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マルチーズの原産国に行って、10歳の私を思う

未知の「世界」と既知の世界

異国の空を見ると、確かに自分の理解の範疇を越える世界は存在すると実感できる。

目を瞑って、地図を指さす。
指先の近くにあった都市の名前から、街の様子をイメージする。
小学4年生の私は、そんな遊びを繰り返していた。

未知の都市への憧れは、新品の地図帳の匂いが示していたような気がする。
足跡のつけられていない雪原のなかに足を踏み入れる感覚と似ている。

都市の名前では飽き足らず、未知の世界の暮らしにも、興味が向けられることになる。

家の本棚から本を取り出す。世界地図、民族衣装、国旗の本。
当時、なぜか両親の本を読むのが気恥ずかしく、親のいない時間を狙っては「世界」の本を読んでいたものである。

「あれ、本棚の配置が変わっているよ?」
と言われても、知らんぷり。

ちなみに、弱冠10歳にして『ノルウェイの森』を読んだ疑いがかけられるも、私は読んでいない。むろん、読んだとしても理解できないのだが。「こっそり村上春樹、読んだでしょ…」と母は言うが、世界のハルキムラカミではなく、その『世界』を定義するために奔走していたのだ…。嘘だけど。

インドネシアのケチャ。ヨーロッパのメイポール。中東のウード。
各地域の祭祀にみる衣装や装飾、楽器は、鮮やかな「伝統」を示していた。
万国博覧会で展示されるような、理想像。これは、せーかいはひとつ。せーかいはまるい。某遊園地のアトラクションの光景と似ている。(そもそも、ボートに乗って「世界」を遊覧しようとする試み自体、植民者の視点を追体験するものだといえるが)

未知の世界に誘われる瞬間は、幸福だった。

そんな私も大学生になった。
かつて「世界」と表現したものは、「創られた伝統」、あるいは植民主義によって構築された未開地の幻想だったことを知る。

観光客のために創り出された伝統。ガスも電気も通らない村の文化。「文明」から離れた世界。いちいち感動していた「世界」の姿は、そうした幻影の一つだったのだと知る。

ポストコロニアリズムの潮流のなかでは、未知の国への憧憬そのものが批判の対象となる。エドワード・サイードが『オリエンタリズム』の中でtextual attitudeとして再考しているのは、まさにこれ。

ある国への幻想は、構造として機能し、また再生産される。個人の感情だと思っていたものが、実は大きな構造に還元される。

未知の地名に触発され、生み出された文学作品は枚挙にいとまがない。

地名に触発されて詩を作ったと、ある詩人は語る。
そこに行ったこともなければ、どんな場所なのかも知らない。
知らないからこそ、夢想的な世界を描く。ユートピアのように。
たとえ、そこが不毛の沙漠であったとしても。

詩人の描く世界は、ある意味で典型的といえるだろう。
未知の世界を美化して、自身の理想を描くなんて、ありふれている。

個人の未知の国への興味は、巨大な構造に収斂されてしまう。
そんなことを考えると、10歳の自分を否定してしまうようで、少し悲しくなった。

(そもそも、この批判自体もありきたりな話なので、したり顔で言うようなもんじゃない。)

純粋に「世界」を「世界」として見ていた頃が懐しいが、もうあの頃のような輝きは戻ってこない。単純な興味だと思っていたものも、実はメディアに影響を受けたものなのだ。いや、それだけではない。インターネットによって情報が氾濫するようになってから、未知の地への興味は、徐々に薄れていく。何もかもがハンディーなものになっていく。調べればすぐに視覚情報が出てくる。未踏の地はあったとしても、未知の場所なんてなくなっていくんじゃないか。SFチックな話は別として。

異国憧憬が生活を豊かに、なんてべタな話だけど

ここで私のごくごく個人の話をしよう。
異国憧憬がちょっとした生活の活力に結びついている、という話。
あ~、来た来た。こういうべタな話。
海外に憧れて、頑張って英語を勉強して、世界を広げたっていう見聞録はこの世に氾濫している。この話の新規性は何、と突っ込むも、これは学術論文でもないし、noteは学会じゃない。

