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処刑少女の考察道:サハラに常に欠けていたもの

 義腕の絡繰り修道女サハラ。

 彼女の「とある計画」は『処刑少女の生きる道バージンロード』における他の重要人物の行動と比べても穴が多く、そこには意味があるはずだと「サハラの計画に穴は必要だった」では考察しました。
 そして彼女の出自から処刑人を育てる修道院での日々までを振り返ってきました。

コミカライズ2巻 第12話©Mato Sato/SB Creative Corp.
主人公メノウの犠牲によって移籍を許される修道女たち。
この中にサハラもいるはず。

 今回は、彼女がメノウたちの修道院を離れてから再会するまでを考察した上で、前回の内容と合わせて見えてくるものがあるか考えてみましょう。

 もちろん、登場人物の設定や作者の意図などについて、これが唯一の正解と断定するものでは決してありません。
 どうぞ『処刑少女の生きる道』本編を読んで抱いた印象こそを大事にしていただいた上で、あなたのサハラをもっと愛していただけたら嬉しく思います。

 本編をあなたの精神で感じることで、あなたの魂に投影された立像。それこそが、あなただけの純粋で大切な、彼女の物語のはずですから。


本記事のネタバレ警告

 この記事では、小説7巻までの内容を踏まえて考察しています。

 特に小説3巻の多くの部分のネタバレになる他、小説7巻時点での登場人物たちの状況にも触れています。

 現在、本編を読み進めている方。あるいは、情報はまず本編から得て楽しみたいという方。
 まずは本編を存分にお楽しみいただいてから、この記事に帰ってきてください。

 コミカライズやアニメにおいて港町リベールまでの展開をご存じで、その先をそれぞれの媒体で待っているという方も、まずは本編でのサハラの登場を待っていただくことをお勧めします。


仲間もいない

同話より
普通の修道院へ移ることを希望したサハラは
「普通に暮らす」ことを許され、救われたはずだった。

 地方の教会で、サハラはまずまずの優等生になれた。優秀な若手だと、ニ十歳前後には神官服が与えられるだろうと言われた。特に頑張るまでもなく自尊心が満たされる評価を受け取れた。
 そうなると意地の悪さも引っ込んで、サハラの人当たりのよさは自然なものとなっていった。
 穏やかともいえる日々を過ごしていた時、メノウの噂を耳にした。

小説3巻5章よりサハラの回想
著:佐藤真登/イラスト:ニリツ GA文庫/SBクリエイティブ刊

 ようやく幸せな日々を手に入れたかにも見えます。
 しかし修道女として信仰を拠り所にしたわけではありません。

「私は、『主』と【使徒エルダー】は別物だと思っている」
「ふうん?」
「どちらも、もっとどうしようもないものだと思っている」

小説3巻3章よりサハラとメノウの会話

 また、小説7巻の時点での彼女について次のように語られています。

 彼女は人の心に寄り添うことに、慣れていない。誰かを愛したことがない。口先以外で褒めたこともない。他人を必要としたこともない。

小説7巻4章よりサハラ視点の地の文

 表の世界の聖職者として活動しながらも、彼女には結局このような経験が訪れなかったのです。

『絡繰り世』防衛線に赴いてからも同様ということになります。
 実際、敵陣奥で奇妙な声を聞いた時も、ゲノム・クトゥルワに挑んだ時も、サハラは一人で行動していたようです。

 東部未開拓領域から逃げ出すまでに、誰かに相談した描写もありません。
 そこで古株だった神官は、サハラの腕を見ただけで容赦なく殺すよう号令しています。
『絡繰り世』の浸食から救う手立てが通常はないのだとしても、責任を持って自分が対応するというような存在も現れません。

 信頼のおける戦友や上官といった存在に、ここでも縁がないのです。

 裏切っても、間違っても、たとえメノウが禁忌にちたとしても。処刑人としての道を踏み外した時、必ず罪を罰として裁いてくれる人がいる。
(中略)
 メノウにとって天罰に等しい存在が、悪になった自分へ、正当な罰を必ず下してくれると絶対的に信じられる。

小説4巻5章よりメノウ視点と思われる地の文

陽炎フレア』に導かれたメノウとは、どこまでも対照的なのです。


ともに歩んでくれる人のいなかった道

 導いてくれる親がなく、教えてくれる師を得られず、信仰にもすがれず、仲間や上司とも繋がれず、そして愛する相手もいなかった。

 これがサハラが計画を立ててメノウと接触するまでの半生です。
 ただ「苦労した」「上手くいかなかった」というだけでなく一貫して、導いてくれる存在や共に歩いてくれる存在が欠けていることが分かります。

 それが「計画の穴」とどう関係があるのか?

