋さんとの架け橋になっているなんて、今までは想像し得なかった事が起きている。本当に私達はゆるくこの世界の様々なものと繋がっている。
滞在制作中に訪れた隠れ家カフェやラーメン屋さん、色んな人に「また来ます〜」と言った。さらに、この滞在制作を思い出す度、また会いに行かなくちゃいけない人が増えている。その度に、たくさん宿題を残してきてしまったな〜と思う。

東京から約2時間。街で育った私にとってはかなりの田舎だった。しかし、出会った人達はそれぞれ何かを生み出している人達ばかりでとても尊敬した。文化的な施設や商業施設がなくても、この土地には生み出す人達が沢山いる。都会とはまた異なる豊かな土地だ。
この時期に、このタイミングで、この滞在制作を経験できたことに本当に感謝したい。この滞在制作の事を紹介してくれた友人、ガレージの管理人さんとそのご両親、近所の方々にラーメン屋さん、滞在制作中に関わってくれた全ての人に感謝したい。


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