ヒーローは作られるものか

昨日「Jリーグ非公式勝手未来ミーティング」で、One Championshipの日本代表を務める秦アンディ英之さんが「ヒーロー作り」という言葉を使って、選手の試合に向かうまでのストーリーを伝える大切さを説明されていた。

僕はアンディさんが語っていた「ストーリーを伝える大切さ」については賛成するものの、「ヒーロー作り」という言葉には違和感をおぼえた。なぜなら、ヒーローは作られるものではないと思っているからだ。少しとりとめもない話になるが、許して欲しい。

日本語の「ヒーロー」と英語の「Hero」の違い

前提として話しておきたいことがある。日本語の「ヒーロー」と英語の「Hero」という言葉では、微妙に定義が違うと感じる。

たまに外資系企業の資料には「Hero」という言葉が登場する。ただ、資料の中のヒーローはスタープレーヤーのことを指すのではなく、やるべき事をやり、成果を出した人の事の指すと僕は理解している。しかし頭では分かっていても、僕個人の「ヒーロー」感とは違うので、違和感をおぼえる。推測だが、そう感じる人は他にもいるのではないか。

ホーホケキョとなりの山田くん」という映画では、月光仮面のお面をかぶって人を助けようとしたお父さんが人を助けられず悲しそうな顔をするシーンがある。松本人志さんの「大日本人」には、人に愛されず、妙に生活感があるヒーローが登場する。海外だと「スパイダーマン」もヒーローであることに苦悩する主人公の映画だ。「ダークヒーロー」という言葉を最近聞くようになったが、ヒーローには光もあるけど、陰もある。そう感じる人は、少なくないと思うのだ。

メディアがヒーローを潰してしまった事例

「ヒーロー作り」という言葉に違和感をおぼえたのは他にも理由がある。それはメディアが「ヒーロー未満」のアスリートを取り上げ、ヒーローになる前に潰してしまった例がたくさんあるからだ。

ストーリーを伝えるということは、ここまでの道のりや登ってきた階段の高さや数を伝えることでもある。突然ヒーローとして扱われると、戻りたくても戻る階段がないし、どうやって登ったかも分からないから戻れない。落ちるか登るかとなり、落ちてしまった人は少なくないと思うのだ。アンディさんはストーリーを伝えることについては、歩んできた道のりを伝えることだと話してくれたが、それでも「ヒーローを作り」という言葉に対する違和感は拭えなかった。僕が感じた違和感は「日本と海外のヒーロー感の違い」と「メディアによって作られたヒーローの脆さ」からきていると思う。

ただこの話はさじ加減が難しい。人に知られなければ支援も受けられない。ヒーローがいるから成り立つ業界もあるだろう。注目されることで、大きく成長する人もいる。こういうときは、こうすれば良いというマニュアルがある話ではないのだ。悩ましい。

ローカルヒーローと聞いて思い出したこと

Jリーグ非公式勝手未来ミーティングでは「ローカルヒーロー」という言葉が出てきた。僕が「ローカルヒーロー」という言葉を耳にして、真っ先に頭に浮かぶのは大泉洋さんだ。北海道でしか放送されていなかったテレビ番組「水曜どうでしょう」の大ヒットをきっかけに、少しずつ他地域でも活動を増やし、水曜どうでしょうの人気の高まり、所属する「TEAM NACS」というユニットの成功、マネジメントオフィスの的確なプロデュースなど、様々点が重なり、今や多くの人に知られる俳優として大活躍を続けている。

大泉さんと同じ北海道出身のローカルヒーローとして頭に浮かぶのは、Tha Blue Herbだ。1MC1DJというライブのスタイルを頑なに守り、人の心を揺さぶるリリックとビート、そして地道な活動を積み重ね、北海道に限らず、多くの人に支持されている。Tha Blue Herbに関しては、ライブも音源も自主制作を貫いている。その姿勢も多くの人の支持を集める理由だ。

大泉さんもTha Blue Herbも、多くの人々から支持されるまで、地道に積み上げてきた日々がある。急に人気が出たわけではないし、多くのファンはその事を知っている(「水曜どうでしょう」は大泉さんの成長過程をそのまま放送したコンテンツともいえる)。メディアができることは、ストーリーを作ることではなく、引き出すことではないのだろうか。無理やりに虚像を作り上げるのではなく、等身大の強さを引き出す。そんな取り組みが求められているのだ。

ヒーローとリーダーシップ

では、ヒーローとはどんな存在であるべきか。僕はこれは「リーダーシップ」の定義と似ていると思っている。聖人君子として、自らが全てを司り、周りの人間を意のままに動かし、正解を提示し続ける。多くの人が「リーダーシップ」という言葉に感じている事のような気がするが、僕は違うと思う。

長尾彰さんの著者「宇宙兄弟 「完璧なリーダー」は、もういらない。 」では、リーダーシップについてこう書かれている。

リーダーとは、「選ばれた優秀な人間」ではなく、リーダーシップを発揮している人のこと。

ヒーローは完璧な存在ではなく、困難な状況に陥っても、知恵を使い、身体を使い、時に周りのサポートを得ながら、少しでも前に進もうとする人なのではないか。ときには愚痴を言うかもしれないし、ときには間違いもおかすけど、間違いを認め、前に進む姿勢をみて、他の人はサポートを強め、ヒーローと認めるのではないか。僕はそう考えている。

僕は、Mr.Childrenの「Hero」という曲の歌詞が、ヒーローという存在の定義そのものではないかと思っている。

「ヒーローになりたい ただひとり君にとっての」

誰かのヒーローになりたい。そう思った時に、人は自分なりのヒーローになれる資格を持ったと言えるし、作るものではない。僕はそう考えている。

アンディさんは、こんなことを踏まえて、「ヒーロー作り」という言葉を用いて話してくれたような気がしたので、老婆心と思いつつ書いてみました。

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