情報に踊らされる我(diary216)
こんにちは。丹路です。
本日も月曜日の投稿です。
あつ。昨日今年初めてのクーラーを付けてしまった。
ダメなことではない。ただ負けた気がするのだ。
そんな気持ちとは裏腹に、私の手は恐ろしいほどのスピードで
クーラーのリモコンを手に取りスイッチを押す。
負けた気持ちとは一瞬であり、欲求には勝てないということを自分自身が気づかせてくれる。まあそんなものだ。感情は一瞬にしてすり替わる。
昨日まで試合で負けて悔しくて夜も眠れなかったのに、次の日には遊ぶことしか考えていなかったのだから。
さて、本日のnoteは”情報に踊らされる我”。
ダメなことではない(数分前に聞いたセリフだな)
というか世の中にダメなことなんて一つもない。
それは正解が無いからだ。
数学の公式みたいに、何かしらの解を求める時には、
正しいやり方でやったほうが効率的なので使う。
そうでもない限り正解は無く、だからこそダメなことなんて一つもないのだ。
ただし、納得のいく解は出したい。
得た情報をそのまま鵜呑みにするということは、情報に踊らされている、ということだ。
誰の発信でも「調べる」という癖を付けなくてはならない。
情報そのものが、誰かしらが誰かしらの発信を聞いて記載しているものなので、正しいかは分からない。
大切なのは、自分で納得して自分で調べている、ということだ。
脳というのはよくできている。
考えれば考えると思考は深くなるし、考えなくなると浅くなる。
言葉には重みがあるというが、本当にその通りだ。
思考を重ねた人の発言は重みが違う。だからこそ信頼できる人の言葉は分かりやすくて重いのだ。
SNSが普及し、いろんなところで情報操作が起こっている。というか勝手に起こっている。
聞いた情報を横流しにして自分の責任ではない、なんて都合の良いことばかり発信するやつらばかりだ。その情報はあなたをたどって自分の手元に届いてきている。それを認識していない人が多いからだ。
先ほども言ったように、脳は使うほど思考は深くなる。
聞いた情報をそのまま自分の情報としてインプットするよりも、
その情報はどこが発信源なのかを探したり調べたりすることで、脳も腐らないし自分の知識にもなる。総じて良いことばかりだ。
「情報に踊らされる我」というタイトルは、あくまでも今の自分を表現している。
これからは「情報の上で踊る我」という表現にしよう。
そっちの方がかっこよいからね。
”自分なりに”正しい選択を。解を自分で見つけることで、人としても大きくなる。
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