ロシアウクライナ情勢で思い出すレントゲンレコード

60年代のウッドストックからはじまり音楽が世界を変えた!!なんて事は歴史では度々叫ばれておりますが
そんなことも言われなくなった昨今にロシアとウクライナの情勢で思い出すこと。

それがこの
レントゲンレコード

BONE MUSIC。
日本では肋骨レコードなんてもいう代物です。

これがなんぞやーと言う話なんですが
皆様おなじみのレントゲン写真。

そう、アイツですアイツ。
病院で撮ったら光の板に病院の先生がくっつけてみせてくるまさにアイツ。

アイツに音楽が録音されているという代物。

レコード→カセット→CD→ときて、いまやフィジカルなものではなくスマホのサブスクで音楽を楽しむ時代なのでピンとこない感じもあると思うのですが
時はかつてのレコードの時代。
舞台は現在ロシアだウクライナだで話題の旧ソ連。

結構ロックなエピソードとしてごちゃまぜに語られる事も多いので平たくかつ簡単なお話にまとめたいなと思うわけですが

全ての始まりは1940年代。

たった一人の男です。

ルスラン・ボフスラフスキさんって人がですね、いまでいうディズニーランドやUSJやピューロランドで買わされるアトラクションに乗ってるときの写真みたいなもんを売ってるお土産屋さんで(声を録音してその場でレコードに焼いて売っていた店)
で、当時ロシアで禁じられていたタンゴが店で流れているのを聞いて惚れ込んじゃって
そのレコード欲しいんや!と言ったら今はアカンけど閉店後やったらええで!!と言われて店じまいした後にそのお土産の声を録音する機械で焼き増ししてもらったそうな。

で!

その後ボフスラフスキさんって人はですね、執着心なのか好奇心なのかその店にあるレコード製作機の寸法をこっそりと測り、友達にちょいと手伝ってもらってなんと

レコードのカッティングマシーン(レコード作る機械)

を、自作してしまったのです。


が、それを記録するためのメディア(今で言うCDRとかUSBとかSDみたいなもん)は手に入らなかった。

そこで!!!

病院や診療所から出た使用済みのレントゲン写真を売ってもらったりゴミ漁りして拾ったレントゲン写真をレコード盤の素材として使ったのです!!!(迫真)


ちょっと何言ってるかわかりませんね、わたしもわかりません。

で、まあ当時はいまのロシアの姿を見ても想像がつく通りで
民衆は音楽を自由に聴くことは出来ませんでした。

ましてや敵国アメリカの音楽なんぞ言語道断。

ジャズやロックを聞くことなんて当時のロシアの人々は出来なかったわけです。

ところがどっこい。

ドイツが東西にわかれてた時もカセットテープに録音して密輸してたなんて人がいましたが
どっからともなく入ってきたわけなんでしょうか。
そんな音楽だったり自作の音楽をレントゲン写真に焼きましし始めたわけです。

四角いレントゲン写真をレコードみたいにするためにレントゲン写真をハサミでまーるく切って真ん中の穴はタバコで開けていたそうな。

で、自らのことをGolden Dog Gangと名乗っていたそうです。

が、案の定見つかり捕まります。
豚箱に入れられます。

が!
スターリンが死んだ恩赦で3年で釈放された彼らはまた制作を始めてしまう。
時に1950年代です。

で、こっからややこしい話なんですが
当時ソ連がプロパガンダで使っていたレコードをつくるカッティングマシーンの横流しがその頃にはあったそうで
それらを入手した人達によりどっからともなく入手したロックやジャズ、アメリカ音楽の焼きまし文化が大きくなっていったそうです。

そう、レントゲン写真をつかった。

それが60年代も続きビートルズだなんだというのもロシアの人々はレントゲンレコードでこっそり聴いていたそうです。

勿論、作った方も買った方もそれがバレたら身の安全は保障されない状況で。

それらはロシアやウクライナにこっそりと広く流通して当時のソ連の人々は自由のない中、音楽に触れることが出来たんだそうな。

と、いうお話でした。(眠い、いま5時半)

聴衆側のロックなお話。
そして我々は自由に音楽がきけてありがたや〜。


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