10歳の私が憧れた国・マルタに、20歳の私が足を踏み入れた話をしよう。
なんてことない個人的な夢をちょっと書き綴ってみる。

実はこの国、マルチーズの原産国なのです。

マルタという国を知ったのは10歳の冬。
犬のマルチーズの原産国である。犬を飼いたいと言って、ペットショップを駆け巡っていた時にマルチーズを見つけて、マルタと出会うことになる。

ちょっと話は逸れるが、当時の私は犬嫌いを克服したことに有頂天になっていた。
幼少期から犬が嫌いで、父方の祖父母の家に入るのも一苦労だった。
そこでは白い雑種の犬が飼われていた。
とにかく、彼は吠えるのだ。
ワンワンと形容されるような可愛い声ではなく、空中を劈く爆音。
下手すれば、あいつはテーブルの下からやって来る。
白い獣(けだもの)は、兵糧を求めて攻め入るのです。
あな恐ろしや。

そんな犬嫌いな私を救ったのは、ピアノの先生が飼っていたトイプードル。
(私の母親も携帯電話の中でショコラという名前のトイプードルを飼っていた。茶色ければショコラになってしまう魔法でもあるのだろうか。)
ショコラのおかげで、犬嫌いを克服できた。父の実家にいる、白くて毛深いやつとも仲良くなることできた(悲しいかな、彼は私が中学1年生のころに、天国に行った。もう10年が経つ)


ショコラは、お転婆な犬だった。
レッスン室の扉を開けるやいなや、キャンキャン叫びながら先生の膝にジャンプする。

たいていの生徒は「かわい~」といって目を細めるだろうが、犬が苦手な私は全力で逃げるしかなかった。茶色いモコモコの怪物にしか見えなかった。

「犬、苦手なんだけど…」
と小学生らしくタメ口で先生に文句を言う。
「案外、触ってみたらなんとかなるよ」
先生は最悪のアドバイスを言う。なんたる荒療治。
っていうか、犬が苦手な生徒に犬を近づけるな。

今思うと、おかしな話なのだが、気づけば私の膝にショコラが乗っていた。
ショコラのうるうるした瞳に吸い込まれる。
「あ…犬飼いたい」
まんまとショコラに洗脳されてしまった。

母親が迎えに来るやいなや、
「犬飼いたい!」
と言う。

どうせ、犬を飼うなんて反対されるだろうな…と思ったら、許可はあっさりと出てしまった。
(というものの、私が犬を飼うことはなかった。なぜなら、世話をする自身がなかったから。『柴犬の買い方』的な本を読んで、挫折してしまったのである。ピアノ教室を辞めてからというものの、犬と触れ合う機会を失い、再び私は犬に苦手意識を持つようになった。)

ホームセンターのペットコーナーで、思いっきり悩む。
ショコラのようなトイプードルがいい。でも、柴犬も可愛い。どうしよう。

迷っていると、マルチーズという犬が目に入る。
毛が長くて、愛くるしい瞳を持つ。

基本情報を確認していると、見知らぬ国が目に入る。
「原産国:マルタ」
マルタ!?!?え、そんな国あった?自称・地図マイスターの私は面食らった。食い入るように世界地図を眺めていたのに、マルタは知らない国だった

家に帰って地図帳を見ると、確かにマルタという国はあった。シチリア島の下にぽつんと浮かんだ島国である。
首都はバレッタ。

まだ見ぬマルタのバレッタに心を弾ませながら、ノートパソコンを開く。
「1時間までね!」と決められたインターネット・タイムすべてをマルタに注ぎこむ。

マルタは、イタリアの南にある島国。
淡路島よりも小さいらしい。
首都・バレッタは坂道の多い街。
欧州からの観光客が多い。
語学留学の場所として人気

今ほどマルタの知名度が高かったわけではないので、インターネットで検索をかけても、わずかな情報の断片が浮上するだけだった。

それでも未知の国・マルタは魅力的だった。
情報が限られていたからこそ、マルタに惹かれていたのかもしれない。
2020年代に小学生だったら、地中海の綺麗な国という感想を持って終わっていたことだろう。

