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死という選択肢

社会人になってから自分の中に死という選択肢が増えた。
大学受験が思うようにいかず、貨物列車に吸い込まれるようにふらっといきそうになったことはあったが、一瞬だったし思いとどまった。
社会人になってから、死にたいという感情をしっかり認識した。
真綿とか毛布とかでっかい猫ちゃんとか、自分に優しいものに包まれた状態で眠るように死ねるなら死にたいと考えていた。
楽に死ねるならどんなに…。もしかしたら世の中にはそういう方法もあるのかもしれないが、具体的な死に方は検索しないよう、知らないようにしていた。やりかねなかったから。

わたしの死にたい感情は、ふとした瞬間に急に訪れるやつだった。気がついたらそこに居た。さっきまで友達と楽しく話してたのに急に死にたい感情が顔を出す。死にたいと一瞬感じてから色々考え始めて、「もしかしたら友達は裏で笑ってるのかも」とか「裏切られているかも」とか悪い想像が膨らんだ。(冷静に考えたらそんなことは無いんだけどね)
わたしが死という選択肢を持ちつつ、でもそれを選ばないということを決められたのは、友人の言葉と母親の存在だった。 

友人はメンタル的な方に明るい人(という表現が正しいか分からないが)で、病院選びを手伝ってもらったり、話を聞いてもらったりした。
でも、死にたいなんて話は出せなかった。そんな話をしても一般的には「死にたいなんて言うなよ、生きられないやつもいるんだぞ」とか「生きてればいい事あるよ」とか言われるのがオチだと思った。死にたい感情も、死という選択肢も、すべて否定されると思った。
あ、でも冗談っぽく「でっかい猫に埋もれて死にたい」ってツイートはした。
何をどう感じたのか分からないが、ある時、友人が「死という選択以外をとれると良いね」と言ってくれて、とてもびっくりしたんだけど、心が楽になった。死にたい感情も否定せず、死という選択肢も否定せず、でもそれ以外を選択出来ることを望んでいるよと言われて、素直に嬉しかった。

それから、死という選択をした時のことをしっかり考えた。 
職場の人達や友達は葬式にくるのかな。泣いてくれるかな。でもきっと乗り越えてくれる。あ、Twitterだけでしか繋がってない人達もいるなぁ、友人に頼んで報告ツイートしてもらおうかな。残った契約関係とか家のことは、姉ちゃんがしっかりしてるからきっと何とかしてくれる。母親は…きっとすごく泣くんだろうな…。きっとこの先ずっと、ずっと後悔して、泣いて生きることになるんだろうな…….。それはいやだなぁ………。
そこまで考えて、めちゃくちゃ泣いた。数時間泣いて、死という選択肢を取らないと決めた。
たぶん母親とはあまり上手くいってないほうだと思う。それでも、私をこの世界に繋ぎ止めてくれたのは母親の存在が大きかった。
 

これが1,2年前の話。
決めたあと、少しずつ、時間をかけてメンタルが回復してきて、死にたいと思うことも少なくなってきた。
でも最近またメンタルの調子が悪くなってきてしまった。仕事が終わらなくて理不尽で辛くて、いっぱいいっぱいだった時に、少し否定する言葉をかけられて、無理になってしまった。
特にそういう話をしたわけではないが、先輩にめちゃくちゃ心配そうに死なないでねと唐突に言われた。酔っ払いついでに、少し生死感について先輩と話して、思い出したので綴っておく。

私は死という選択肢を持ち続けている。
きっと死にたいという感情が全く無くならない限り、ずっと選択肢として持ち続ける。
それでも、私は死という選択肢は選ばないと決めた。「今」その選択肢を選ばないのではなく、「今後もずっと」その選択肢は選ばない。
これは備忘録であり、決意表明でもある。

完全に強がりだが、言わせて欲しい。
死んでやるもんか。


あ〜あ、明日からまた仕事だよ。
もういい感じに手抜きして、適当なところで帰ろ。
頑張りすぎないのも大事。

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