図 書 館 ボ ー イ 【1/6】
■
「かわいいのどぼとけだね~」
仲馬さんはそういうと、ぼくの首に装着したマイクの2つのパッド部分を、のどぼとけを挟むように貼り付けた。
マイクを装着するためのベルトは首に巻きつけるタイプのもので、少し違和感がったが、苦しくはなかった。
「うふふ。なんだか猫みたい」
仲馬さんに言われて、急に恥ずかしくなる。
「鈴でもつけちゃいたいくらい」
「あっ」
ちょん、と喉仏をつつかれる。
つめたい指先に、びくん、と身体が震えた。
「……ずっとこのまだったらいいのにい……」
仲馬さんが、眼鏡の奥から……あの不思議な色の目で僕の目をじっと見る。
日本人にしては茶色すぎる、不思議な色だった。
カラコンだろうか?……でも、ちゃんと度の入った眼鏡かけてるし。
あの目で見られていると、なぜか……何もい言い返せなくなってしまう。
「これ……耳に入れて?」
差し出されたのは、引っ掛けのついた補聴器みたいなイヤフォンだった。
「…………」
仲馬さんの左耳には、すでにイヤフォンがセットされている。
僕も仲間さんに倣って、なんとか左耳にマイクを装着した。
「……かわいい耳ね」
また、仲馬さんに言われる。
「いちいち……そんなこと言わないでください」
ぼくは13歳。
“かわいい”とかなんとか言われるのに、もうかなりう んざりしていた。
「あーん……そのむくれると、とんがる上唇がまたかわいい~」
仲馬さんが身悶えしながら言う。
「……………」
仲馬さんに言われて口先を引っ込めた。
こんな子供っぽい仕草は、すぐにでもやめなければ。
意識してやめないと。
「テステス、マイクチェック1、2」
「わっ!」
いきなり、左耳のイヤフォンから、仲馬さんの声が響いてきた。
「ひゃっ!」仲馬さんも声を上げる。「こらっ! 声が大きいっ!」
「ひっ!」
こっちの左耳に届いてくる仲馬さんの声も大きかった。
鼓膜が破れるかと思った。
見ると仲馬さんは、ブラウスの袖口に向けて話しかけている。
どうやら袖口にマイクロフォンが仕掛けられているらしい。
まるでドラマなんかで見るSPみたいだ。
仲馬さんはまた小さな声で自分の袖口に囁く。
「テステス、マイクチェック1、2……聞こえる? ……感度良好?」
「んっ……」耳元で囁かれているみたいで、また身体が、ぶるっと震える。「は、はい……」
「そのマイクはね、君の声を拾うんじゃなくて、君の声帯、喉の振動をとらえて、それを音声化して送信するんだよ。だから……小声でも充分、わたしとお喋りでき るからね……はい、やってみよー」
「え、えーと……もしもし」
ぼくはできるだけ小声で喋った。
「喋るときは、喉元のマイクを押さえるようにして……それから、周りの人にヘンに思われないように……口元を手で隠して喋ってね……はい、やってみよー」
ぼくは仲馬さんに言われたとおりに、右手で喉のマイクを抑えて、左手で口を隠して小声で囁いてみた。
「聞こえますか……どーぞ」
「んん~……バッチリっ!……かわいい声っ!」
「……だから……“かわいい”とかやめてくださいって言ったでしょ……」口を手で隠しているから、もし上唇がとんがっていても、見えないはずだ。「……こ れで……いいですか」
「ずっと、そのかわいい声のままだったらいいのにい……」
仲馬さんがそう言って、マイクを通して、ふう、とため息をついた。
そのせいでまた……身体がぶるっと震えた。
ぶるっと震えるのは、今日これで3度目だった。
■
この図書館の『医学』のコーナーは4階にあった。
仲馬さんはこの県立図書館の司書で、ぼくはこの図書館の近所の学校に通う中学生だ。
だから……『医学』のコーナーにたどりつくまで、何人かの同じ学校の生徒とすれ違った。
ほとんどが上級生で、女生徒だ。
一人も顔見知りはいなかったけど……たぶん、ぼくが着ている制服を見れば、『あ、うちの学校の子だ』くらいは余裕でわかるだろう。
ぼくはどきどきしながら……マイクロフォンを隠すために首に巻きつけられたガーゼ包帯を何度も何度もおさえた。
仲馬さんが嬉しそうに巻いた包帯だ……でも……やっぱり……どう考えてもヘンじゃないか。ぼくの格好。
なんか……首すじでも切って自殺を試みたみたいじゃないか。
でも、仲馬さんに掴まれているぼくの秘密……ぼくの弱み……のことを思えば、カッターナイフか何かで、ほんとうに首筋を切って自害してしまいたいような気分になる。
しかしそれにしても……なんでこんなことになってしまったんだろう?
