「持続可能性」というコトバが意味するもの

 「ニシダ先生、『持続可能性』って、いったい何ですか?」以前参加したとある勉強会で、こんな真正面からの質問をいただいた。いわゆる「真ん中まっすぐ」の質問で、コンサルタントとしてはこれにどう答えるかで真価が問われるのだ。確かにSDGsやサーキュラーエコノミーをお伝えするとき、私は決まって「持続可能性のために」と言う説明をする。SDGsに関心を持ってくれている客層ならそれで良い話だが、半面で世の中には、まだSDGsを知らない人が半分くらい残っていたりする。で、その時の私に明快な答えがあったか?実は用意がなかったのだ。なんだかテキトーな話をしてその場はそれで収まった(というか、時間切れになった)。

 これはまさしくコンサルタントの名折れである。

後日参加した別のワークショップでのこと。議論が進むうち、しばらくすると「・・・世の中があり続けることの大事さについて・・・」みたいなセリフをこぼしてくれた人がいた。すかさずその言葉尻を拾う。「そうですね、『世の中や社会が良い状態であり続けることができる』。それこそが持続可能性の意味するところ、ということなのでは?」こういう場合、センセイという立場はありがたい。

 今回は参加者も納得してくれて、ハッピーなセッションになったのは良かった。でも、こんな議論が出てくる背景にはなにがあったのだろう?

 朝日新聞の調査によると今年3月現在でSDGsの認知度は3割ちょっとだったらしい。https://miraimedia.asahi.com/sdgs_survey06
他方で、企業経営者に限ると9割が認知しているという報告もある。
http://www.alterna.co.jp/32476

 つまり、母集団によってSDGsの認知度は「まだ・・」であったり「もう・・」であったりするということなのだ。

 そう考えると違う世の中が見えてくるのは、たとえばスマホの普及率だったりする。現在スマホを持っている人と言うのもせいぜい6割弱くらいなわけで、電車の中では全員がスマホをいじっているような風景によく出会うこともあって、世の中すべてスマホかと思わされてしまうが、実はそうではない。同様に、持続可能性というコトバを聞いたことのない人もまだごく普通にいる。一連のワークショップでそれを改めて感じることができた。

 コンサルタントはジャーナリストではない。すなわち人が知らないものを知らしめる語彙を得意とする職種ではない。他方で人が知りたいものを分からせる語彙については、極力身につけておくべき職種ではあるのだ。「持続可能性とは?」そう尋ねてくれた人に感謝、「あり続けられること」と言ってくれた人にはさらに感謝しなくてはならないと思う。

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