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痴 漢 「 環 境 」 論 【1/6】


 高校1年生のときだった。

 わたしは、毎朝の通学に必ず身を置かねばならない「満員電車」というあの不快な環境に、適応する術を身につけた。

 どう考えても定員の130パーセントを越えているあのすし詰め感、息苦しさ、他人の吐く息の不快な香り、汗の匂い、ときおり触れる湿った皮膚の感覚。

 これらはすべて、この大都会で暮らしていくために適応しなければならない『環境』のひとつだ。

 わたしは当時まだ16歳だったが、それを悟った。
 何でも、早いうちに悟っておくと、いいことがあるものだ。

 
 わたしは満員電車の中で、目を閉じる。
 そして、呼吸を通常の4分の1くらいの量に減らし、すこし顔を上げる。

 そして全身の体重を、周囲の人々の身体に預け、30センチメートルほど“浮 く”。

 もちろん、実際に身体を浮かせるわけではない。

 意識だけを、浮かせる。

 そうすることによって、わたしの肉体は満員電車の閉塞感や不快感から開放される。

 けっこうスピリチュアルが入っているような話かもしれないけど、一度でいいから、だまされたと思ってやってみてほしい。

 というか、たぶんこれを読んでいる 人の中で、すでにこの方法を実践している人も案外いるのではないだろうか。
 
 現代の都会において、イヤでも慣れなければならないこと、納得できなくても受け入れなければならないことは数多い。

 排気ガスや、騒音、息苦しい 閉塞感、 朝の歓楽街の腐った食べ物の臭気、マナーのなっていない飼い主に買われた犬が道端に落としていくうんこ。

 受験、試験、試験、試験、就職活動、そして毎日の 通勤。
 通勤、末締め、ダラダラ会議、セクハラ、パワハラ、ブラック労働。

 ありとあらゆる不快なことに、わたしたちは適応して生きている。

 で、わたしがこうした不快なことに対して「慣れる」方法をおぼえることになったきっかけは、満員電車での痴漢だった。

 そりゃ、わたしにしてみても最初から痴漢に対して平気だったわけではない。

 考えてもみてほしい……とくにこれを読んでいるのが男性ならば、考えてみてほしいのだけど……すし詰めの通学電車で動けない状態で、見知らぬ他 人に 身体を勝手に触られるわけだ……これは、はっきり言って不快というよりも恐怖に近い。

 そして、例えようもない屈辱だ。

 なんで、これだけ人がいる中で、よりによって私が??

 痴漢に遭ったことのある女性なら誰だってそう感じるはずだ。
 わたしが初めて痴漢に遭ったときもそうだった。
 
 どういうこと?
 なんで?

 女子高生で制服着てるから、ってだけの理由で?
 ってか、いったいお尻を触って、何がしたいわけ?

 当時のわたしは、快速電車に乗って30分のと ころにある、それなりのお嬢さん学校である女子高に通学していた。

 クラスの友達からは何回か『痴漢に遭っちゃった~』みたいな話を聞いたことがある。

 『まじキモいよね~』とか『マジむかつくよね~』とか、友人 たちはそ のときの気持ちをそういうありきたりな言葉で表現していたが、実際に自分がその被害に遭ってみる、となるとぜんぜん違う。

 はっきり言って、あれは恐怖でしかない。
 そして屈辱でしかない。

 クラスの子たちのなかでそういう『痴漢話』を喜んでしたがる子たちには、自尊心にも人権意識にも意 識の低い、頭のヌルさを感じて仕方が無かった。

 だからわたしは、そんな話題に自分から入っていくことは決してなかった。
 
 しかし、いかに朝の電車で気をつけていようと、痴漢の手は雨後の竹の子のようにわたしたちの身体に群がってくる。

 そして、わたしたち学生は、よほど勇気 がある子以外は、そうしたわけのわからない男たちに対して、『や・め・て・く・だ・さ・い』とはっきり意思表明することができない。

 『そんなの、“やめてください”っていえば済む話じゃないか』

 そんなふうに思われる方々もいるかと思うので、わたしがこの『痴漢環境論』を持つに至った経緯について述べておきたい。


 最初に述べたように、わたしがこの境地に至ったのは、まだ高校1年生、16歳のときだ。

 それまでにも、わたしは中高一貫の私立学校に通っていたので、満員電車との付き合いに関してはその時点でもう4年目、という結構なベテランだった。

 もちろん……わたしは中学部1年生だったときから、通学時間中の痴漢の洗礼を受けていた。

 わたしは(今でもそうだが)大人しい女の子だった。
 はっきり言って、あまり人付き合いがうまい方ではない。
 基本的に、他人の前で自己主張するのが苦手だ。

 なぜわたしがこんな性格になってしまったのか、といえば親の育て方とか、幼児期のトラウマとか話し出すといろいろあるのだが、そんなのを読まされるのも面倒くさいだろうし、わたしも語るのは面倒くさいのでここでは省略する。

