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誰にも知られとうない 【3/5】
■
「タク坊はもう、お腹一杯でおねむみたいやな」
イソヤマが生卵にビタビタに浸した霜降り肉をぐちゃぐちゃと噛みながら笑う。
そしてそれを、缶ビールで飲み下した。
イソヤマの部屋はいつもきれいに片付いている。
わびしい中年男の一人住まいにしては、うんざりするくらいこざっぱりしている。
イソヤマはキレイ好きらしい。
今日、座卓の上には電熱ヒーターの上ですき焼きの残骸が煮立っているが、「飲み物をこぼしたり、食べ物で床を汚さないように」ということで、6畳間の床にはゴミ袋を裂いて作ったビニールシートがガムテープで張り合わされ、敷き詰められていた。
その上で、末っ子の卓郎は昨日からずっとそうしているかのように、大の字になっていびきをかいている。
あまりにも上質の肉と……「まあええから」とイソヤマが勧めたビールに大はしゃぎしたせいで、疲れきってしまったのだろう。
見ている悠也が疲れてしまったくらいだ。
イソヤマに勧められて、悠也もビールを飲んだ。
いらない、いらないと断ったが、ほとんど無理やり飲まされた。
酒を本格的に口にしたのは、これがはじめてだった。
このわけのわからない正体不明の中年男と食卓を共にしている……それも今後の生活のため、という『みじめ』な気分を紛らわせることができりかも知れない、と思ってビールを口にしたところもある。
最初はただ苦くて、何がいいのかわからなかったが、何口か飲んでいるうちに頭の奥がぼんやりしてきて、現実と自分の間に、やわらかくてうすい層ができたような気分になった。
なるほど、大人たちが酒を飲みたがる理由がわかるような気がした。
始めての酔い……らしきもの……の感覚のなかで、悠也の『みじめ』な気分は、すっかりはぐらかされていた。
ちあきはといえば……やはりビールを飲んでいる。
肉を食べ、グイグイとビールを飲んでいる……
それも、今はイソヤマの膝の上で。
いつの間に、あんなにうまそうにビールを飲むようになったんだろうか?……
それもイソヤマに教えられたのだろうか?……
そして今、ちあきはイソヤマの膝の上に自ら乗っかっている。
乗っかっているだけならまだしも、くねくねと身体をくねらせて、赤い顔でキャハハ、と笑っている。
「……ちあきちゃんは、ほんまおませやなあ……おっちゃん、もうかなんわ」
「……あっはっはっは……楽しい、おっちゃん、うち、楽しいわ!!!」
ニタリ、と満足そうにイソヤマが唇を歪ませた。
ちあきに腰掛けられているイソヤマは、まるで肉でできた巨大なソファだった。
ちなみに部屋のきれい好きに反して、イソヤマ自身の不潔感はひどかった。
ボサボサの油染みた髪、ぶよぶよと遠慮なしに脂肪をつけた体、薄汚れたベージュのトレーナーには、脇汗がにじみ出ている。
悠也に人のことは言えはしないが、イソヤマが全身から醸し出している雰囲気は“不潔”そのものだった。
その不潔さは、悠也のものとは明らかに違う。
自分は、単に一週間風呂に入っていないから、不潔なだけだ。
不潔な状態からは、その気になれば……この部屋の風呂を借りさえすれば、すぐ抜け出すことができるだろう。
しかし、イソヤマの不潔さは長い年月をかけてその全身に溜め込まれ、積みあがり、手のつけようがないくらい染みこんだものであるように思えた。
この男が醜いのは、その姿だけではない。すべてが醜い。
「ちあきちゃんみたいなかわいい妹がおって、ホンマうらやましいわ。ボク」
「はあ」
……イソヤマは悠也のことを“ボク”と呼ぶ。
悠也は人から“ボク”と呼ばれるのが不快になる年齢だ。
でも、なれなれしく本名で呼ばれるよりはマシだった。
「お兄ちゃん、なにぼさっとしてんのん。もっと肉たべーさ。ビールも飲みーさ。タクほんまぐっすり寝てもうたな……なあ、お兄ちゃん、タクになんか掛けたって」
「ほな、あれ掛けたらええわ。そこの、赤い毛布」
イソヤマが部屋の隅を指差す。
悠也がその先に目をやると、確かに部屋の片隅に薄汚れた一枚の赤い毛布があった。それを卓郎に掛けてやれ、ということなのだろうか。
それは“優しさ”なのだろうか。
イソヤマは今、膝の上にちあきを載せている。
だから手が離せない、お前が掛けてやれ、と。
悠也は少し反感を覚えた。
その表情を、イソヤマの膝の上で笑い転げていたちあきが捕らえて、厳しい一瞥を悠也にくれた。
“動けよ、バカ”と言ってるのは明らかだった。
しかしまあ、それしかないだろう……悠也は自分に折り合いをつけて、腰を上げた
……あれ……?