 それは、本作が「バージンロード」の物語だからです。

 多様な形の結婚の儀式があって良いと思いますが、その中には、花嫁が家族やパートナーにエスコートされてバージンロードを歩くという形式があります。

 メノウ、モモ、アーシュナ、オーウェル、マノン、そしておそらく『陽炎』にも、生きる道バージンロードをエスコートしてくれる存在がいたと思います。
 だから歩く姿は真っ直ぐで美しく見えます。例えその道が赤黒くても、その先に何があったとしてもです。

 対してサハラは、真っ直ぐに美しくは歩けないのです。
 彼女の道には抜けや綻びがあり、穴がなければならない。
 それが、この物語において他の登場人物とサハラとを明確に分ける表現として、必要だったのだと思います。

 ちなみに上のイラストでも見られるように、このような形式でエスコートされる側が相手と組むのは右腕なんですよ……。

だからもう、どうしようもない。

小説3巻5章より

 けれど、ネタバレ警告を越えて本記事を読んでくださっている皆さんは、ご存じのはずです。
 彼女がその後、少なくとも小説7巻時点で、どうなっているのかを。

 ホントどうして、何をどうしたら、こんな彼女が、豪勢なソファに寝っ転がって高級な菓子と退屈を貪り、人外の見本市のような仲間たちを従え、慕って集まった人で町まで興るようなことになってしまうのか!

 次回は、どうしてサハラはこんなに好かれるのかを徹底的に考察していきます。ひたすら褒めます。安心して待っていてください。

 それでも今回はキツい内容だったように思うので、最後にあまりにもバカバカしい考察を一つ、オマケで付けておきますね。


元祖おっぱい女

 モモは、どうしてアカリを「おっぱい女」呼ばわりするのでしょうか?

「よくぞまあ、ここまで騙してくれたもんですよ。このおっぱい女が」
「むかつくあだ名はめてくれないかな。人の身体的特徴をあげつらった呼び方って、最低だと思うんだ」

小説3巻3章よりモモとアカリの正妻戦争

 そうです。アカリは嫌がるでしょうし、それはモモの望むところでしょう。
 しかしモモがアカリに対して直接この呼び方を使ったのは、この時が初めてです。

 小説1巻、メノウがアカリをグリザリカ王城から連れ出した時点から、モモはメノウとの会話の中で「おっぱい女」という言葉を使っています。

コミカライズ1巻 第4話より
処刑対象の異世界人だからといって罪はないことは二人の共通認識のはず。
でありながらモモがメノウの前でこの言葉を使ってしまう理由は……

 先述の通り、作中で描かれた範囲ではありますが、モモの修道院時代の嫌な思い出には大抵サハラが関わっています。まあサハラにとっても、とんだ黒歴史になったようですが。

 そしてサハラは早熟気味だったと本人も回想しています。

単純に、早熟気味だったサハラの成長が早々に止まっただけである。

小説7巻5章よりサハラ視点の地の文

 サハラが修道院を去って以来、およそ十年ぶりか。顔を合わせたモモが、サハラをはっきりと目視して言う。
「誰ですか、あんた」

小説5巻3章より

 つまり、モモはサハラの顔は覚えていないものの、早熟気味の嫌な奴がいたということだけは印象に残っているため、その部分に注目してアカリのことを呼ぶのでは――ということです。
 モモにとっても無意識に警戒心が表れるからなのか、それともメノウにそれとなく警戒を促すための計算なのか、はっきりとは分かりませんが。

 いずれにしろサハラにとっては失礼な話ですね。
 ごめんなさい、元祖おっぱい女。私は好きです。


(追記)モモがサハラを覚えていないかのように振る舞ったのは単なる「煽り」かもしれませんね。

 お読みいただき、ありがとうございました。

『処刑少女の考察道オタロード』では本編から材料を拾い上げて、登場人物たちの設定についてより深く楽しむきっかけになれるような考察をしていきたいと思います。
 それによって『処刑少女の生きる道』の魅力がより多くの方々に伝わることを目的としています。
 更新はTwitterでもおしらせします。

写真素材:写真AC メイプル555
イラスト:イラストAC acworks 様・クニコ925


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