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書評「どこから来たのか どこへ行くのか ゴロウは?」

僕はスタジオジブリの作品が大好きだが、もし過去のスタジオジブリの作品を手掛けた監督の中で「天才」だと思う人がいるとしたら誰かときかれたら、宮崎駿でもなく、高畑勲でもなく、宮崎吾朗だと答える。天才の定義には諸説あるが、人より短い時間で技術を習得したり、やったことがない事でも難なくこなす人のことを天才というなら、宮崎吾朗は天才だと思う。

宮崎吾朗が天才だと思う理由

なぜ宮崎吾朗は天才だと思うかというと、宮崎吾朗はアニメーターの経験がなく、いきなり「ゲド戦記」の監督になったからだ。監督になる前は、建設コンサルタントとして公園緑地や都市緑化などの計画、設計に従事していた。未経験者がいきなり監督ができるほど、アニメーションの世界が甘くはないのは誰もが知っている。もっとよいデビューの仕方はあったと思うし、このデビューによって宮崎吾朗という監督の実力は正しく評価されていないのではないかと感じているが、いきなり監督をやり、できてしまったというのは、宮崎吾朗の凄さを証明している。そして、「ゲド戦記」も、「コクリコ坂」も、公開した年の興行成績第1位を獲得している。スタジオジブリのブランドだけで獲得できたわけではないと思う。

そして、宮崎吾朗はジブリ美術館の初代館長として、サツキとメイの家の監督として、現在建設中のジブリパークの監督として、建設コンサルタント時代の経験とスキルを活かして活躍している。アニメーション監督ができても、リアルに世界観を表現出来る人は多くはない。

ただ、宮崎吾朗本人は自分のことを多くは語らない。あくまで作品が全てで自分の考えは作品に込められていると言いたいのか、これまで表立ってメッセージを発信する機会は少なかった。

そんな宮崎吾朗に関する書籍が出版された。本書「どこから来たのか どこへ行くのか ゴロウは?」は、タイ在住のKanyadaさんの写真と上野千鶴子さんのインタビューによる2部構成で、宮崎吾朗がどんな人で、何を考えているのかをまとめた書籍だ。

上野千鶴子さんのインタビューが素晴らしい

本書はKanyadaさんの写真も素晴らしいのだけど、特に上野千鶴子さんのインタビューが素晴らしい。宮崎吾朗が作った作品をここまで深く理解した批評を僕は初めて読んだ。音声も公開されているのでぜひ聴いて欲しい。

上野さんは、フェミニズムについて舌鋒鋭い批評家としても知られているが、本業は社会学者。社会を鋭く分析する目が、的確に宮崎吾朗という監督の作品を分析している。

上野さんによると、ゲド戦記は「主人公は父殺しで故郷に戻れず、テルーという女の子も被虐待児だから故郷には戻れない。あそこに出てくる主人公たちはふるさとを失った放浪者たち。そういう設定の中で既存のジブリ作品からの引用が散りばめられている。いわばお家芸の継承と後戻りしない」という出発の宣言した作品なのだという。

ココリコ坂は「あの映画はいったい誰に向けて作られたのか分からない。同じ時代を生きていた団塊世代の観客にとっては、その時代の気分が投影されていれば、懐古趣味で受けるかもしれないけど、そこに吾朗さんが監督をするモチベーションがあるとは思えない。だから、これは鈴木敏夫プロデューサーの趣味だと思った」と批評した上で、こう続けます。

「ジブリのお家芸として、宮崎駿が作るファンタジー系のアニメがあり、もう一つに「火垂るの墓」のような家族ドラマ系列がある。その2つを作るという課題をクリアした」とも言える、と。

そして「山賊のむすめローニャ」は、CGというツールを採用したことで、前の世代からの介入の余地が狭まり、自分のやりたいことができるようになったという手応えを得たのではないか、という批評は的を得ている。あの作品は傑作だと思う。だからこそ、2020年12月にNHKで放送される「アーヤと魔女」は、課題をクリアし、自分のやりたいことを実現するツールを手に入れた宮崎吾朗が、ついに本領を発揮した作品なのかもしれない。今から楽しみだ。ポスターのコピーがこの作品が位置づけを示している。

わたしはダレの言いなりにもならない。

宮崎吾朗の全盛期はここから

本書を読んでいると、宮崎吾朗という映画監督の全盛期はここからなのではないかと思えてくる。修行期間が終わり、自分のやりたいことを実現するツールを手にし、宮崎駿と高畑勲という強烈な個性と世界観を提示した監督のあとに続くものとして、どんな作品を作るのか。

多くを語らない天才の、これまで語られてこなかった心の内側が垣間見える作品。読み応えありました。


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