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~排除したい眼差し~          あと50万⁉番外編その5

~排除したい眼差し~

息子の二年生時の担任は特別支援教育にあまり積極性を見せる先生ではありませんでした。少人数の普通級の学校だったし、それゆえウチと同じようにちょっとだけ特別な支援があれば何とかやっていける程度の支援が必要な子供をもつお母さん達が他にもいました。

個別面談で先生が困っている事に対して、例えば次の授業の準備が全然出来ていない、とか次の別の教室の移動等把握していなくて困っていることへの案として、机の隅っこで良いので一日の予定でどこの教室に行く、どの教科書を持っていく等書いたメモを貼らせてもらえないかと提案しました。でもそれはできません、○○君だけ特別扱いは出来ないとの返事ばかりで、ほんのちょっとの支援があればすむ事でもダメなのかー、と残念な気持ちになりました。

 また、家庭訪問でも息子がなぜ支援級でなく普通級に入っているのかと聞かれ、療育手帳をとれるほどのレベルではなく、就学相談も受けた上での判定であったことを説明しても首をかしげられ、特別支援級(固定級)に入りたくても入れない、でも何の支援も受けられないなんてじゃあどうすれば良いんですか?と憤りを感じざるを得ませんでした。 

 算数の宿題も教科書や参考書みたいな計算式でやるような問題ではなく(そういうのは得意)、パズルの穴埋めのような大人でもかなり思考力がいるものばかりで、真面目な自閉君だけどすぐイライラしてカーっとなってしまうADHD も併せ持つ息子にとってきっと地獄の日々だったのかもしれません。それに付き合う私にとっても地獄でした。

そもそも「先生が困っている事」より「子供が困っている事」をフューチャーしないといけないと思うのに。

宿題をだんだんと提出できない事態に成績も悪くなっていきました。 そんな日々を送っている間にだんだんと他の保護者からも担任の先生への困りごとがいくつも出てきてちょっと大事になり次年度は他の所に移動されました。先生に対して困ってるのはウチだけじゃなかったんだ…とちょっとだけホッとしました。でもその先生、自称、大学で特別支援教育を勉強されてきたという方で(それでコレか!?)、風の噂で教頭先生になるための試験を受けると聞き、ますます憤りを感じた一件でした。 

 3、4年の先生はうって変わってとても良い先生でした。子供のニーズに応えながらそれでいて良い感じに緩さを持ってくれるクラス運営をしてくださいました。担任でこんなにも変わるんだーと実感したものです。 それでもクラスの中の何人かの子たちから(残念ながら女子にいたなー)あからさまないじめはなくても軽蔑するような視線を送ってくる子はいました。2年の時の担任のせいかはわかりませんが、そういう眼差しは子供にも移ってしまうこともあるのではないかと思います。

排除をしたいというような眼差しです。

 他の子は出来るのに、なんでこんなこともできないの…他の子はすぐ自分のほしい受け答えをしてくれるのになんですぐ答えないの…何この子…‼ 打てば響くようなコミュニケーション能力があるかないかでこんなにも社会的格差が生じてしまうのか、というのが現実です。

それがやがていじめの温床になっていくのでは…と思います。

 いくら特別支援教育をうたっていても実際にはどうしてもこういったスペシャルニーズが必要な人たちは時の運で人生が良い方にも悪い方にも変わっていくのではないかと思います。 

 そして前の頁にある、「石を投げた子供たち」。人に向けて石を投げるなんて考えられないですよね。きっと他に通行人がいたら、知り合いのちょっとおっかない人がいたら、学校の先生がいたらやらなかったと思います。ちゃんと周りを見て、人をみてやっているわけです。悪いことだと認識しているわけです。それって大人になってからも大人のいじめや家庭内モラハラへと続いていくような気がしませんか?

 でも投げない子もいる。石を投げるなんて考えもしない子もいる。そして平気で投げちゃう子がいる。

 昨今、「道徳」の授業が特別の教科として再スタートしたようです(小学校は2018年、中学校は2019年より)背景にいじめ件数の増加があるようです。 それだけでいいのかな、と思います。授業だけ受けて教科書にある所を暗記してテストを受ければいいや…。そのように考える子供は必ずいるでしょう。

そして教える側の先生の気質にもよって、受け取る子供たちの道徳心に響くものになるのか…ちゃんと届くのかにも違いが出てくるでしょう。そこでまたモラルの格差が生じます。 なんか違う…大事なのはそこじゃない気がしてならないのです。

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