処刑少女の考察道:サハラの自己評価が低すぎてツラい ~トップクラスの修道女~
サハラについては「欠けているものがある」だの「元祖おっぱい女」だの、さんざんな考察をしてきました。
彼女の生い立ちが、小説3巻の「穴の多い計画」とその綻びに表れていると。
サハラは、どこかで生きる道を間違えたのでしょうか?
ここで1件のツイートを見てみましょう。
いつの時点の光景なのかはともかく、生きる道を間違えてしまった感じはありません。別の意味で「それでいいのか」感はありますが。
小説3巻時点での欠けや綻びは、どこぞの未開拓領域へ送られたのでしょうか?
そうではない、ということを今回からは確認していきましょう。
砂漠での物語においてサハラが行き着いた命運に理由があったというのなら、その後に「あのような道」を進んでいることにも、彼女ならではの理由が見付かるはずなのです。
もちろん、登場人物の設定などについて、これが唯一の正解と断定するものでは決してありません。
どうぞ『処刑少女の生きる道』本編を読んで抱いた印象こそを大事にしていただいた上で、サハラの右手でも左手でも、好きなだけ握ってあげてほしいと思います。
あなたの精神が本編から感じたことと、あなたの魂に定着している彼女の姿。それらが循環して生み出すものこそが、あなただけの純粋で大切な物語のはずですから。
ちなみに前回までの「さんざんな考察」はこちら。
サハラの計画には穴が必要だった
サハラに常に欠けていたもの
本記事のネタバレ警告
この記事では、小説7巻までの内容を踏まえて考察しています。
特に小説3巻の多くの部分のネタバレになる他、小説7巻時点での登場人物の状況にも少し触れています。
現在、本編を読み進めている方。あるいは、情報はまず本編から得て楽しみたいという方。
まずは本編を存分にお楽しみいただいてから、この記事に帰ってきてください。
コミカライズやアニメにおいて港町リベールまでの展開をご存じで、その先をそれぞれの媒体で待っているという方も、まずは本編でのサハラの登場を待っていただくことをお勧めします。
トップクラス? それとも低迷?
まず今回は、小説3巻にあたる部分のサハラが、そもそも彼女の主観で語られているほどには弱くもみじめでもないという話をします。
地の文はサハラ視点と思われますので、このように修道院時代の自分を認識しているということです。
ところが、そのメノウにいわせると次のようになります。
成長が早々に止まって低迷していたのか、トップクラスだったのか、どっちなんだよ?
どちらも正しいのです。
比べる相手が間違っている
早熟気味だったサハラは、成長していく過程では間違いなくトップクラスというか、トップだったのでしょう。
体の成長が追いつかれてきたことと、メノウには『陽炎』の個別指導があったため、やがて追い抜かれたことも確かでしょう。
小さなモモには何度も綺麗な顔をボコボコにされたことでしょう。
おそらく、それだけです。
メノウとモモに次ぐ第3位なら、めでたくトップクラスです。
比べる相手が間違っています。
例えるなら、全国大会でも屈指の選手のはずが、同じチームの同じポジションに異世界から転生したチート主人公がいたために控え選手だったようなものです。
とはいえ、それは読者視点の結果論。
サハラ自身にとってみれば「メノウやモモとは比べずに自分のペースで訓練を積めば、充分に特別な神官になれるはず」などという客観的な未来予測はできるはずがありません。
焦って、不満を抱いて、モモに殴られていれば、成績も低迷してしまったことでしょう。
ちゃんと強いと書かれている
そもそもサハラの強さについては、実は彼女自身が語っています。
まず、移籍先となった普通の修道院について次のように回想しています。
神官は厳しい訓練を突破し、小説5巻で聖地に侵入したような魔物数匹には遅れを取らない存在です。それを目指すこともできるとなれば、それなりの訓練はあったことでしょう。
とはいえ処刑人の訓練に比べれば苛烈とはいえない程度であったわけです。
そこで「特に頑張るまでもなく自尊心が満たされる評価を受け取れた」数年間を過ごした後、『絡繰り世』防衛線に志願しています。
魔導兵との戦いや、大規模な戦争が千年近くない世界の住人がいう「戦場」が、どの程度のものなのか、はっきりとはいえません。
とはいえ、小説1巻で列車を暴走させた騎士型や、オーウェルを守っていた天使型の魔導兵、また作中の各所で描かれる戦闘の様子から考えると、やはり命がけの戦争を想像するのが自然なように思います。
