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ぶらぶら

早めに梅雨があけた!と思ったら急に天候が梅雨に戻ってしまい。
今週の空模様はどんよりしている…はずが「やっぱり雨は降りません」みたいな日々が続いている。雨が好きなわけではないから降雨の予報が変化するのは個人的には良いのだけど。

そんなわけで、昨日は夜の散歩ができないと思っていたらできるようになったので…旅立った愛犬をカートに乗せて行った最後の散歩のルートを辿ってみた。カートを押していない分、歩く速度も気温も周りの景色もぜんぜん違っており。愛犬の亡骸を焼いた火葬場には愛するペットを失った人がこの日もいて。

こうした場所で火葬をするということは愛されていたんだなー。愛するペットの亡骸を焼く選択って、本当に辛かっただろうなー…など。40日以上前の記憶はいまだに鮮明に蘇り少ししんみり。自分も含め生命は有限のものだから瞬間瞬間を大切に!というのはわかるのだけど。

犬の寿命って、やっぱり短いよなーというのが正直なところ。我が愛犬は18歳まで生きたが…寿命とされる15年以降は恍惚の存在になってしまっており。本当に正味15年が犬としての尊厳がある状態だった。じゃあその15年間、一瞬一瞬を大切に愛犬と過ごしていたのか?と問われるとそんな自信は全くないけど。

でも、仮に今日生まれた子犬を買い求めて15年経ってよぼよぼになって亡くなる時の私はそれほどよぼよぼになってはいない(はず)。そんなに自分より早く死なれるのが嫌なら亀とか鸚鵡を飼えば良いのだろうが…そうなると責任を持って看取れない(自分が死んだら処分されるリスクもある)ジレンマ。

反面、今ならまだ「自分が生きているうちにペットを看取れる可能性は結構高い」というのも事実なのだろう。これが後数年経ってしまうと結構ギリギリになってしまう。

15年+αであればまだ責任は負えるのか?などなど。

新しい生命を迎える気持ちは全くないけど、もう5年10年後になると気持ちうんぬんではなく「物理的に無理!」となることに気づいた。

そんなことを考えつつ、愛犬を荼毘に伏している時に妻と行った居酒屋さんの前を通った。あの時は恐ろしいほどの喧騒に包まれていた気がするが…昨日前を通った時は静かだった。

騒がしい居酒屋の空気に助けられた記憶がある身として…「あの時はラッキーだったんだなー」と思いつつ家路についた。


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