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現実逃避?

新しい犬を迎えず、旅立った愛犬の記憶とともに生きると決めた。
ではあるが、愛犬が旅立って1ヶ月経過し、亡くした辛い記憶はなかなか忘れられず。その記憶が楽しかった頃の記憶を甦らせることを阻害しているように感じている。18年の歳月。本当に辛かったのは愛犬の痴呆が始まり後ろ足の自由がきかなくなり自足歩行ができなくなった3年ほどでしかなく。

ただ直近の3年間の記憶ゆえ、その前の15年の楽しい日々がなかなか思い出せない。老い、衰え、機能不全、そして死。…これら一連の経過と深く刻まれた記憶はなかなかに強烈である。

愛犬を失った直後、いかにして皆はペットロスを乗り越えたのか?について興味があって調べてみたが。ある程度の比率で新しい生命を迎え入れることに落ち着いていることがわかった。「辛い経験を経てなお、なぜ同じことを繰り返すのか?」といささか疑問があったが。

1ヶ月経過した今、なんとなくわかり始めたのが「死の直前の記憶しか残っていないから、新しい生命を迎えることで楽しかった日々を思い出しつつ新しい生命と楽しい日々を送る選択」なのだろう。
新しい生命もまたおそらく飼い主より先に旅立つことをわかった上であえてその選択をした…これがペットロスと真摯に向き合った結論…なのだろう。

覚悟と決意をもって選択したのであれば、それもひとつの方法。
私たちのような50歳を過ぎた夫婦にとっては…例えば新しい生命を迎えたとして本当に飼い主としての責任を果たせるのか?という面において不安があるため亡くした愛犬の記憶とともに生きようと思っているが。

楽しかった頃の記憶より、不安と恐れにさいなまれていた記憶の方が鮮明に思い出されるのが歯痒いところ。

せめてもの「現実逃避」として、同じ犬種の子犬の生まれた日をネットで調べたりしている。生まれた日が5月27日であれば、あるいは我が愛犬の魂を継承した個体なのでは?と(笑)。来世も輪廻も魂も信じていない身としてはいささか無理のある論法なのだけど。

あるいは面影やたたずまい、個体としての雰囲気が我が愛犬を思い出せるものであれば…「あぁ、こんな可愛い子犬の時代もあったなー」と思い出せるきっかけにはなると思う。

「べ、別に買おうと思ってみているんじゃないんだからね!」と自分に言い訳しながら…5月27日生まれの犬を探す日々。

はじめて知ったのだけど和犬の販売は生後49日まではダメなのだそうだ。生後50日を経過してはじめて売買が可能となる。…つまり愛犬の49日までは5月27日生まれの犬を買うことはできず飼うこともできない。

…いや、別に49日があけたらすぐに買いに行こう!とかは微塵も思ってないけど(笑)。とにかく、辛い記憶と同じぐらい楽しかった頃の記憶も思い出したいなーと思っている。焦らず、劇的な変化を求め過ぎず。日々の暮らしを丁寧に送っていれば、あるいはそんな日が訪れると信じて今日も生きよう。


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