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自然を作り上げることは、たぶん出来ない。

メダカとウーパールーパーと共に実家に舞い戻り、早1ヵ月。
毎朝、ベランダのハーブの様子を見て、メダカ達に餌をあげたり、あげなかったりする。

最近は気温が高いせいか、鉢の水面がすぐに下がる。その為、毎日ハーブにやった水の残りを足し水として足したり、バケツに水を汲んで、入れたりする。
そんな些細な行為だが、ふと集落にいた時は足し水さえも雨にやってもらっていたのになぁ、と考えてしまう。同じく気付けば濃い緑色に変化した植物性プランクトン豊富な青水も、何故かここでは徐々に透明になってしまう。

特に自分が何か手を加えていた訳でもない分、謎が深まるばかりである。それと同時に、私が何もしていなかったとしても、きっと自然がメダカ達に対して様々な作用を加えていたのだろうと思うと、自らでは想像しえない膨大な仕組みや関係性がそこにはあったような気がして、豊かな自然環境に対して畏れ多く感じる他ない。

今、ベランダで暮らすメダカ達は田舎生まれの子達だ。豊かな自然環境から一転、徐々に植物性プランクトンが減っていく環境に彼らはどう感じるのだろう?
ホームセンターで買ってきたメダカの餌を与えた途端、急に成長スピードが速くなった彼らを見て、これは農業で言う化成肥料を与えているようなものなのかもしれない、と安直ながら感じてしまった。

土砂降りの雨の中、ベランダのハーブに水を与えていた時は、正直自分でもよく分からないことをしているな、と思った。でもそれは、雨が当たるような屋外に置いていないだけと言えばそれまでなのである。

「自然を作り出すって本当に難しい」と当たり前なことを常々感じながら、ある日メダカの鉢を見ると、1匹が瀕死の状態で水面に浮かんでいた。その瞬間「やはり、この時が来たか」と思った。少し覚悟をしていただけに、ここ1ヵ月間の結果を突き付けられた気がして、思わず長く息を吐きながら空を仰ぎ見た。その日の空は眩しいぐらいに青いものだった。

ぶっちゃけどうしようもないことだってことは分かっていても、痛いほどに自然の力を感じさせられる毎日で、キラキラ世界に舞い戻ったものの、以前私が見ていたようなキラキラ世界ではないような景色を見ているように感じた。

まぁ他に変わったことと言えば、バジルを緑茶の水出しで飲むようになったこととチンキ作りにハマりだしたことぐらいだろう。めっきり紅茶を飲む機会が減って、珈琲を沢山飲むようになった。それでも最近脱カフェイン運動が起きて、ハーブティーやお茶を飲むようになってきた。

相変わらず、思考や行動のグルグル具合は変わらないものですな。
そう感じながら、週に3回はハーブティーにセントジョーンズワートを突っ込んでいる。いやぁ、ハーブさまさまです。

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