ぐらり……と視界が揺れた。
部屋全体が、90度くらい反転したように思えた。
ズドン。
立ち上がったと思ったら、床に……ビニールシートを敷き詰めた床に、横倒しになっていた。
「お兄ちゃん!!……何してんの?」ちあきが大きな声で笑っている。
「……おいおい、ボク、大丈夫か?……飲みすぎか?」
方向感覚を失った悠也は、いったいどこから二人が声を掛けているのかわからなかった。
飲みすぎ……確かに、アルコールを口にしたのは今日が初めてだ。
しかし……それにしても……こんなにも世界が歪むほど、アルコールというものはすごいのだろうか?
どっちが上なのか、下なのかもわからない。
どこか遠くから、ちあきがほとんどヒステリックなまでにキャハハハハハハハ!と笑っているのが聞こえる。少々のエコーを伴って……
つるつる滑るビニールの床の上であがきながら、なんとか仰向けになる……いくつもの染みが浮かんだ、天井が見えた。
見えたはいいが……なんてことだ……天井のシミが、まるで水族館の回遊魚のようにぐるぐると回り始めた。
自分の身体は、そのシミが作るうずまきの中に巻き込まれ、どんどんビニールの床に沈みこんでいくようだ……なんだ、一体、なんなんだ。
助けを求めようと、ちあきを探そうとした……そういえば、いつの間にかあのヒステリックな笑い声が止んでいる。
どこにいる? どこにいるんだ?
……いや、イソヤマの膝の上だ……
でも、そのイソヤマはどこに行ったんだ?
……と、突然、振り回されるような視線の端に、ちあきとイソヤマの姿が引っかかった。
二人は、屠り合うように深いキスを交わしていた。
イソヤマのぶよぶよの腕が、ちあきの細い身体をしっかりと抱きすくめていた。
「………ん………」
唇をほとんどまるごと、イソヤマに吸い込まれているちあきが、鼻で息をする。
ちあきの手が、イソヤマの油染みた長い髪を掻いていた。
イソヤマの手は、両手でちあきの小さな尻をしっかりと掴んでいる。
二人を見ていると……今度は景色が妙に鮮明な輝きを持ちはじめた。
暗かった部屋のコントラストが上がり、部屋が少し明るく、二人の服の色が少し濃くなったような気がした。
悠也はどうすべきか、考えることもできない。
まるで二人は、自分などこの部屋にいないかのように唇を求め合っている。 今、悠也が見ているものが現実であるとすれば。
「………んっんんっ…んっ………」
息苦しくなったのか、ちあきがイソヤマの膝の上で暴れ始める。
しかしイソヤマはしっかりとちあきの身体を押さえつけていて、離さない。
ちあきがイソヤマの髪を激しく掴んだ。
本当に苦しいのか、必死でイソヤマの顔を引き離そうとしている……そして、ついに唇が離れた。
「ぷはっ………あっ……うぐっ……」
つうっ、とちあきの小さな薄い唇とイソヤマの分厚い紫色の唇の間に、濃厚で白濁した唾液が太い糸を引いた。
やっとイソヤマの唇から逃れたちあきだったが、そむけようとする小さな顎を、芋虫のような野太いイソヤマの指に掴まれ、また唇を奪われる。
イソヤマのもう片方の手は、ちあきのTシャツの裾に侵入していた。
ちあきの細い身体がはげしく跳ねる。
なぜ、自分はこの様をぼんやり見ているのだろう、と悠也は思った。
ちあきが、今度はイソヤマの肩を掴んで本気でその巨体を引き剥がした。
「も、もーう……おっちゃん、えっちい……変態……」口調は軽かったが、目は恐れていた。「……やめてーさ……お兄ちゃん見てるやん……」
「……見てへんって……もう床で弟と並んでグデングデンやがな……」
「え、でも、目開いてるし。こっち見てるし……」
ちあきが、ちらり、と悠也を見た。
一瞬、視線が空中で交差した。でも、ちあきの目はとても冷たかった。
そのとき……なぜだったのだろう? ……悠也のほうから思わず目を逸らせた。
「……目、開けて寝てんねんやろ……それにしても、お兄ちゃんもキレイな顔したはんなあ……」
「……………」
ちあきが、突然黙った。
悠也は恐る恐る、ちあきの顔を見た。また視線が合った。
……その目には、怒りと、憎しみと、冷たい軽蔑があった。
■
イソヤマが手を緩めたので、ちあきの身体がまるで布のようにするり、と床の上に滑り落ちた。
「あかん……」床の上に貼ったまま、ちあきも起き上がれずにもがいている。「……あかん……なんか……力が入らへん……おかしいな……うち、そんなにぎょうさん飲んだかな?」
「……まあな、いろいろとな」さも面白そうに、イソヤマがその様子を見下ろしている。「……飲んだんとちゃうか。知ってか知らずかしらんけど……なあ?」
いきなり、イソヤマがニヤリと、悠也に笑いかけた。
悠也がこれまでの13年の人生で見てきたものの中で、一番醜い笑顔だった。
「……え、マジなん?」うつ伏せにはいつくばったまま床から這い上がれないちあきが、イソヤマを肩越しに睨む。「……お、おっちゃ~ん……なんか……なんか混ぜたやろ……ビールに……もー……」
「……だいじょうぶや……体に悪いもんやないさかいに……知っとるやろ?……いつも、分けたってるあの薬やんか……キミがいつも寝る前に飲んでるアレ。アレやがな」
薬?……寝る前に飲んでいる?……一体何のことだ?
