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ドアノックの話

ドアノックをして在室確認を行う文化は、いつから生まれたのでしょうか?
会議室やお手洗い等で日常的に行われる行為ではありますが、現代のようなマナーの意味を持つようになるのは近代になってのことです。

かつてはドアがなかったり、叩いても頼りない藁葺や引き戸の扉が多く、ドアノックには向かないドアが多かったのです。

そして、ドアノックとは「うち」と「そと」を巡るコミュニケーションの図り方の変遷であるとも言えます。

今回は文化様式の変遷に伴うドアノックの形式変化について、お話していきます。



①門戸を叩く


そもそもドアはいつ頃からできたのでしょうか?
日本での、家に設置する扉の成立は飛鳥時代頃ですが、門の成立はそれよりも古く遡ります。
それまでは外敵から村を守るべく、外濠で村を覆い、村に通ずる数か所の道には門を設置していました。
門に求められた一番の役割は、外敵の不意の侵入を許さないことでした。部外者を安易に村に侵入させ、略奪や殺戮を行わないよう「うち」と「そと」を明確に区分したのです。

外敵が跋扈する一方で、官吏、貿易商、情報屋など村に有益な存在や、親しい仲の隣人など訪問者の存在もあります。

こうした人々は、村に入るために門を叩いて自分の存在を知らせたのです。この時代のはドアノックは、自分の存在を知らせることがその役割です。
門戸は叩けば叩くほどよいとされ、躍起になって叩いていたとされています。

村に入ることは、その村のしきたりに従うことになるので、転じて、門戸を叩くとは志願してその教えを学ぶこととした慣用句として現代まで残ることとなります。

②公共施設と公衆便所


中央集権的な大和朝廷が成立すると、政庁や大規模な寺院などに多数の人が多くの時間を過ごすこととなります。こうした施設は誰でも利用可能な便所を備えていました。

便所で声をかけることはパーソナルスペースを侵害する大変不躾なこととされ、壁を叩いて自分が便所を利用したいことを主張したとされています。
壁を叩くといっても、便所には扉がないため相手の表情と叩き具合でなんとなく意思疎通してたのです。
明治時代に近代的な洋式便所が成立するまで、便所はほとんど変遷がなく、扉のない施設として認識されています。すなわち、明治時代まではドアノックではなく壁ノックで便所の在室確認を行っていたとも言えます。

便所以外ではドアノックに値する行為は見られませんでした。伝統的な日本家屋は空間を襖で区切ることから、叩くと穴が開く可能性があったのです。また、玄関ドアについても叩くことは想定しておらず、大抵は呼び出しベルに相当するものがいつの時代も置かれていたため、玄関ドアをノックする行為も見られませんでした。

公衆便所の設立は、ドアノックを「自分の存在を知らせること」から、「非言語コミュニケーションの手段」へ進歩させたのです。

③モールス符号によるドア越しの会話


明治時代に入ると、便所に扉が設置され、排泄行為を人に見せることが恥だとする文化が根付きます。
これまでは壁を叩くこともありながら、実質的には表情を見ながら行うコミュニケーションでした。

扉が設置されたことで、「うち」と「そと」が完全に区分されると、ドアノックを手段として扉越しの相手に意思疎通を図ろうとします。
モールス符号による情報伝達です。「そと」から「うち」への情報伝達だけではなく、「うち」から「そと」へとコミュニケーションを図ることもありました。

便所でモールス符号を活用したドアノックによる意思疎通が活発化すると、便所は騒がしくなり落ち着いて用を足せる場所ではなくなっていきました。

便所が静かな空間となるのは、便所での非言語コミュニケーションが集会・結社の温床となることを危惧した警察が、治安維持法を理由に便所での静粛を要請するときまで待たねばなりませんでした。

治安維持法による統制があった後、ドアノックは、1960年頃までは市中では誰もする人がいない状態でした。

④就職活動とマナーとしてのドアノック


1960年頃になると、日本社会では大卒者の新卒一括採用がスタンダードになっていきます。またリクルートなどにより就職活動、面接なども標準化されていき、細かい所作のひとつひとつに理由とマナーが結び付けられていきます。

ドアノックがマナーになったのもこの時期でした。
日本では便所での在室確認くらいにしか使われなかったドアノックが、この時代に居室の入室許可を求める意義で使われ始めます。

ノック回数はモールス符号に準拠しており、「コン コン コン」と少し間を空けながら複数回叩くとよいとされていました。
ノック回数はモールス符号で伝える文章量に直結するため、多ければ多いほど相手へ思いを伝えられると考えられていました。
現代ではその意義までは着目されませんが、たくさんドアノックをすることがマナーであることは受け継がれています

⑤ドアがない場合についての作法


ドアノックは時代と共にその意義を変遷させてきました。自分の存在を知らせること、双方向コミュニケーション、相手を思いやるマナーと多様な意味を持ち合わせています。

しかしながら、ドアがないときや叩く壁はどのようにコミュニケーションをとればよいのでしょうか?
扉越しではないとコミュニケーションを上手に行えないという人もいます。

「コンコン」と大きな声で発しながら、扉を叩く動作をすることがよいとされています。
また、扉越しのコミュニケーションを口頭によるモールス符号で擬似的に再現するため、「コンコン」は長ければ長いほど文章量が多く、思いが伝わるとされています。

現代ではドアノックの回数や強弱を意識するのは就職活動のときくらいかもしれませんが、ドアノックの場面があれば、積極的にたくさん叩いて「うち」と「そと」の双方向のコミュニケーションを図っていきたいですね。


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