僕のおとんは宗教心がある人でした。でもまじめに一つの信仰を続けるというよりも、人の良さから知り合いや親族に勧められた宗教に次から次へと断りきれず入るという感じでした。 聖教新聞が毎日3部ずつきてた時もありました、少し毛色は違うけど50万以上する健康になる椅子も買ってきたりしました。 僕が高校生の頃、身内や、うちの家族の周りで不幸なことが続いた時がありました。すると親戚の人達がうちに来ました。 それまでおとんは勧められるがままに神棚などを家に置いてましたが、親戚はその神棚が
「こうちゃん?」 「え、あ、大西くん」 「ここいたかー。いやーこうちゃん変わってないなー」 「・・大西くんも」 「・・ハゲたなーって思ってんだろ」 「いや。別にそんなには」 「いいよ別に気ぃ遣わなくて」 「え、ってかなんで大西くんここに?」 「ここに?じゃないよー。水くさい。なんで俺に連絡よこさない」 「あ、ごめん。なんか、死に方もあれだしもう身内だけでいいかなーって」 「俺も身内みたいなもんだろうよ」 「・・・」 「そんなわけないか。もう20年ぶりぐらいだもんな会うの」 「
響の仔猫 「おはよー、今日はお仕事お休みの日なんでちょっと寝坊しちゃった、夜は待 ちに待った推しのライブ。半年ぶりだーーー。楽しみ過ぎ」 天使ママ 「眠い、眠い、眠い、眠い、何曜日だ今日」 響 「昨日も遅くまでリハだったけど、やっと今日俺のかわいこちゃん達に会える と思ったら、こんな早くに目が覚めてしまった。久しぶりの早起き。久しぶり にワイドショー見る。国分君ってこんな歳とってたっけ。びっくり」 偉くない店長 「今日の占いは十位。もういっそ最下位の方が清々しい。ラッキ
タキシードにハットの男立っている。 男「皆さん、令和、慣れましたか。私はまだ慣れません。令和と口にするとどうもサイズ 違いのシャツを着せられてる気分になります。元来、人間は変化が苦手です。こんなにもテクノロジーが発展し、様々なモノが合理的に進化をしていっているのに人 間の心はなかなかついていけません。 例えば、まあ私はリアリストです。非科学的なモノ、神様も信じていません。お化けを 信じられるほど幼くもなく、占いを真剣に信じるほど無垢な頃も過ぎました。 けれど、そんな事
明日、一人の友達が実家に帰ります。 僕と同い年で、僕と同じ演劇をやりたくて上京してきた彼女は今日家を引き払い、明日夜行バスで地元に帰ります。 最初はヨメの先輩として出会ったその友達は、すぐ近所に住んでいた頃もあり、しょっちゅう酒を持ってきてはみんなで飲みました。 僕と彼女も人見知りだったんだけど同い年で演劇好きという事もありすぐに仲良くなりました。 食べることが大好きな彼女は、産地直送の生きたイカを取り寄せてうちでさばいてくれたり、みんなで粉からうどんを打とうと言い出しみ
今回、去年から2度の延期をしてやっと劇場公演にたどり着いた「LAST&SEX」が中止になりました。陽性者が出たためです。 今。僕の知る限り演劇界は潔癖なほど検温、消毒検査などの感染予防に努めています。 この座組も例外ではありません。だからこそ1人でも陽性者が出れば即座に判明できるシステムになっていて、しっかりとそのチェック機能が働いていたからこその結果だと思っています。 なので公演中止は仕方がない事でした。 初日の幕が開いたらラッキー、楽日までやれれば奇跡というこの時期、
子供の頃の話。幼稚園から低学年ぐらいの頃。 いつもオカンと行ってたスーパーへの行き帰りの道に小さなお地蔵さんがありました。 歩道と道路を隔ててる背の低いツバキだかなんだかの植樹が一部途切れていて、そこにお地蔵さんがいました。 祠に入ってるわけでもなく、ただ小さなお地蔵さん(20センチぐらい?)がぽつんといました。 僕はスーパーの行き帰りいつも手を合わせるわけでもなくただなんとなくお地蔵さんの存在を確認していました。 ある日なんとなくオカンに聞きました。 「なんでここにお
ついに幕が開きます。石田衣良さん原作「LAST&SEX」 4話中の1話「ラストホーム」の脚色をしました。 脚色コンクールの入選作品です。 思えば脚色ってどうやるんやろうと、手探りで指定されてた石田衣良さんの作品を読んだのももうおととしのこと。 読んですぐこの作品しかないと思って「ラストホーム」を選び舞台作品へと再構築していきました。 内容は深く言いませんがホームレスの話です。 そして僕は勝手に愛と絶望そしてあるか分からないような、いやきっとあるはずであろう、希望が書か
