見出し画像

動詞のタイトルが似合うと思う

今までタイトルについては、あやふやな考えしか持っていなかった。もちろん、読んでもらうためにはタイトルで目を引く必要があると思っているが、初めから人と引き付けるためには書いていない。それは、むしろ書く者としての考えではなく、編集者やプロデューサーの考えに近い。自分で書いて、自分で発表しているのだから、そうした面も考えなくてはならない。

私自身は、書いているときはキッパリとそれがどう読まれるのかを忘れてしまっている。思い通りに、思いつきを思いのままに書く。分かりにくくてもいいし、論理があやふやでもいいと思えるようになってきた。とにかく、その場その場の思いつきが最重要事項である。

そのときに、困るのはやはり、編集者としての自分である。紙にぶちまけられた文章を見て、はじめに顔をしかめるのは彼だ。しかし、もう何日も同じようなことが繰り返されている。構成もないし、主題もあってないようなものだ。書いているうちにタイトルから離れていくし、一つの文章の中にいろいろな内容が詰まっている。

noteを始めたときに、「読まれるようにするには」というアドバイスの逆を行った文章である。

困った編集者は、知恵を絞った。どうにかして、人に読まれるものを作れないだろうか。考えたところで、あまり効果はなかった。そして、諦めた。考えてみれば、「書きながら考える」といういい加減なスタイルで、文章が成立している奇跡の方が面白いのではないだろうか。そして、それをさらに読んでくれている人がいるという更なる奇跡も起こっている。ついには、「勝手にしろ」とだけ言って、見守ることにした。

とはいえ、私の中には編集者はまだ生きている。それは、書き終わった後にあれこれ言うようなタイプの人ではない。むしろ、私の文章の方向性などを書く前にアドバイスしてくれるようなタイプだ。結果ではなく、書き始める姿勢については細かい調整を求めている。

まずは、文章をあまり直さないこと。そして、なんでも思いつきで書いても良いと言うこと。書く前に考えないこと。自分を自分で規制しないこと。

そうした文章に対するメタ的なルールは、書き手の私ではなく、編集者の私が決めている。書いた後に経験的にわかってきたことだ。このルールで行けば、とりあえず「書きながら考える」とスタイルはうまくいく。この場合、「うまくいく」とは最後まで書き切れる、毎日継続できる程度のことだが。

そして、直近の課題としては、あまりにも自由にのさばっているせいで、タイトルが内容と乖離しすぎているということだ。書き始める際には、タイトルから考える。しかし、しりとりのように連想が進んでいくので初めに書いた言葉から離れていくように文章ができてしまう。

そこで思いついたのは、タイトルを動詞にすることだ。何も難しいことはない。最後に、「思う」とか「してみる」とかをつけるだけだ。そうすることで、タイトル詐欺は起こらない。なぜなら、「思ってみた」結果なにが起こったかは一言も述べていないからである。動きとは、時間的に未完結であって必ずしも未来が明らかになるわけではない。「歩く」といっても、どこにいくか、どこにたどり着くかまではわからない。歩いている途中で、やっぱり違う方へ、と方向転換することもできる。しかし、それでも歩いていることには変わりはない。

だから、書きながら考えるスタイルには、動詞のタイトルが似合うと思った。

この記事が参加している募集

noteの書き方

最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!