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2020年8月双葉町取材⑤/実証実験

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 白山神社を見た後、駅で鵜沼さんと待ち合わせる。8時半の約束だったが、少し早めに着いたにも関わらず鵜沼さんは既に着いていた。待たせてしまって申し訳ない。鵜沼さんは昨夜はあまり眠れていないようだった。

 挨拶を交わした後、この日、両竹地区で行われる野菜栽培の実証実験の場所へ車で移動する。途中、ガソリンスタンドへ給油のために立ち寄る。トイレのために事務所の中に入ると、そこには様々な双葉町の広報とともに、6月に僕を取材してくれた朝日新聞南相馬市局在籍(当時)の三浦英之記者の著書、『南三陸日記』の文庫版が置かれていた。

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 三浦さんらしいなと思った。SNSでは「自称福島県民」から様々な誹謗中傷を浴びせられている三浦記者だが、「現場」では三浦さんの著書だけがこうしてポンと置かれている。SNSに巣食う匿名の自称福島県民がいうように本当に現場で嫌われているならば、こんなことはあり得ない。

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 両竹の集合場所へ行くと、そこには多くの、かつて双葉に住んでいた農家たちが集まっていた。鵜沼さんに着いてきた見知らぬおっさんである僕に、誰もが懐疑的な目線を向ける。鵜沼さんが僕の絵本を紹介し、僕も自己紹介をするが、当然みんなのリアクションは薄い。しかし来てしまった以上当たって砕けろ。耕してある畑に向かって歩いていくみんなに、怪しい自称絵本作家が少し肩身の狭い思いをしながらも着いていった。

「どんな絵を描いているの?」行政の人と思われる人から聞かれてあれこれ話してはみたものの、何を話したかは覚えていない。完全なアウェイ空間で緊張感はマックスに近かった。福島を描くと覚悟は決めたものの、やはり当事者の前では怖い。もちろん、否定的な反応をされたからといって反発はしない。それは僕の描くものが未熟だからだ。ヒリヒリするような緊張感だが、妙な胸の高鳴りもあった。ドMなのだw

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 この日は、ブロッコリーにほうれん草、キャベツに小松菜とカブの5品目を3箇所の畑に植える。どれもセシウムが移行しにくいといわれるものだ。今後、双葉町でこの5品目しか栽培しないというのであればわかるが、そうでないなら、この実証実験がどこまで意味があるのかわからない。

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 実はこの実証実験は2019年にも行われたのだが、その時は特にメディアに知らせなかったので、取材に来たのは河北新報だけだったという。その2019年の実験は、10月の台風で畑が水浸しになりうまくいかなかったという。しかし鵜沼さんは、「腐らなかった野菜が1kg以上はあったはずで、測ろうと思えば測れたと思う」と首を傾げた。

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 この日の実証実験には、多くのメディアが押し寄せた。1箇所目の畑に植えるときから来ていたのは福島中央テレビ。2箇所目の畑ではTUF(テレビユー福島)。最後の3箇所目の畑では共同通信、朝日新聞、読売新聞、河北新報、地元新聞社2紙ほか多数の新聞社、テレビ局は5社は来ていたと思う。実証実験のために集まった農家の数よりメディアの数の方が圧倒的に多かった。

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(除草剤を散布し枯れた雑草のところにすぐまた緑の雑草が伸びる。向こうに見えるのは稼働しているようでしていないJA)

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(ほぼ完成し、オープンを待つだけの原子力災害伝承館と産業交流センター)

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 土の状態を中性に近づけるために石灰を撒き、次に肥料を撒く。ゼオライトなどの放射性物質を吸着するような物質はあえて撒かない。そして農薬は大量に。曰く「食うわけじゃねえから」。そうして苗を植え、種を蒔く。日々の管理も、県内に避難している農家が行う。

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 農家側としては、そこまでやった以上、収穫も行い、検査やデータ公表にも立ち会いたいという。しかし東北農政局は、収穫以降のことは行政でやるという。これに対して鵜沼さんは憤る。「放射能はありませんっていう結論ありきで進めるのはおかしいでしょ。私たちは“実験”の結果を知りたいのに、何で見せないの。見せないから疑われるんでしょ」。

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(伝承館の入り口が見える。その先に中間貯蔵施設)

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(メディアの車が遠くにずらっと並ぶ)

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(周囲は猪よけの電気柵で囲う)

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 この日来ていたメディアは、どちらかといえば「双葉の復興が進んだ」的な歓迎ムードだ。農家の間では久しぶりの再会もありで雰囲気は明るく、それもメディアに伝わっていたと思う。僕が見る限り鵜沼さんはどのメディアにも誠実に言いたいことを遠慮なく訴えていたと思うが、農家側のそんな懸念を伝えたメディアは、僕がチェックした限り1つもなかった。

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(中間貯蔵施設前に並ぶフレコンバッグ)

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 数多くのメディアが、それぞれ思惑がありながら参加した農家たちを取り囲み取材する向こうには、もうすぐ完成する原子力災害伝承館と、大量のフレコンバッグと中間貯蔵施設が見えた。「耕地整理記念碑」越しにその光景を見ながら、僕の頭には非常に複雑な感情が渦巻いていた。

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 後日、この日の実証実験に参加した人たちの一人から、絵本「紅」がほしいと人を介して連絡があった。とても感動したという。誰なのか僕は知らないし、絵本の内容的に表立ってほしいと言えるものではないかもしれない。

…僕はこのことにとても勇気づけられる思いがした。僕のやってることは、誰かを傷つけ、そして自分のことも傷つける行為だ。でも、こんなことがあると本当に救われる。ありがとうございます。

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<続く>

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