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どちらにお掛けですか 【3/10】

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■月曜、午前2時 30分

 時計を見ると2時30分だった。

 電話の主はどうも10代の少女のようだ。

 しきりに「あの……」とか「えっと……」とかを繰り返すばかりで、一向に話が始まらない。

 どうも頭の中が派手に混乱しているらしい。
 電話で話をするのが苦手なのかも知れない。

 おれが辛抱強く待っていると、ようやく彼女は以下の言葉をまとめ上げた。

「……あの……その……あたし……かおるっていいます」

「別に名乗らなくても結構ですよ。」おれは落ち着き払った声で言った。「でも、お名前を聞いておいたほうが、こちらとしても喋りやすいですしね。もちろ ん、お名前は記録されたり、流出したりすることはありませんから、安心してください……で、“かおる”さん、今日はどうされました?」

 流れるようにでまかせが出てくる。
 何でも繰り返しやれば上手くなるもんだ。

「えっと……あの……その…………ええと……」

 また、“あの&えっと”スパイラルに突入だ。
 しかしおれは少しもいらいらしなかった。

 こんな年若い少女から電話が掛かってくることはあんまりなかったし、その会話下手さも可愛らしく思えた。

 彼女の話が始まるまでの間、おれは手元にあったペンで、近くにあった電話代請求書の封筒の上にいたずら書きをしていた。
 
 かおる……? ……? ……? ……? ……カオル
 
 “かおる”を指す漢字を4つ書き出す。

 まあ、どれでもいいわけだが、何となくおれは“”が一番しっくり来るように思えて、それに3重花丸をつけた。

「……あのっ……」薫がようやく言葉を見つけた「男の人が……その……カラダだけしか求めてこないっていっていうのは……とっても不健全なことなんでしょうか?」

 思わずペンが術って、テーブルまで線を引いてしまう。

「はい?」思わず聞き返した。というか、聞き返さずにおれなかった「……何ですって?」

「……えっ……あのっ……ええとっ……も、もういいです」

 そう言いながら薫が電話から離れるのを感じた。

「ちょっと待って下さい、切らないで下さい」

「……あの……ほんとうに、もういいんです」

 と薫は泣きそうな声を出す。

「……あの、つまり、その」おれにも薫のしゃべり方が伝染ったようだ「つまり……恋愛関係でお悩みですね。いじめとか、家族の問題とか、受験の苦しみとか、そういのじゃなくって」

