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「ブリコラージュ」という概念から学ぶもの

今日は安倍元首相の訃報という衝撃的なニュースがありました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
まだ情報も少ないので多くは語れませんが、言論や民主主義を暴力で封じることは誰かを幸せにするのでしょうか。考えさせられます。

note更新が遅れ、連続投稿が途切れても書けるときに投稿する(やめてしまわない)スタイルでいこうかと思います。
今回は書き溜めて途中になっていたものです。

「ブリコラージュ」という概念

最近、ブリコラージュという言葉に出会いました。
この概念が面白く、関心したのでまとめてみます。
「ブリコラージュ」とは、フランスの文化人類学者によって唱えられた概念で、その場で手に入るものを寄せ集めて新しいものをつくるという考え方です。
対照的となるのは「科学的思考」で、あらかじめ設計したものを論理的に設計図に基づき組み立てるということになります。
ブリコラージュで創作される元になる要素は、本来の目的や用途と異なる形で転用されることが多く、その場の環境に合わせてあらゆる意味を持った原料に姿を変えます。

例えば、私が夕食のカレーを作る際には、スーパーで肉、じゃがいも、にんじん、ルーなどを計画的に買い、ルーのパッケージの裏に書いてあるとおりの作り方をすることで美味しいカレーにありつけます。
対して、妻が日々の料理をする際には、まず冷蔵庫の中を開けて賞味期限の近い食材やその時食べたい野菜などを吟味し、それぞれのバランスを見繕いながら最終的な料理に仕上げてしまいます。
妻がやっていることは、まさにブリコラージュと言えます。
長いこと冷蔵庫に忘れられ、痛み始めているトマトは、鶏肉のトマト煮が出来れば鶏肉(主役)の助演として大活躍します。
何か上手いこと例えられませんが、既に自分の周りにあるものを有効に使い新しいものを作ってしまうというということです!

ブリコラージュから学ぶもの

私はこの概念を知ったときに、このモノに溢れた現代社会においてとても重要な考え方なのではないかと感じました。
思い返せば、常に何かを手に入れるために、必要な新しいものを取り揃えるということを無意識にやってしまっている気がしました。
ブリコラージュは、京都人の言う「しまつする」という感覚にも近いのではとも考えられます。
余り物も大切に残しておき、いざという時に別のものに形を変えたり役割が変わって使い切られていく。
そんな精神性やサーキュラーエコノミーとしての世界的な潮流を感じずにはいられませんでした。

制約や不完全が生む文化

また、これを整理していてすごいことに気づきました。
基本的にはブリコラージュ(ブリコール)する際には、100%欲しいものが手に入るとは限りません。
自分の周りにあり、用意できるものの中から可能性を吟味し、それを集めていくという目利き作業や創作性が必要になります。
しかも、出来上がったものは1から設計して必要なものを取り揃えた場合と比較して、不完全である可能性が高いと言えます。

そんなある種の「制約」や「不完全さ」が、人々の文化的な美徳や価値観に昇華していったのでは・・・と私は考えました。
例えば、江戸時代に生まれた日本の裂き織り技術(=古い繊維を横糸として織物に使う手法)もそんな日本人の感性から生まれたのではないでしょうか。
勝手に想像を膨らませていますが、間違っていたら誰か教えてください・・。

今や世界中でSDGsやサステナブルへの関心が高まっていますが、このような昔からある概念から改めて学ぶものは多いと感じます。

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