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2021年2月双葉町取材の記録(写真)その8/双葉駅〜新山(標葉)城址〜東電双葉独身寮

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<続き>


2021年2月の取材2日目

 僕は基本的に、JRの週末パスを使って、週末2日間双葉郡を取材する。この切符は、JR東日本の関東、仙台、新潟エリアをカバーしたもので、週末2日間、どこでも乗り降り自由の乗り放題の切符だ。特急券を買えば新幹線や特急にも乗れる。青春18切符が発売されている期間は、それを使うこともあるが、18切符は特急が使えないのでやや不便だ。

 この週末パスがあるおかげで、僕はいわきを拠点に取材することが出来ている。今は双葉郡にもホテルが出来てきているが、どこも結構値段は高めだ。大熊町大川原地区にあるおおくまーとは比較的安価だが、部屋呑みするにはコンビニしかないし、コインロッカーの問題がある。

 このコインロッカーの問題は実は大きく、基本的に徒歩で取材する僕にとって、荷物は出来るだけ少なく済ませたい。1日で10km以上歩くとなると、重い荷物はそれなりの負担となる。土日2日間、着替えなどの荷物を預ける場所が駅前に必要で、それを考えるとどうしてもいわきか原ノ町しか選択肢がなくなってしまう。

 いわきには比較的安価なビジネスホテルがあり、僕はいつもそこを使わせてもらっている。双葉郡までは電車で約1時間かかるが、車内が混雑することはほぼないので、ストレスはない。

 いわきにはデパートや飲食店なども充実しており、部屋呑みの場合は福島ならではの惣菜が手に入るし、浪江から避難してきて営業している居酒屋さんもある。精神的にややストレスのかかる取材ではあるが、1日目の夜の福島のお酒と肴で過ごす時間は至福だ。

 …とそんなこんなで2日目の取材記録。

常磐線の車窓から

 いつも取材2日目は朝5時に起きて、いわき駅6:09発の常磐線に乗って双葉郡に向かう。

富岡駅の少し手前で福島第二原発の排気筒が見える。
大熊にて。代行バスで富岡〜浪江間の六国を走っていた頃は、
長者原でバッチリと見ることができた福島第一原発。
双葉駅到着。相変わらずいい気分はしない光景。

双葉駅

双葉駅に到着した時間は朝7時頃だったが、その時間から、
伝承館に向かうシャトルバスがスタンバっていた
この頃はまだ双葉駅前にも原発事故当時のままの車両が残されていた。
これもタイヤがペシャンコなので、原発事故直後からここにあることがわかる。

双葉駅からせんだん通りを南下する

 1日目は双葉駅の北側を探索したので、2日目は南側を調べることにする。

せんだんの木。除染のためもあるのか、あまりにも剪定しすぎな印象。
右の歩道橋は、前日最後に歩いた、双葉中学へと向かう橋。
ガラスの破片が飛び散っていた。
線路沿いに建つアパート。震災直後のまま。
ここは24年2月の取材の時もそのままだった。

新山(標葉)城址

 ここには、かつてこの地域を支配していた標葉(しねは)氏の支城があった。

以前ここを訪れた際は、東側から登ったが、この日は西側のここから登ってみる。
山頂には双葉忠魂碑がある。それを伝える碑は倒れたままだ。
中腹から南側を見渡す。この山の麓には自性院が管理する墓地と共同墓地がある。
山頂には公園がある。モニタリングポスト。線量はさほどでもない。
旧双葉町役場を臨む。

双葉忠魂碑

 ここには、かつての戊辰戦争や太平洋戦争などで亡くなった双葉町民の名を記した忠魂碑がある。地震で倒壊したまま、10年以上も放置されている。

 実は、この忠魂碑はそもそも別の場所にあった。今よりもっと南側の、双葉町新山高万迫の高台の上にある天王山公園にあった。しかし、その場所は、原発が出来て東電双葉社宅となった。

 双葉町を見下ろす高台に社宅を作るために、東電は公園と忠魂碑の場所を移動させたのだ。

児童公園

ここはかつて児童公園だった。ここで子供が遊ぶ日は戻ってくるのだろうか。
聖徳太子を祀った碑。大熊町にも似たようなものがある。
ひと通り見たので戻ることにする。
倒壊した家屋。これはこの年2月13日の地震で倒壊したと思われる。

東電双葉独身寮

東電の社宅はどこも立派だ。
当時のままなのか、バイクが放置されたまま。
玄関から中を撮影。
アスファルトから木が生えている。これが10年の月日というものか。
中も当時のまま。
非常階段より双葉中学を撮影。
椅子などが散乱しているのは何故だろう。ここも一次避難所になったのだろうか。
2階の麻雀卓が見える。
ここにもアスファルトを突き破って伸びた木がそびえる。
東電の独身寮を後にする。

 東電の現場作業員には罪はないとわかってはいるが、正直、東電の社宅や寮を見るときはいい気持ちはしない。まして、原発事故当時、非番の職員や職員の家族は先に逃げたという様々な証言を聞いているだけに。

<続く>

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