 だから……とにかく中学校の三年間は……毎朝のように群がってくる痴漢たちに、好きにさせておくしかなかった。

 ……激しい屈辱感と、怒りと、恐怖に、じっと唇を噛んで耐えながら……。

 というか、まず最初に理解できなかったのは……

『痴漢の連中はなぜ、見も知らぬ女性の身体を触りたがるのか』

 ということだ。

 満員電車に乗り始めたころには、いくら幼かったとはいえ、わたしが男性の眼から充分に性的な対象として見られる可能性がある、ということくらいは意識していた。

 しかし、彼らは見るだけではなく、触ってくる。

 生れて始めて遭ったのは、普通に(というのもヘンだが)スカートの上からお尻を触ってくる痴漢だった。
 
 あの、満員電車の中で、身動きが取れない状態で、誰かの手が自分のお尻に押し付けられており、それが『明確な意志を持って』動き始めたときの戦慄は、今でも忘れられない。

 というか、その顔も知らない相手の『意志』が何なのか、いったい何が目的なのか、それがさっぱり理解できないのが、本当に恐ろしかったのを覚えている。

 その手は……まだ芯があってふくらみも充分じゃなかったわたしの“こどものお尻”をスカートの上からベタベタと触り続けた……まるで、固い肉をもみほぐそうとでもするように……。
 
 当然、わたしも抵抗した。腰を振って、相手の手から逃れようとした。
 当時はそういう抵抗が、よけい痴漢の亢奮を煽るものである、ということは知らなかった。

 いや、ふつうは誰だって知らない。

 いきなり他人に勝手に自分の身体を触られて、不快に感じない人はいないだろう。

 すると、その瞬間に、痴漢はわたしのお尻から手を放した……え、諦めてくれたんだ……よかった……と思ったその瞬間、いきなりスカートの布地越しに、手ではない別のものが押し付けられてきた。

 それは、何枚かの布越しだったけれども、わたしのお尻の割れ目にぴったりと収まるように、はっきりと存在していた。

 それが何であるのか……理解するまで、1分はかかったと思う。
 
 男性器が、性的に亢奮すると、勃起状態になることは小学校から受けている性教育の授業で知っていた。

 いや、実を言うとまあ、それ以前から兄が隠し持っていたエロマンガの類をこっそり盗み読みしていたので、そこがどういうときにそうなるのか、ということはなんとなく頭ではわかっている気がした。
 

 しかし、当たり前だが布地越しとはいえ、男性の性器の存在を自分の身体で感じたのはこれが初めてだった。

 何なの、いったい。

 当時13歳だったわたしは思った。

 いったい、この人、何をどうしたいの。

 ってか、この人、わたしのお尻を触って、こんなふうになっちゃった、ってことをわたしに知ってほしいの?

 なんで?

 なんでそんなこと、わたしが知らなきゃなんないの?

 なんとか13歳なりに理性的に物事を整理しようとしたが、どうもうまく物事がまとまらない。

 男は縦に、横に、腰を動かし、わたしのお尻にそれを擦り付けてきた。

 それがお尻の上でびくびくっ、と息づくたびに、わたしは背中に氷を入れられたみたいな寒気を感じた。

 男は次の駅で降りていった……混乱するわたしを電車に残したまま。

 屈辱だった。
 悲しかった。
 あまりにもおぞましかった。

 わたしは、涙こそ出さなかったが、その場に崩れ落ちてしまいそうなくらい、真っ暗な気持になった。
 
 この世にはおぞましい人々がいて、その人たちは好き勝手に他人の身体を触ることを、まるで当然の権利でもあるかのように思っているようだ。

 これまで住んでいた世界、わたしが13年間を暮らしてきたこの世界は、当時のわたしにとって……そりゃ、天国で毎日が超ハッピー、ってわけじゃなかった が……それなりに美しく、正しく、公明正大で、他人がいやがることをわざわざ他人にするような人間は……子ども社会では幼さゆえにそういう子たちもいるけ れど……社会のほうから排除され、ルールを守って正しく生きているわたしたちは、そうした被害から何かに守られているものだ、というふに、当時のわたしは考えていた。

 それが、間違いだったわけだ。
 そんなものは、現実ではないということだ。

 13歳のわたしは悲しくなった。
 とても心細くなった。

 わたしたちは、誰にも守られていない。

 その時点で悟ったのは、そんなことだった。

 心の底から、寒気を覚えて、わたしは学校の最寄駅のホームで立ち尽くしていた。

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