そのような戦場でサハラは通用し、生き延びています。
何年も苛烈な訓練などしていなかったというならば、メノウたちと別れた幼少期の時点でどれだけ強かったのかということです。
奇妙な声が聞こえるような敵陣奥へも一人で行って戻ってこれていますし、ゲノム・クトゥルワに挑んだということは、彼がいる所まで進んでいけたということです。
逃亡後も「強行軍」といっており、休息や補給を教会に頼れない状態で未開拓領域を踏破したと思われます。
それでも低い自己評価
それでも、彼女自身の回想によって語られる過去は、自己嫌悪に満たされているため、読んでいて切なくなるほどです。
「マノンの強さと母の想い」で考察したようにマノンの母親なども自己評価が低い人物と思われるのですが、サハラは筋金入りです。
幼少期に、トップだったところから追い抜かれたことも、ずっと影響しているのでしょう。
早熟で周囲より体も大きく勉強も分かり運動も有利な時期があると、その体験が自分の「合格ライン」になってしまい、以後は何事も「こんなはずじゃなかった」と思うことがあるのです。私も田舎の小学生だった頃が人生の絶頂期だったので、よく分かります。
メノウの姿をした魔導兵に変わったサハラは、リボンだけをつけていませんでした。
自分の服であった布もまた自己嫌悪の対象だったのか。
それとも、サハラからはぎ取られた服だということを知らずに単にモモからの贈り物として着け続けているというその点が、理想のメノウ像には要らなかったのか。
自分の身に着けていた物をメノウが使っているのを見ることに、そしてその時に湧いて来る感情に、耐えられなくなったのか。
噛めば噛むほど美味しい百合要素……いや、何重にも解釈ができそうな部分です。
そのような自己嫌悪の窮まった状態で描かれているのが小説3巻の回想なので、それは客観的な記録とは異なります。
サハラはトップクラスに優秀な神官候補だったのです。
この調子で次回は、小説7巻までの彼女の強さと魅力を引き出します。
グリザリカの塔の町に集い、我らの総督を讃えましょう。
サハラの愉快な性格が教えてくれるメノウの本質
再会した後、サハラはメノウからこのように見られています。
メノウの主観で使われる「普通」という言葉には特別な意味がありますね。
このように言って彼女は、「普通」の人たちのために、苛烈な訓練と任務を続けてきたからです。
そうです。メノウという人物は「人当たりが厳しくて、他人を蹴落とすことをためらわず、自分のことを目の敵にしてきた」そんな同期のことを今でも、それで「普通」だと考えているのです。
そういう「普通」の人たちのために自分が犠牲になると決めたのです。
だから、普通の修道院に移った後に人あたりのよさが自然なものになって、飄々とした仮面をかぶっている、そんなサハラを見ると、意味不明でギャップに悩んでしまうんですね。
一方のサハラは「特別」な人になりたいと願い、もがいていました。
二人が、すれ違っていたのか、それも含めてメノウの側が包み込んでいたのか、あるいはこれはこれで噛み合い高め合っていたのか――どうなんでしょう。教えて導師。
そして【器】の【憑依】を受けた際にメノウは、そんなサハラの過去や心情を直に全て見たものと思われます。
これ、小説5巻でメノウとアカリが行う導力の相互接続と同じ効果が得られていないでしょうか。
一時的かつ一方通行ではありましたが。
生き延びてしまったサハラが「死にたい」と口にするのも分かります。
それでも、おそらくメノウは「それが普通だ」と感じているものと思われます。教典になったサハラとの会話でも、導力生命体になってしまったこと自体は禁忌と言うものの、それまでの行動やメノウへの感情については一言も責めたり弄ったりしていません。
サハラも大変です。これではますますメノウのことが嫌いになってしまいます。
好きの反対は無関心ですからね。
お読みいただき、ありがとうございました。
『処刑少女の考察道』では本編から材料を拾い上げて、登場人物たちの設定についてより深く楽しむきっかけになれるような考察をしていきたいと思います。
それによって『処刑少女の生きる道』の魅力がより多くの方々に伝わることを目的としています。
更新はTwitterでもおしらせします。
イラスト素材:シルエットAC様、イラストAC ヨツバヒトミ(しばらぶ)様
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?