死んでいく想像をする。 リアルに緻密に自分の死んでいく様をシュミレーションしてみる。 ベッドに横たわりながら想像を巡らす。 ゆっくりと死んでいく。 じょじょに脈が弱くなっていく、意識が遠のいていく。子供の頃の事を思い出す。自分の事を傷つけた人、自分が傷つけてしまった人の事を思い出す。 そう悪くもない人生だったんじゃないかとか思ってみる。 そして気がつくと眠ってる。 けれど眠っている僕にはそれが眠っているのか死んでいるのかの区別はつかない。 あいまいなまま朝が来る。僕は目覚
どこかで落としたのかもしれない。 私は今来た道を戻って行く。 地面に目をこらしながら、落としたモノを探しながら歩く。 もう随分戻ってきた。 誰かが拾ってしまったのだろうか。 そもそもほんとに落としたのだろうか。 そもそも私は落とすようなモノを持っていたのだろうか。 何を落としたかも何を持っていたかもあやふやになってきた。 しかし私は来た道を戻り続ける。 落としたモノを探しながら。 顔を上げて辺りを見渡す。 もうここが来た道なのかも思い出せない。 けれど今の私は来たであ
今日も11位だ。 必ず見るわけでもない。たまにふと目に入るといつも11位な気がする。 11位。どうせなら12位であれと思う。12位ならもうさがりようがないから腹もくくれる。 「今日12位でさ」と会話の糸口にもなる。 あわよくば同情さえしてもらえる。 12位がうらやましくさえ思えてきた。 もうそうなるとほんとの12位は11位なんじゃなかろうか。 そうだきっと11位が12位なんだ。 1番不幸じゃないから同情もされず。 「12位じゃないなら良かったじゃん」なんて暴言を誰かが
自分が見てない時にも川はずっと流れているのかが気になり何度も川を振り返り見る。 全然気にしてないよアピールを背中から漂わせながら川を油断させておいて、猛スピードで振り返る。 何度もそれを繰り返す。 けれど川は流れている。 世界は私と無関係で少し安心した。
私の祖母は奄美でユタをやっておりました。 人の未来が視えたらしく一時は遠方からも人が来るほどだったと言います。 若い頃の霊能力はすさまじかったらしく、時折狐憑きのようになることもあったようで、夜中突然叫びだしたり商店の品物を勝手に食い漁ったりしたりでほんとにに大変だったと祖父がよく話してくれました。 私が産まれる頃にはもう祖母たちは奄美を離れており霊能力も無くなっていました。なので私の記憶の中にある穏やかな祖母からは想像つかないその話も私は話半分に聞いておりました。
先生の残した手記はここで終わっている。 この手記は先生の鞄の中に残されていたものだ。 先生の消息が分からなくなり随分経ってから、ボランティアで捜索してくれていた人がZ町の山中で鞄を発見した。 その鞄は木のツタに複雑に絡みつき、幹にのめり込みそうなほどの状態であったらしい。 ボランティアの人は首をひねりながら、最近ツタに絡まったとは思えないほど木と一体化していたと言っていた。 鞄の中は原稿用紙が入っているだけだった。 そこには先生の字で現実のような妄想のような物語が
もじゃもじゃ頭の歯が2本しかない男。 突然現れたその男にもう今日のバスはない事を告げられた私は男の言われるまま、いや男の厚意に甘えてZ町まで車で乗せていってもらう事にした。 不安がなかったと言えば嘘になるが、これも何か導きのようなモノなんだろうと腹をくくった。 もじゃ男の車は、サビだらけの軽ワゴン車で走り出すと尻がむずがゆくなった。 「先生はついてますな。あそこに一日いても、人っ子一人会わへんのもざらやから」 「感謝してます」 車の揺れで舌を噛みそうになった。
夕べあれほど見送りは結構と言ったのにK君夫妻は駅まで来てくれた。 昨日見せた切符の時刻を記憶していたらしい。 遠慮などではなく列車の見送りはほんとに苦手だった。今生の別れでなくとも車窓から小さくなっていく知己を見ていると引き裂かれるような、二度と会えぬような気がして苦しくなってくる。 なので、列車の中ではしばしセンチメンタルな心持になっていた。 列車が動いてしばらくしてから、咲さんが持たせてくれた握り飯を食べた。 梅とおかかと鮭のシンプルな握り飯。咲さんの手作りと言うの