世界のことを考えられない日本

石炭火力を巡るネットニュースとその関係で目にするコメントに、この30年間ずっと繰り返してきたため息をまた繰り返させられる羽目に陥っている。

石炭火力を巡る欧州(特にイギリス)の報道に関する反応で、不合理にも日本が非難されている、的なものはおおよそ以下の3つに分類できる。

1.「日本の高効率発電は環境に良いのだから、もっと情報発信を積極的にすべきだ。」

2.「日本が途上国向けの石炭火力発電から手を引けば、中国がその間隙を埋めるに決まっている。」

3.「石炭火力発電への批判は欧州のたくらみだ。技術で勝てない欧州はいつも国際交渉で日本を不利に貶める」

一つ目の発言はまだ理解できる。確かに超超臨界圧発電はこれまでの方式に比べてCO2原単位が低い(高く見積もっても400kgCO2e/kWh以下)とされているし、それに関する日本からの情報発信は、ひいき目に見ても多いとは言えない。

でも、だからといって馬鹿正直に情報発信したところで聞いてもらえる段階にはすでにないことが、日本社会に伝えられていないことの方が問題なのではないだろうか。パリ協定で合意された2℃シナリオは事実上第二義に置かれ、現在国際社会で進む議論は1.5℃を上限とするものが主流である。欧州の力技をあげつらうのか、あるいはアメリカの無策を非難するのか。いずれにせよ議論の機会は二度や三度ではなかったはずだ。石炭火力発電について、日本はその多くをスルーした。

1992年に気候変動枠組み条約ができて来年で30年になる。情報発信をする気ならできた時間が30年あったのだが、今に至るまでの間に石炭火力発電について、日本政府から戦略的な取り組みがなされた気配はほぼ全くない。他方で京都議定書やパリ協定を巡って国際世論の動きはすっかり見えていたわけで、その間全く手をこまねいていたと言われることへの反論があるなら聞いてみたいものだと思う。

これが水俣条約なら、水俣病の被害者が自ら国際会議に出かけ、国際交渉の場でその深刻さを訴えた。そしてそれを徹底的に繰り返した。そうやって国際社会に対して情報発信するすべを、実は日本政府はとても良く知っている。

二つ目は、確かにそうかもしれない。この点が実はとても重要で、だったら日本はどちらに与するのか。途上国側の利益に立って、中国と手を携えて石炭火力発電を推進するのか。それを加味して2050年にカーボンニュートラルを実現しようというのか。

三つ目はそもそも論外だが、「外国勢力による陰謀論」は常に存在し、現に今でも結構優秀な人材が簡単に絡めとられる事例を、つい最近も直接見聞きした。なので内患としては深刻な問題であることを否定するつもりはない。ただ、議論としてはそもそも論外なので、ここでは捨象して考える。

一つ目と二つ目の議論を聞いて認識を新たにするのは、石炭を巡る世界的なサプライチェーンをどうしたらよいのか、という発想が日本には至極乏しいという現実である。

日本の技術は高効率だ。確かな話なのでそれは認める。でも、だから問題解決につながると言うならパリ協定に鑑みてその処方箋を示すべきだし、そうでないとするなら協定の批准国として、日本が石炭を使い続けることで存続してしまう石炭のサプライチェーンをどう始末するのか、日本は最低限そのビジョンを示すべきではないだろうか。

日本は石炭を自給していない。ということは、如何に高効率であったとしても発電所の運転には外国産の石炭が必要になるということだ。その炭鉱はどうやって経営されてゆくのか?高効率な日本の発電所のためだけに採炭し、他には売らずに済むとでも?

そんなわけには当然行かない。どんな高効率技術であったとしても、日本が石炭火力を保持し続ける限り、世界のどこかの炭鉱は石炭を生産し続け、そしてその石炭は、炭鉱が利益を追求して売り続ける限り、どこかほかの国で使われるのだ。それが日本流の高効率施設である保証など、当たり前だが世界のどこにも存在しない。

パリ協定は、先進国にのみ解決策を強いた部分的・片務的な京都議定書が、さしたる成果をもたらさなかった反省に基づいて作られている。世界の脱炭素について、すべての批准国による対策が求められる中、自国のことだけ言っていれば済むというエアポケットは実に小さくなってきている。

平たく言うと石炭火力発電は、日本政府の未必の故意による落とし穴に嵌められたのだろうと思う。その間、新技術の開発に投入された税金と、その負担者である国民こそ良い面の皮である。

ちなみに現在、安全保障や民主主義体制を巡って、いわゆる西側諸国と中国の間には埋めがたい段差が生じつつある。もしもあなたが仮に「中国と組んで石炭火力」を主張されるなら、その事実も視野に入れておいた方が良い。

おそらく私はその議論に与しない。非常に基礎的なところで言えば、中国の説く理想に21世紀以降の地球を賭けるだけの蛮勇が私の選択肢ではないからだ。そしてさらに、そもそもが世界のことを考える日本であれかしと、何度裏切られても思い続けているからに他ならない。

協定批准国として、あるいは先進国として、世界のことを考える日本でありたいと真剣に思うのである。今度の東京オリンピックはそういう国がホストするオリンピックであってほしいし、選挙で選ぶならそういう政権を選びたいものだと思っている。草に向かっても、石に向かっても、心からそう思っている。

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