するとそんな悠也の思考をテレパシーで察知したのか、イソヤマは悠也の方を見て喋り始めた。
「なあボク。なあお兄ちゃん。キミは知らなんだかも知れへんけど、妹のちあきちゃんはごっつい苦労してきたんやで。君かて、頑張って毎日、コンビニから弁当もろてきて妹と弟食べさせてるつもりやったんかもしれんけど、まだお金は稼がれへんやろ? ……キミんちにまだ、電気がついとるのは何でや? ……水道が使えとるのは何でや? ……そりゃ、誰かが払ろてるからや。それを払ろてるのが、このちあきちゃんや」
「んっ……ちょ、ちょっと……おっちゃん……すけべ~」
イソヤマは言葉を中断するとちあきのショートパンツに手をかけて、下に引っ張りはじめた。
白地にピンクの水玉模様が入ったパンツと、それに包まれた小さな尻の肉と、小さいながらもはっきりと幼児だったころのちあきには見られなかったやわらかい曲線が、一度にむき出しになる。
「も~……や、やめてーさ~……へんた~い……」
「どないしたんやちあきちゃん……いつもは言われんでも自分からちゃんと脱ぎ脱ぎするやないか……お兄ちゃんが見とるからか?……お兄ちゃんに見られてると、恥ずかしいか?」
「べ、べつに~……あんっ!!!」
イソヤマがちあきの腰を持ち上げて……ちあきに怒った猫のようなポーズを取らせる。
抵抗できずにされるままになっているちあきは、イソヤマと、悠也を交互に睨んだ。
睨まれたとき、悠也の脳裏には、あのコンビニ裏の路地で自分を威嚇してきた、Ω型の野良猫の姿が浮かんだ。
「いつ見てもかわいいおけつやなあ……」イソヤマがちあきの尻を両手で撫でまわし始めた。「……このおけつや。このおけつで、ちあきちゃんは君んとこの電気代と水道代払っとるんや。なあボク。なあお兄ちゃん。苦労しとるんは、ボクだけと違うんやで。ちあきちゃんは、キミらんんとこのおかんがおらんようになってから、ずっと悩んで、悩んで、悩みぬいてきたんや。ボクやタク坊が、すやすや眠っとる間も、ずっと寝られへんくらいにな……そやから、おっちゃんが薬を分けてあげた。夜も、よう眠れるようになった。それで、おっちゃんのところでお風呂にも入れるようになった……ボクがブサイクなコンビニのバイトたぶらかしてお兄ちゃんがタダでもろてくる残りもんの弁当より、少しはましな食べもんも食べられるようになった……な?そやろ?ちあきちゃん」
「やっ……」ちあきが声をあげる。イソヤマがちあきのパンツを、ぺろっと剥いたのだ。「あかんって……な~……」
それでもちあきは、気だるそうだ。
「や……」悠也はそこではじめて声を出した。恐ろしくしわがれた声だった。「……やめ……ろ……」
イソヤマがむき出しになったちあきの尻をまた撫で回し始める。
「あかんことないやろ? ちあきちゃん……ほら、お兄ちゃん見とるで。お兄ちゃんに見られとるで……恥ずかしい、恥ずかしいなあ……ほんま、かわいいおけつしてるわあ……お兄ちゃんのお尻も、こんなんかな。ほら、いつもみたいにお尻振ってみ。お兄ちゃんに見せたりいな……」
「いややって……ほんま、まじ、ムリ」イソヤマを睨むちあき。「こら、お兄ちゃん……見るんやったら、見物料ちょーだいさ………んんんんっ!!!」
びくん、とちあきの尻が跳ね上がる。
イソヤマが尻の割れ目に……悠也の位置からは見えない部分に……無遠慮に指を刺し入れた。
イソヤマはちあきの肢体と悠也の表情を交互に見比べながら、指をゆっくりと動かし始める。
そのたびに、ちあきの尻や太腿の筋肉がぴくっ、ぴくっと緊張するのが見えた。
「……我慢しい……ちょっとガマンや……ちょっと恥ずかしいのんガマンするだけやないか……やってることは、いつもと同じやろ? ……ちあきちゃんかて、最近はいつも気持ちよさそうにしとるやないか……今日は、お兄ちゃんが見とるだけや……それだけやないか……ほら、気持ちええやろ………??」
「……へっ……へんっ………たい~………」ちあきが頭を振りながら、唇を噛み締めている。「……ぜ、ぜんぜん、きもちようない……っちゅーねん……あっ……うっ!!」
