理解に徹し理解される(diary226)
本日のnoteは”理解に徹し理解される”。
人は話すことで快楽を感じる生き物だ。
だから自分の快楽を優先してしまう。
その結果、誰も人の話を聞いていない、会話のようで会話じゃない状態もあるのではないだろうか。
このような経験はないだろうか。
問題が起こると慌ててしまい、その場で何か良いアドバイスをしてすぐに解決を図り、診断する必要があるのに怠り、問題をきちんと理解せずに突き進んでしまうことを。
「人は自分の話を聞いてくれる人に信頼や親しみの気持ちを抱くものである」
とても大切なことだが、できている人は少ないように思う。
話を深く聞くというのはとても難しいことだ。
仮に迷子の子供がいたとしよう、まず皆さんは何から行う?
声をかけるところから始まり、どこから来たのか、お母さんとはぐれたのか、一方的に聞こうとする人が多いのではないだろうか。
では、社会人としての挨拶はどうだろう?
「はじめまして。営業の○○と申します。よろしくお願いいたします」
自ら自己紹介をするだろう。
相手に対して無意識に上下関係をつくってしまうところも難しさの一つだと認識する。
もう一つ、進路に迷っていたとしよう。
当事者は「自分の進路だから自分で決めたい」そう思う人も少なくないはずだ。
こんなこと言われた経験はないだろうか。
「進学したほうが良いよ。進学することで人生の選択肢は違うよ」
「進学先の希望がまだ出てないがどうするんだ?」
あたかも進学が前提で話を進めており、肝心の当事者の気持ちを聞いていないパターンだ。
自分の話や意見を一方的に伝え、理解しようとしていないことが分かる。
コミュニケーションには「読む・書く・話す・聞く」それぞれあるが、一番重要なスキルは「聞く」だと思う。聞くトレーニングをしたことある人がどれくらいいるだろうか。
興味あることなら注意深く聞くが、興味ない話は一部の選択をして聞いてしまう人が大半のように思う。
また、人の話を自分の経験で解釈したり、評価しようとする聞き方、自分の人生の物語を参照にしながら人の話を聞いてしまう態度の方も一定数見受けられる。
「私もそうだったから。こうすれば良いよ」
本当に良いことなのだろうか。聞き手側は相談に乗って上げたと満足できるが、肝心の話し手側は「私の話を聞いてくれた」と感じない。
心から相手を理解したいという誠意がないのなら、やらないほうが良い。
上辺だけのかかわりは、相手を傷つけ、時に最悪の結果をもたらす。
言葉の正しさでは人の心は動かない。
相手の行動を引き出すことをするならば、まずは誠意をもって相手を徹底的に理解をすることだ。
そうすればおのずと関係は良くなり、本音で話し合うことができるだろう。
また来週。
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