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2021年岐阜の旅

暑い日が続く。
それに加えて最近はアブやハチに出くわす事が多く、日々の農作業は一般的に想像される田舎の開放感とはほど遠い緊張感がある。

今日もまた畑の中で蜂の巣が見付かり、一緒に作業をしていた人が蜂の巣を撤去する作業をした。小さい蜂の巣だったようで、虫取り網の中に入れて、ハチが出てこないようにぐるぐる網を回しながら畑から離れた場所に移動させる。

8の字を描きながら速いスピードで網をぐるぐると回していく彼女の姿を見ていると、その視線の過程にゆっくりと羽を開閉する蝶々が一匹いることに気付く。

蝶々の動きはとてもゆっくりと時間が流れていくように感じるものの、その視線の先にはすごい速さで網を回す人の姿があった。一瞬、自分は時空の狭間にいるのではないか?と思ってしまった。しかし、その感覚も後ろで黙々と収穫作業をしている人のリズミカルなハサミの音で引き戻される。

蜂の巣を振り回す人、蝶々の動き、収穫作業のハサミの音、それぞれが別々の時間を過ごしつつ同じ空間にいる事を目の当たりにして、自分の感覚が揺るがされる感覚になる。

この感覚、早く文章にしなくちゃ、と思いつつも、連日の暑さでいつも以上にすぐ身体がバテる。
1日に何度も昼寝をしてしまう。気付けば、深夜2時。明日は朝の8時には家を出て、岐阜に向かうのだ。そう思うと、すぐにでも畳に突っ伏して寝てしまいたい気持ちを抑えて、荷物の準備をする。

翌朝、今週来たばかりの車を運転して駅に向かう。集落は少し道幅が狭い為、緊張しながらの運転だ。しかし、それでも毎日片道25分以上掛けていた行き帰りも10分以内で済むと思うと便利なものである。

切符を買い、電車に乗り込む。やはり遠出はワクワクするもので、ベタな夏ソングを聞きながら出発する。
たまたま同じ電車に、勤めていた会社の同期がいた。正直どんな顔をするべきなのか、悩む所だか、あまりにも咄嗟の事だったのでヘラヘラした。ヘラヘラしたまま、同期に近付いて「おはよう〜、元気〜?」と聞くと「それはこっちのセリフや」と言われてしまった。それもそうだ、私は突然会社に行かなくなったのだもの。

「どっか行くの?」と聞かれ、具体的に場所を言う気分ではなかったので、「うーん、分からん」と返した。しかし、なんとなく自分の良心が許さなかったのか「18切符でブラブラするねん。とりあえず東海方面に行く予定。」と言った。二人とも同じ駅で電車から降りて、互いに気を付けてね〜と言いながら別れた。

岐阜までは在来線で向かった為、電車を乗り継ぎながら岐阜に向かう。岐阜には母方の祖母の家があるのだか、ここ2年ほどは帰省ができていなかった為、久しぶりに訪れる事ができて嬉しい。

田んぼや畑が一面に広がる車窓を眺めながら、ゆっくり進んでいく電車に乗りながら、同じ電車でも新幹線とは違う経験になることを身に沁みて感じる。
夏休み期間なのか、学生が多い印象だ。部活に行く人、恐らく都市部に向かうであろう人。半数は寝ていて、私も気付けば車内で寝ていた。

岐阜に到着する。
駅で待ち合わせしていた人と出会う。その日はとても暑い日だったので早々に涼しい場所に避難する。もう一人の到着を待つ間、本屋さんにいた。他の人がどんな風に本屋さんで本を見るのか、あまりまじまじと見る機会がなかったので、すごく興味深い体験だった。どういう仕草で本を触るのか、興味があるものとないものでいかに行為が変わるのか、その行為が変わるタイミングなど‥やはり人間観察は面白いし、自分とは違う判断軸のもとに本を選んでいく姿はすごく勉強になった。

もう一人も到着する。
到着早々に「すいません!今日、財布忘れちゃって!」とカミングアウト。あまりにも潔く、笑ってしまった。

全員が揃ったのでバスに乗り、長良川へ向う。川の水位が上がった時の堤防。鵜匠の家。上には岐阜城。しかし、まぁ暑いこと。

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水分を合間合間で取っても、流れる汗が止まらなかった。

お昼ごはんに食べた中華そば

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午後から岐阜県美術館に向う。
「精霊たちのいるところ 〜アボリジニの美術〜」展示と伊藤慶ニ「土の造形」の展示。一緒にいた一人が美術館の庭にあった水道の蛇口をひねる。すると、水が3メートルほどの高さまで勢いよく上がり、もれなく濡れてしまったみたいだ。一瞬の出来事だったが、また面白くて笑ってしまった。

