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ソ連と今の北朝鮮~フォトエッセイ「北朝鮮の旅」を読んで~
レナード・アップジョンのこの論文は、彼としては最高の出来だった。魅力的で風格があり、哀感に満ちた、奇跡と言うべき文章であった。クロンショーの出来栄えの素晴らしい詩をすべて論文の中で引用したので、いよいよ詩集の出たときは、詩集自体はあまり評判にはならなかった。
コロナ以降国境を閉ざし、現在は訪れることのできない北朝鮮。その貴重な北朝鮮の様子を収めた同人フォトエッセイ「北朝鮮の旅」(旅野そら著)を入手した。元戦場カメラマンの著者が北朝鮮ツアーで撮影した写真とエピソードが満載の一冊。
残念ながら既に販売は終了しており、私が何をどれだけ引用したところでクロンショーの詩集のようにはならないのだが、今は手に入らないという神秘性を守りたいので、内容は仄めかす程度にして・・・
偶然、私の手元にあったソ連の絵葉書と見比べる形で、感想を記します。
おかあさんはミステリアスな雰囲気を大切にしています。
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書評における引用については、その書籍、著者の神秘性に係るものであるからして、これは慎重に検討を重ね、それを用いることで損なわれる神秘性と得られる利益、そのバランスはどうあるべきなのか・・・この比較において最適な判断ができるよう配慮せねば(ねばねば)ならないのであって、また判断の結果引用したとしても、将来、神秘性をより重視すべきであったと疑われかねないような事態にも備えるうえで、これは抑制的に使用していく、ということ(ネットリ)。
指導者の銅像
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絵葉書の方は全くどういう状況なのか分からないが、法悦に浸る少年少女を写した一枚である。キム父子像は「北朝鮮の旅」表紙の拡大である。いくらなんでもキム父子がレーニンよりも偉大であるなどとは北朝鮮でも言わないかもしれないが、その大きさとピカピカ度合は圧倒的である。この大きさの銅像で、緑青が生じるどころか黒ずみすらしていないというのは驚嘆すべきことだ。
一方、市民の服装はソ連の方が圧倒的にセンスを感じる。
「参拝のルールが異常に細かく、ルール違反をすると大変な怒られが発生します。」とのことで、各撮影者の判断ではございますが、非常に抑制的に写真を撮らねばならないということ。
都市のようす
最初は半ばふざけて、比較をしてみたのだが、意外と面白いものだった。最初に気づいたのは自動車についてである。今も昔も社会主義にだって自動車はある。
まず、北朝鮮の方が新しい車を使っている。平壌のバス・タクシーは全体に曲面が多用された平成の外車だが、ソ連は全体的に箱感が強めの国産車である。
しかしながら、キーウの写真には平壌にほとんどないという自家用車らしき車もが写っている。それに、平壌のトロリーバスは今でもソ連時代のもののように見える。
「個人での自動車所有は許可があまり下りないらしく、走っているのはタクシーやバスばかりです。」
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もちろん平壌ですべての近代化が止まっているわけではない。日本同様に市民はスマホを所有し、ツムツムみたいなスマホゲームに時間を浪費しているとのこと(勿論、ソ連にはテトリスがあった)。そういう市民生活の様子も「北朝鮮の旅」には収められている。
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ここまで絵葉書を眺めて気づいたのは、「北朝鮮の旅」の平壌には全く伝統的な建物が登場しないのということだ。数多くのタワマンや戦後の大規模団地が写されてるが、歴史ある風景は全く登場しない。価値観の問題なのか、戦争で破壊されてしまったのか。
それでも住宅は足りていないらしく、狭い部屋に二世帯暮らしで「このクソ姑、いつ殺してやろうか」と考えざるを得ない、ということ。
田舎のようすとマスゲームと
絵葉書には観光名所とプロパガンダしか無いが、「北朝鮮の旅」には田舎の様子も収録されている。
田舎の街の写真には静けさと寂しさを感じた。整然とした街とボロ小屋の組み合わせは東欧っぽくもあり、人々の見た目は昭和の日本っぽくもあり、社会インフラの無さとソーラーパネルの組み合わせは熱帯の発展途上国っぽくもあり、それでいて人が少ないのは現代日本の地方っぽくもある。徐々に時代から取り残されて、人が減って*寂しく滅びていく中で、ソーラーパネルが微かな抵抗を行っている…ちょっとSFを読んだような、そんな気持ち。
みなさんもニュース映像などで一度は見たことがあるかもしれない、あの有名なマスゲームについては、平壌とは別に章立てがされている。噂通りマスゲームは兎に角凄いらしく、北朝鮮人民の底力を表現するものとして、かなりの頁数を割くべしということだろう。少なくとも東京五輪の開会式より凄いのは間違いなさそうだ。
・・・ガイドさんはどうしても観光客をマスゲームに案内したかったらしく「・・・金正恩委員長のお心遣いのおかげでこうしてマスゲームをご案内できることになりました。こんなにうれしいことはありません」と言って感極まって泣いていました。
マスゲームの実施にあたっては、困窮する人民の福祉と、人民の自尊心を支え、まだ北朝鮮には世界に類を見ない芸術を表現する力があるのだという、そういった希望の光を残すことのバランスを考慮し、その費用や規模、頻度のあるべき姿はなんであるのか、人民の皆様の参加機会と、食事の機会のバランスとは一体何のことであるのか、そういった諸課題に真摯に向きあった上で、考えねばならない。
*実態は不明。公式な統計がない。
エッセイと著者
エッセイは北朝鮮社会が苦境にあることはを隠すわけでもなく、しかし政治的な意図で攻撃するわけでもなく、ガイドツアーではあるがなるべく見たままのものを伝えたいという印象だ。文体はそう・・・モデルの市川紗椰に似ているかもしれない・・・しかし見た目は、北朝鮮の女子中学生に話しかけられるあたり、童顔であるか、幼女ムーブを頑張っているのかも知れない。
著者は現在、文化人類学系の内容を中心にVtuberとして活動している。クッキンハンターを自称しているが内容はブレブレ。「北朝鮮の旅」を手に入れることは叶わないが、今回の北朝鮮旅行の話も配信を行っているので、気になった方はアーカイブを見てほしい。たぶん石破茂が好き。
https://www.youtube.com/@tabino_sora_