どこでどう間違ったのか、しきりに考えながら、ぼくは大きな螺旋式階段を登って4階を目指した。
「こちら仲馬。変態少年の様子はいかが?……どーぞ」
突然、左耳のイヤフォン(こっちは小さくて肌色をしているので、あまり目立たない)から、仲馬さんの声がした。
……変態少年って……じゃあ、あんたはいったい何なんだ。
「……言うとおりにしてますよ……『医学』のコーナーに行けばいいんでしょ……どーぞ」
「……4Fの『自然科学』のところの、奥のほうだから、迷わないように気をつけてね~……どーぞ」
くすっ、っと笑って通信が途絶えた。
つくづく……バカにされてる。
でも、なんで『医学』なんだ?
県立図書館だけあって、この図書館はとても広い。
広くて、各フロアにぎっしりと書架が並んでいる。
書架と書架の間の通路を歩いていると、まるで迷路の中を歩いているような気分になる……きょろきょろと周囲を伺いながら、ぼくはようやく『医学』のコーナーにたどりついた。
首に巻いた包帯の下のマイクロフォンを右手で喉に押さえつけて、左手で口を覆いながらつぶやく。
「……『医学』のコーナーにつきましたけど……どーぞ」
「あ、そ。迷わずに行けた?……じゃあ『医学』のカテゴリのとこ、498.1のラベルを探してね……たっくさんあるからね~……でかい図鑑のところだよ。見上げて、大きな窓があるほうの、奥から2段目の本棚だから。どーぞ」
見上げると……確かに明かり取りの、大きな窓が見えた。
この図書館はとても古いらしい……戦争の……どの戦争だかは忘れたけど、それより以前からあるとか。
全体の雰囲気は重厚で、西洋風の幽霊が出てきそうな雰囲気だった。
『医学』コーナーには、医学生か、それとも医学部を目指している受験生か、研究者だか……ふだんのぼくにはほとんど縁がなさそうな人たちの姿が、ちらほら と見かけられる。
そんな人たちはみんな、ぼくのことを怪訝そうに見た……
少なくともそのときのぼくには、そう感じられた。
「見つけた~? どーぞ」仲馬さんの声。
「い、今探してるところです……どーぞ」
自分のことを不審がっている(と、ぼくが思っている)人たちのせいで、僕はさらに小さな声でしゃべり、口を隠し、背を丸くした。
ええっと……図鑑……の……498.1……498.1……498.1……。
いろんな本があった……臓器に関する図解本、傷病に関する図解本、骨格に関する図解本、皮膚病や炎症に関する図解本……なんなんだ、このブキミなコーナーは。
手を触れるのも、おぞましいように思えた。
本についているタグをたよりに、片っ端からチェックしていく。
……一刻も、一刻も早く、こんなところからは離れたい。
そしてついに……見つけた。
仲馬さんが指定した本を…………。
タイトルは……『カラー図解:女性器の形状』
ずっしりとした、Lサイズのピザが入る箱くらいの大きな本だった。
表紙には、あの有名なダ・ヴィンチの黄金比の絵(全裸のおっさんが体操してるような、あの絵だ)があしらわれていたけど……パラリ、と開いてみると…………。
タイトル通りの物体が、写真を伴って、デカデカと、恥知らずに掲載されている。
女性器だった。
どこからどう見ても、女性器だった。
どのページをめくっても、女性器の図解ばかりだった。
なんだよこれ…………。
目眩がした。
「……見つけたあ? どーぞ」
「ひっ」
またイヤフォンから仲馬さんの声。
「……な……な……なんなんですか……これ……どーぞ」
周りに気づかれないように、喉に手を添えて慎重に話す……こ、こんなのを手にしてるところを人に見られたら……も、もし同じ学校の生徒に見られたりしたら……背中に冷たい汗がつう、と流れ落ちるのを感じた。
「……けっこう、刺激的でしょ~……いいお勉強になるわよ~ん。どーぞ」
「……だ、だから……この本をどうしろって……どーぞ」
「……………さて」コホン、と仲馬さんがイヤフォンの向こうで咳払いする。「じゃ、お勉強と行きましょうか♪」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?