その10年後、20歳の私はマルタに行くことになる。
なんとなく語学留学をしたかったので、留学エージェント会社によるパンフレットを取り寄せた。
ハワイ、カナダ、アイルランド…。どこにしようと迷いながら、ページをめくると懐かしい「マルタ」の文字が目に入る。

久しぶり、マルタ。他の地域と比べると、それほど大々的に紹介されていたわけではないが、マルタ以外の選択を考えることはできなかった。

「マルタがいいです!」
「ハワイとかと比較すると、日本人が少ないですし、物価も安いです」

エージェントの後押しもあって、私はすんなりマルタ留学を決めた。

日本から丸1日かけてたどり着いたマルタは、ヨーロッパとアラビア世界を折衷したような国だった。

思いっきり飛ばす送迎車のなかで流れる風景は、全体的にベージュだった。
マルタの伝統家屋は基本的にベージュ。確か、マルタストーンとよばれるマルタ固有の材料でつくられているんだっけ。

砂に覆われた感じは、中東の風景を想起させる。
マルタ語はアラビア語の影響を受けているという。

一方、ベージュの家屋の間に、聖堂や聖像が見える。
首都バレッタに行けば、豪華絢爛な大聖堂がある。

ここは、ヨーロッパと中東の中間地であったのだ。

かつてマルチーズの原産国として憧れていたときは、こんな風景を予想していただろうか。ヤシの木が生えた南国をイメージしていたが、それだけではない。
文化が反発したり、融合したりして形成されたレイヤーのなかにある国であった。

見知らぬ国に行くこと。それは、イメージだけではどうしても知り得ないことを、体験することなのである。(その「体験」自体も、あらゆるネットの情報、本、メディアによって作り出されたものだ…と批判できそうだが、ここではやめておく)

マルタの古都・イムディーナ。マルタの風景は、このベージュ色に特徴づけられる。

ここにマルチーズはいますか?と聞けなかった

マルタでマルチーズを見ることはなかった。
複数の人に聞かれたけれど、マルチーズは見なかった。
ホームステイ先では、犬を5匹くらい飼っていた。
その中に、たぶんマルチーズはいなかったと思う。大きかったから。

フロアが分かれていたので、それぞれのテリトリーを守りながら、生活をしていた犬は犬の生活。私は私の生活。
私、実は犬がそんなに得意じゃないんだけど、犬がこのフロアに入ることはない?大丈夫?…とカタコトの英語で話す。
「そうなんだ。でも大丈夫。こっちに来ることはないから」
とホストマザーは愉快そうに話していた。

部屋の下では、キャンキャン犬が吠えていた。
楽しそうだった。

マルチーズというマルタ原産の犬を知っているか。
あの犬のなかにマルチーズはいるのか。

英語で尋ねようとするも、会話力が皆無に等しいため、できない。
明日の授業の準備をするから、おやすみなさい。
当り障りのない話をして、リビングを去る。

あの時、もう少し言語力があればな…と思う。
留学が中止になってもなお、英語の勉強を続けられているのは、きっとこの時の好奇心と後悔を失っていないからだろうな、と思う。

異国に憧れること、それは境界を越えることなのだ。
言語を越え、もちろんいくつもの国を越えてきている。
「世界」が広がる。陳腐で、批判する可能性を秘めるこの言葉。
それでも、閉じているこの世界を打破する一つの可能性の一つなのではないかと思う。


スリーマという街から船に乗ると、首都バレッタにたどり着く。
対岸はスリーマの街。海岸線を走っていると気づかないが、スリーマ所狭しとビルが立ち並ぶ街である。海を渡り、対岸を見ること。越境の経験によって、俯瞰する視点を獲得することが可能となるのだ。


この留学経験については、別の機会で語ることにしよう。

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