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力になる言葉

無自覚とは、良くないと分かっていながら何度も何度も同じ行動をし、それでいて毎回別の結果を求める人。
そして「思ったようにならないのが人生、どうせこんなもんさ」としょぼけてしまう。
自分はこのゲームのプレイヤー、自分にも思ったように変える力がある。思ったようになれる。
と知った人達は、「今までとは他の方法があるよ」と言おうとしている。
その努力、その勇気こそが讃えられるべきであり、批判されるようなことではない。

霊性、魂、俺、蟻、空、雨、葉全てが生命として、神として1つ。全ての存在が、存在する前にあるものとして一体。
原動力となるエネルギーは同じだが、個性はそれぞれにある。
指はそれぞれ個性があるが、根元は手首として繋がっている。
どの指が優れているか?どの指が1番劣っているか?という質問に答えられないのと同じで、全ての存在はそこにあるだけで、存在としてあるだけで完璧であり充分。
霊的であるとは生命に肯定的であること。

そして全てを受け入れるとは、今目の前に現れたものに抵抗せず逃げ出さず、あるがままを抱きとり、まるで自分のように愛すること
それは自分自身だし、自分が創造した楽しいものである。それは魂の喜びであり、祝福すべきもの。
それを楽しまないというのは自分が創造したものを受け入れない、拒否することになる。
拒否し抵抗する度合いによって、その体験で受ける苦しみや辛さは強くなる。

それを受け入れて生きることによって、外側は特に変わったように思えなくても関係が無い。
大事なのは内側がどうかであり内側の真実、現実、体験を求めるのだ。
外側はあるがまま、流れに任せていればいい。
こうありたいと思う内側の世界を創造すればいい。

受け入れるとは賛同することではない。
受け入れることによって初めて、それを変える為のチャンスを得る。
手に持っていなくてどう手放すのか?
全てを完璧な自分の完璧な表現であり、創造だと受け入れる。
適当に書いたあの駄文も、適当に歌ったあのソングスも完璧な自分としての表現である、と。
その時初めてその創造をやめて、別の創造をすることが出来る。

何でも批判や非難をしない=賛同している
ではない。ただ批判を拒否しているだけ。
怒りを原動力に変化を起こすのはもうやめ。
これからは人生の全ての状況を祝福し、贈り物だと思おう。
そうすれば感謝が生まれてくるみたい。
その贈り物が、なりたい自分=真の自分に沿わないのなら、優しく愛を基に手放していこう。
ありがとうございます。

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