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生きる為の数学

昔から数学が苦手です。いや、もう算数から苦手だったんでいまだに分数とかを見ると心がザワザワします。
買い物する時も、いい感じのおつりにする為の支払い(725円の時1025円払うとか)みたいな簡単な事が出来ずパニックになり、財布は小銭でパンパンになる始末です。
数学の教師から言われる、どこが分からないの?の質問にも、分からない所が分からないという言葉も言えず悶々とする日々でした。

数学なんて人生にいる?
足し算、引き算、掛け算だけでよくね?

と全国の半数の子供が思ったであろう事を、ずっと思ってました。まあ、そんな事を思いだしたらもう数学を好きになる事も不可能で、学生生活が終わった時、もうこれで数学とサヨナラできると肩の荷が降りた気分がしたもんです。

大人になり芝居を始めた僕は、効率のいいバイトを探します。もう効率いいといえば土木仕事です。社長と社員2人という、ちいさな土建屋さんでバイトを始めました。
そんなある日、駐車場の工事で生コンを発注する量を社長が決めていました。計算機片手に。

僕は衝撃をうけました。

√を使ってたのです。計算機のあの数合わせの為のほぼ飾りだと思ってた√ボタンをつかってるのです。
必要な生コンの量を求めるには√が必要だったのです。もう数学に縁なく暮らしていけると思った僕の前に数学が突然現れました。

逃げ切ったと思ったストーカーが、再び目の前に現れたぐらいの衝撃でした。

まあ、でもああいう建築の世界には必要なんだろうけど僕の生きる世界には必要ないだろう。良かったと思いながら黙々と芝居を作ってました。
その時僕はあるプロの劇作家の人に色々アドバイスをもらっていました。
その人の創作現場にも見学に行ってました。
そしてその人のパソコンの画面を見て衝撃を受けました。

台本が書かれていると思ったその画面には、エクセルを使って書かれた出演者の出入りを細かく表にしたものがあったのです。
それはもう僕の目のには数学の教科書に出てきたなんかのグラフ図です。
細かく分割された台本を使い、それぞれの登場している人物と、してない人物の動きなどをまるで数式のように細かく作り上げていました。

その人の台本の組み立て方は完全に理数系でした。演出も感情よりも秒単位で動きや表情を指定していく、衝撃的なモノでした。

しかし出来上がった芝居は圧倒的に面白くて、暖かいモノでした。


文系の僕はすぐに悶々と悩みますが、理数系のその人は何かあっても、こうこうこうだから、こういうアプローチで、こういう解決方があるよねとバシバシ片付けていきます。
それはもう逞しく強い姿でした。
その人の姿に物語の作り方と数学的に物事を思考する事のたくましさを知りました。


数学的思考で悩むと、ほとんどの問題は技術で解決可能だという事に気づきます。
今の状態を乗り越える為に必要な技術は何か、その技術を使うのに自分に足りていないのは何で、それを獲得する為にはどういう行動が必要か考えます。
漠然とした不安は、全体を覆ってしまうけど、そういう風に考えると、細かな部分部分の不備の問題だと気づけて、そこを変えてチャレンジしてみよう。という発想になります。
そしてダメならまた再び微調整をして再チャレンジするだけです。

まあ考えれば当たり前の話です。理数系の研究なんてトライ&エラーの繰り返しなんですから、いちいち落ち込んでたら前に進みません。半ばどんどん失敗の数を増やして、正解に近づいてとするいこうとする世界です。
そしてそれは生きる為に一番必要な態度です。
ぼんやりと悩んだり、漠然と不安になったりせずに具体的に現実的に対処していく。

まあ、そんな事言いながらもいまだに、グズグズ悩んだり自己嫌悪を繰り返している僕ですが、数学的視点を手に入れた事で、少しですが死なない為の技術を身につける事ができました。

長い時間がかかったけど、やっと数学と和解できたみたいです。

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