国語科教員になりたかった私の話4「西田袋」

 二学期になると、国語の授業で文法を扱うことになった。
 私はそれまでなんとなく文章を読んでいたので、この文法にとてつもなく苦手意識を覚えてしまった。
 しかし、苦手なことからすぐ目をそらす子どもだった私は、しばらくそれを放置した。

ある日、実家に帰省していた父から連絡があった。
肺がんで祖父が亡くなったということで、次の日すぐに祖父母の家に新幹線で向かうことになった
 火葬が終わると母と妹はすぐに帰ったが、私は事務手続きをする父について残ることにした。半分以上サボリである。

 数日後、学校に戻った日の放課後、クラスメイトから「T先生が探してたよ。」と言われたので探しに行き、T先生に久しぶりに会った。
 すると、元々文法が苦手な上に数日間授業を受けられなかったことを見かねたのかもしれない、T先生の方から「放課後、文法の補習やる?」と提案してくれた。
 私は嫌いな文法であるにもかかわらず、先生と一緒に勉強をできることが嬉しくなって受けることにした。

 そこから二学期期末テストまで、T先生による放課後文法講座が始まった。
 もちろん勉強もちゃんとしたが、補習後の雑談の時間がとても楽しかった。

 期末テストが終わるとすぐに、京都で亡くなった祖父を偲ぶための食事会が開かれるということで、学校を数日間休んだ。

 久しぶりに学校に行くと、採点済みの国語のテストやプリント等が入った「西田袋」と書かれた大きい紙封筒が机の中に入っていた。
 テストを開いてみると、文法では無事に点数を取ることができていてT先生の「よく頑張りました」というコメントが添えられていた。
 廊下でT先生とすれ違ったので、
「ごめん、まだテスト見直してない。」と言うと(失礼な私はタメ口だった)、
「あぁ、いいよいいよ。てか、西田袋届いた?」
と聞かれた。
 「わざわざ袋作ってやったんだから。」とか、「ネーミングしてやった。」みたいなことを言われたが、あまりに捻りのない名称、そしてその謎の手間に笑ってしまった。

 こうしてせっかくT先生と馴染めたというのに、あっという間に中学二年の終業式がやってきてしまった。
 前年度の終わり、K先生の時には心構えをしていなかったが、さすがに今年はわかっていた。来年はT先生の国語の授業を受けられない。そして来年受けられないということは、私は中学を卒業してしまうので、もう二度とT先生の授業は受けられないのだ。

 しかしそれ以上の衝撃を受けることになった。
 終業式が行われる講堂の壇上に、T先生がいるのである。
 紹介によると、T先生は高校に異動するということだった。
 授業を受けれないどころか、同じ学校にもいない、だと……!?

 終業式が終わって講堂から出ると、T先生の姿を見付けることができたので追いかけた。
「先生、高校行っちゃうんですか!? 全然知らなかった……!」と、ショックによる興奮でしどろもどろになっていると、
「うん、だって言ってなかったもん。」と先生はあっさり言っていた。

 しかし、この時の私は混乱して気付いていなかった。
 高校に異動するということは、高校でまた授業を受けられるかもしれないということを。

(国語科教員になりたかった私の話5に続く。)

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