矛盾

 最近気づいた、というわけでは必ずしもないのだが、持続可能性を巡る取組みが難しいのは、そもそもの部分が専門的であることに加えて、様々なところに内包された矛盾点が、見えたり見えなくなったりすることにも起因するのではないかと思っている。このところ、特にその矛盾について考えさせられることが多くなったと感じている。

 そもそもSDGsからして、その矛盾点への回答を持ち合わせていない。具体的な話をしよう。昨年の10月に横浜で開催されたTICAD VIIで「SDGsのゴール1(貧困)を解決するため、我々は石炭を掘っている。それがゴール13(気候変動)に合わないからと言ってどうしろと言うのだ?」と先進国に対する疑問を投げかけたアフリカの高官がいた。彼の発言にはっきりした回答を示せる人は、広い会場を見渡しても何処にもいなかった。

 その他にも、たとえばGoal 2では生態系を維持するレジリエントな農業、が謳われていおり、Goal 12では食糧廃棄の半減が、またGoal15では生態系の保全が謳われている。もっとはっきり言えば、SDGsは生態系保全を進めつつ、食料確保も進めなくてはならないのだが、たとえば生ごみのコンポスト化を取ってみても、プラネタリー・バウンダリーでは温暖化よりも深刻とされている窒素問題に棹差す要素がにじみ出てくる。良いコンポストは良い堆肥になるのだが、そのコンポストが農家の求める窒素分を含めば含むほど、生態系に被害を及ぼすことになりかねないのだ。

 また、セメント産業や鉄鋼業はCO2排出の面で主犯扱いされている。だが同時に、セメント産業は災害廃棄物の処理を一手に引き受け、鉄鋼業もまた輸出できなくなった廃プラスチックを還元剤として活用できる技術を持っている。大量のCO2を出すからと言って、我々はセメント産業抜きで災害に対するレジリエンスを確保できるというシナリオを持ち合わせてはいない。

 こういった矛盾を解決するための考え方として、欧州は金融業向けにDNSH(Do No Significant Harm)つまり「他の分野に深刻な被害を及ぼさないこと」を条件として提案している。たとえば原発は、確かにCO2を出さないのでパリ協定的には投融資適格事案として推奨されるべき技術と言えるのだが、廃棄物処理の観点で問題がある、なので最終的には推奨を見送る、というものだ。原発の問題には欧州内部にも深い対立があり、言うほど明快な結論が出ているわけではないのだが、目下の議論はそういう方向へと展開されている。

 仮にこの考え方を上の事例にも当てはめると、確かにセメント産業は災害に対するレジリエンス構築にとって、また鉄鋼業はプラスチック問題にとって重要なプレーヤーだが、CO2の面で負荷が大きいので投融資適格とは見なされない、ということになる。同様にして生ごみコンポストも適格とは見なされない可能性が残る。DNSHは矛盾点を解決するための方策とは言えるかもしれないが、注意して取り扱わないと、この考え方が幅を利かせるようになり、経済を次第に委縮する方向へと向かわせかねないのだ。

 そうしないための考え方がトランジション・マネジメント(移行経過管理)と言われるもので、たとえばSDGsがそうだが、締切を切ったうえでその間に最善努力が積み重ねられることを求めている。目標も包摂的ではあるが、必ずしも網羅的とは言えない仕立てになっている(窒素問題を含めて、焦点が当たっていない課題は数多い)。矛盾は多いかもしれないが、とりあえず頑張ってみよう、それこそがSDGsなのだ。

 最近、世の中ではそんなSDGsを批判的に語る意見も出てきているようだ。批判は批判として堂々と語られるべき、ではあるが、私自身はと言えば批判も矛盾も承知のうえで、やっぱり頑張るしかないだろう、と考えている。

 環境を語るとき、つい忘れられがちな時間と言うリソースに融通性がほとんど期待できない以上、コンポストの窒素もセメントのCO2も、対策を考えながらでも、全体を前に進めるしかないだろう、そんなふうに思うのだ。悪くすると見切り、になるかも知れないリスクも承知の上で、それでも胸を張って歩みを前へと進めようと思っている。

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