「……ええ……いえ……あの……」薫は取り敢えず落ち着いた様子だ「……ええと……そういうのでも、いいんですか? ここで相談しても……」

「もちろん構いませんよ。ところで、今おいくつですか?」

「……え……あの……言わなくちゃいけませんか……?」

「……いえ、そんな」おれは慎重に喋った。「別に、言いたくなければ言わなくても結構ですよ」

「あの……16です」

 ボソリと薫が呟く。

「……ということは、高校1年生?」

「……ええ……まあ……はい」

「まあ、あなたの年代では一番、ポピュラーな悩みですね。安心してください。それ自体は健全なことですから。で、相手の方は……同じ学校の同級生ですか?」

「………ひっ
 
 薫が息を詰まらせる。
 必ず聞かれるだろうと予想していた質問だが、一番聞かれたくないことでもあったんだろう。 

「……あの……はい……いえ……違います」

「はあ、では学校の先輩とか?」

「……あの……いえ、それも違います」

「大学生ですか?」

 おれは取り敢えずカマをかけ続けた。

「……いえ……あの……その……」次に薫は、聞き取れないくらいの小さな声で言った「先生です」

「え?」まあ、あってはならないことだけど、ありがちな話だ。「先生? 学校の?」

「いいえ……その……違うんです」

 薫の汗ばんだ手がスマホを握りしめる音が聞こえてくるようだ。

家庭教師とか?」

「…………はい」

 ようやく賭けたカマが身を結んだ。

「はあ、家庭教師の先生ですか。で、その方は学生さんですか」

「……いえ………」薫の声が掠れていた「……親戚です」

「はあ」

 何だか面白くなってきた。

「で、その方、おいくつなんです?」

「……あの……」殆ど聞き取れないくらいの小さな声だった「…どうしても、言わなきゃダメですか、それ……」

「うーん……出来れば」

 おれは自分の根性の曲がり具合に呆れた。

「あの…………さんじゅう…………なな歳です」

37?」

 正直言ってたまげた。
 おれと同じ歳だ。

「……はい……あの……」

「はあ、その方はお仕事は……何かされているのですか? ……家庭教師とは別に何か……」

「……いいえ……」薫の話はすこしずつスムースになってきた。「……大学を出てから、就職せずに、うちの近所に住んで、家庭教師をやってます……」

「で、その方は親戚だそうですが、どういうご親戚で?」

「……はい……母方の、姉の、息子の、お嫁さんの、お兄さんです」

「はあ、近いのか遠いのか判りませんが、とりあえず血縁上は問題なさそうですね」

「………………」

 薫は黙ってしまった。
 あ、余計なことを言ったかな?

「あ、すみません。余計なことを言って……で、その方との間に、何かがあった訳ですね?」

「……はい」

「よかったら、お話していただけませんか……はじめから順を追って。ゆっくり、落ち着いて話してください。いいですね?」

「……はい……あの」薫はまだ不安そうだった「この事はだれにも……」

「当然です。私しか聞いていませんし、その記録が外部に漏れることもあり得ません。ですので、安心して話してください」

「……はい……」

「……それでは……まず、その人とのそういう関係が始まったあたりから、話していただけますか」

「……ええと……あれは……あたしが、まだ、13の頃…でした」

じゅうさん?」

 声が裏返ってしまった。

「……えっ……あの……はい、13歳です」

「……と、いうことは、もう3年も?」

 なんということだ。

「……あ……はい……」


「はあ、ではあなたが13歳のとき、お相手の方は34歳だった訳ですね(当たり前だ。簡単な引き算だ)。それで、その方は親戚の方で、しかもあなたの家 庭教師だった、と。その方を家庭教師につけられたのは、やはりご両親ですよね。ご両親はなぜあなたに家庭教師をつけたのですか?」

「あの……いまの、高校に入るためです」

「はあ、で、親戚の中で、家庭教師をやっておられる、その方にあなたのお勉強を見ても貰うようにお願いした、と。それで?」

 薫の声はどんどん沈み込んでいった。

「はじめは……その、熱心に勉強を見てくれて、優しくて、物知りで、面白い人だと思ったんです……親以外のそんな大人の人と、じっくり話し込むようなことも、これまでに無かったし……勉強の途中の、休憩時間なんかには、いつもいろんな話をしてくれました……音楽のこととか、映画のこととか、自分の大学生活の思い出とか」

「……はあ、で、あなたも、その方のことが少し好きになっていった、と」

「……はい……でも、そんな、男の人として、とか、そういうのじゃなく、単に面白いお兄さん、くらいにしか考えてなかったんです……ほんとに、あたし……」

「でも、ある日突然、何かが起こったと」

 おれは言葉をこのうえなく慎重に使っていた。

「はい……」

「何があったんですか?」

「あの……その日は、家には、両親も弟も留守で、誰も居なかったんです……」

「……はい」おれは受話器を口元より離してから、ゴクリと唾を飲み込んだ。「それで?

「休憩時間のときに、いきなり……」

 そこまで言って薫は、言葉に詰まった。
 電話口からも逡巡が伝わってくる。
 やがて、薫は深呼吸をしてから、言った。

「……いきなり、抱きすくめられて……それで……」

それで?

 おれは身を乗り出していた。

「キスされて、舌が…」薫はまた呼吸を整えた「舌が、口の中に…」


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