美術館では、お目当ての展示以外にも2つの展示があった。それぞれの展示が1つか2つの部屋を使用して地続きに展示されているのを順番に見ていく仕様だった。

夏休みという事とあり、ちょくちょく高校生や小学生がいる。私の後に入ってきた小学生の女の子2人組は1人がピンク、1人が青を基調としたコーディネート。ノートのようなものを胸に抱えて、丁度2人で左右対称になるように、それぞれ肩から水筒をさげている。2人で1つとはこの事と言わんばかりの様子で、これが自然発生で生まれたとしたら、すごく面白い事だと思い、しばらく小学生2人組を見つめてしまった。

「精霊たちのいるところ 〜アボリジニの美術〜」展では、岐阜県美術館が所蔵するアボリジニ作品が展示されていた。普段の美術館で絵を見るように、近くで作品を見た後に、ふと会場の真ん中にあった椅子に座って遠くから作品を見る。当たり前のことだが、やはり遠くから見ると、また作品の見え方が変わる。展示会場にはそれぞれの形の意味が解説されており、私が記号のように感じているものも、ある人にとっては立派な情報になるのだ。そう感じると、自分が見える分かる感じる事が全てだと思うことの恐ろしさを再認識する。
人間でさえも、これだけの差異があるというのに自然や生き物などの地球相手になれば、もっと大変だ。

次に鑑賞した伊藤慶ニ「土の造形」展では、「尺度 1寸角と3寸角 」の作品に対して、「古民家で展示されている様子が写ったものがありますよ」と会場内に置いてあった図録?のようなものを指した。実際に見てみると、同じ作品が古民家で展示されており、見た瞬間に声が出るほどにしっくりきた。

美術館を出たあと、どうしても甘いものが食べたい衝動に駆られ、「甘いものが食べたいです!」と言う。同行者に大変素晴らしいグルメブロガーがいた為、とてもスムーズに美味しい紅茶屋さんに連れて行ってもらう。

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紅茶の美味しさも然ることながら、メニュー表にあまりにも気の利いた紅茶の説明があった為、感動して思わず写真を撮ってしまった。ワッフルも軽くて美味しい、アイスもボリュームがあり、暑い日には最高のご馳走である。

岐阜には年に何度も帰省していたが、あまり散策する事をしてこなかった。しかし、今日の岐阜の旅で良い所を沢山紹介して頂いたので、今度帰省した時は周辺を散策しようと心に誓う。

夜ご飯は美味しいお肉と餃子。
一人暮らしを始めてから、お肉を食べる機会が減った事もあり、美味しいお肉を食べると、自然と嬉しくなる。飛騨牛の赤身も最高だった。

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美味しいご飯もさることながら、アートの話や仕事の話、色んな話を聞くことが出来た。私はつい最近会社を辞めて、絶好のタイミングでカーリースの契約が始まり、月の固定費が急に増えてしまう現状や早く作品を作らねば!!という気持ちに若干の焦りがあった。しかし、他の人の話を聞いてみると、まだまだ全然大丈夫じゃん!と感じ、会社も辞めたんだし、楽しく人生を生きる事に専念すれば良いのだ、と背中を押してもらった。

22時から私はオンラインで大学院の勉強会があった為、ホテルに向かった。ホテルに向かう道中も同行していた2人に、付いてきてもらい、まるで両親のような感覚があった。暑さの中で沢山歩いた事もあり、オンラインでの勉強会が終わった後すぐに寝れた。

翌朝、気付けば9時で少し急ぎながら支度をする。
ひとまず駅に着いて、目的のモーニングを食べる。そしていつも完売してて購入できない養老軒の大福を購入しようと駅を歩いていると、女性に声を掛けられた。

「すいません、これの使い方って知ってますか?」

これ、と指を指していた先には公衆電話があった。恐らく、私よりも若い人だろう。ああ、そうか、公衆電話の使い方が分からない世代が既に存在するのか、と思った。私も実際に公衆電話を使ったのは小学校の1年生ぐらいまでで、3年生の時には既に子どもケータイを持たされていた為、本当に公衆電話を使った回数は数えるほどしかない。しかし、こうして実際に使い方を聞かれる事は初めてだった。
ふと「検索したら出てくると思います」と言いかけたが、たぶんそういう事じゃない、と感じ飲み込んだ。彼女はきっとスマホがないから、公衆電話を使わざる負えなかったのだ。そんな彼女に対して「検索したら出てくると思う」は一番ナンセンスな言葉でしかない。

使い方を教えると、彼女はすぐさま電話していた。きっと緊急事態なのだろう。そんな彼女の姿を見て、たまに流行ったり流行らなかったりする論破という行為について、改めて考えさせられる。

養老軒でお目当ての大福を購入し、暑くて色々動き回る元気もなかったので、早々に帰りの電車に乗ることにした。




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