イソヤマが無言でちあきの尻の奥に、指を深く突き入れた。
「あ、ああっ………」“ぬぽっ”という音とともに一旦、指が引き抜かれる「……んあっ……」
イソヤマの指は、粘性の液体で白くふやけていた。
イソヤマがその指を、ちあきの顔の前に翳す。
ちあきは、ぼんやりした目でそれを見ていた。
「……こんなに、びしょびしょになってんのにか?」
「あほっっ!!! 変態っっ!!」
言われて、弾かれたようにちあきが顔を上げ、イソヤマを睨む。
と、イソヤマがのっそりと腰を起こし、食卓を回って悠也のほうに歩みよってきた。
そして、悠也の前でかがむと……濡れた人差し指の指先を悠也の目に突き出し……親指との間に糸を引かせた。
「ほら、ボク。見てみ……ちあきちゃん、こんなんになっとるで……」
「あほっっっ!」ちあきがイソヤマの背後で叫ぶ。「何さらしとんねん! 変態っ!!!」
目の前にあるイソヤマの濡れた指。
悠也は目を見開いて、それが糸を引くのを見た。
何も考えられなかった……考えられないが、身体は素直に反応する。
太ももの付け根の間のに、血が集中していくのがわかる。
思わず、太腿をぎゅっと締めてそれを堪えようとしたが、その締め付けさえ、甘美なものであるように思えた。
一体、何なんだこの男は。
一体何なんだこの状況は。
なんでこんな目に遭わなきゃならない?
何で?
それを思うと、太腿の間に、また甘美な痺れが広まっていく。
イソヤマがまた、のっそり、のっそりと食卓を迂回してちあきの方へ戻っていく。
ちあきはやはり、起き上がる力も抵抗する力もないらしい……支えられてもいないのに、猫のポーズで……尻を突き出した状態で……イソヤマが戻るのをただ、待っていた。
ちあきの視点はやはり、焦点を失っている。
「さて、と……」
イソヤマが、履いていたグレーのジャージのズボンとパンツを一気に下ろした。
赤黒く変色して突き出した、竹輪くらいの大きさの陰茎が見えた。
「え……」肩越しにそれを見上げたちあきが言う。「え~……やくそく……ちがうやん……今日はお兄ちゃんだけ、言うたやん……」
……約束……?
……何の話だ?
……お兄ちゃんだけ?……
「……そうやったっけな……ほな、プラス2万でどや」
……プラス2万?……
「……プラス、3万……」
裸の尻を突き出した姿勢のまま、ちあきが背後のイソヤマを睨み、声を絞り出す。
「……プラス、2万5000で……どないや……」
「おっちゃん、ずるいわ……今日はうちにはなんもせえへん、言うたやん……お兄ちゃん連れてきて、置いていったら5万くれる……いうたやん……そしたらうちにも、タクにも何もせえへん、言うたやん……そやから、うち、約束守ったのに……」
「うまいこと、自分のお兄ちゃんダマしといて、『おっちゃんズルい!』もないやろ……ほれ」
「あっ……」
イソヤマがちあきの尻を両手でつかみ、左右に開き……そこに顔を埋める。
湿った音がした。
ちあきの身体がさらに……弓なりに撓った。
「あっ……くっ………あ、ああっ…………あ、あかん、あ、あ、あかん……」畳の上に敷き詰められたビニールに、爪をたてるちあき。「あっ……あうっ……んんんんっ……せ、せめて……お兄ちゃんの見てないとこでしてっ……」
「あかん」イソヤマがちあきの尻から口を離した……唇とちあきの尻の奥が……さっきキスを交わしたときのように……白濁した粘液で繋がっている。「……ここで、お兄ちゃんの前でやるんや。それがわしの計画や」
「変態。鬼。『計画』、てなんや……『計画』て……」
ちあきが言った。
「鬼……?」イソヤマがトレーナーの袖で口を拭いながら言った「わしは鬼とちゃう……仏様や……それでプラス3万。それでどないや?」
ちあきがイソヤマを肩越しに睨み……ついに頷いた。
悠也のあずかり知らないところで、何らかの話がついたようだ。
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