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続く物語~勇者の冒険は終わらない~

大人が言う「大人になれ」なんて気にせずに、君だけの物語を歩んで行け。
君は、何者だ。

TVゲームやVRの世界だけが、心踊る冒険ではない。
ゲームのエンディングを迎え 目が醒めたとしても、勇者の冒険は続いていく。
それは終わることのない旅路であり、永遠の探求。
僕らは、惑星地球という広大な遊び場に自らの意思で降り立って、心のままに遊ぶことを決意した偉大なる魂であり、「人生」ゲームのプレイヤーだ。
プレイヤーたる自分がいるからこそ この世界に命が吹き込まれ 数多の出会いと尽きることのない冒険、1人1人のゲームとしてのドラマがある。
僕らは、自らの意思で勇者となる運命を携えてここにやってきたんだ。
 「Continue your adventure」

サンスクリット語に「マーヤ」と「リーラ」という言葉がある。
「マーヤ」は幻想を意味する。
この世界そのものが、原初の創造主によってプログラムされた仮想現実であるということ。
目の前に広がる世界は一切が真実ではなく、全て事象は幻に過ぎず、あらかじめ決められた意味を持つモノなどは1つも存在しないということ。
僕らが唯一の現実だと認識してるこの世界も 実はただの幻想に過ぎないという話。
マーヤについて詳しく説明してくれてる方のブログを転載させて頂きました。
興味があれば、一度ご覧ください。
https://ameblo.jp/201119640429/entry-11588107917.html

「リーラ」は幻想の中で遊ぶこと。
あえて神としての意識や創造力を神自らが忘れ、分離された自我として生きることを意味する。
遊びといってもただの娯楽や遊興じゃない、五感や心、魂を最大限に活用して、思う存分生きること。

この2つ、TVゲームやVRでイメージできますよね
クリエイターが作成した超リアルなゲーム空間。
没入感が半端じゃなく自我としての意識さえあって本当にここで生きているように感じられる。
その中で自由自在に遊び、物語はエンディングへ。
霊となった存在は、まだ遊び足りないのならば別のキャラクターへと生まれ変わり、新たな人生を。
もう十分に遊んだのならば、帰っていきます。
我らが源へと、みなの意識がいつか帰る場所へと。

このゲームで僕ら1人1人が勇者たる所以。それは
原初の創造主、完全無欠のクリエイターとしての意識や無限の創造力などを携えた上でこの地球にやって来ているということ。
つまり、神と僕達は同義なんだ。
ゲームを楽しむ為にそのことを忘れているけどね。
意識せずとも勇者の力は常に働いている、瞬間毎に自分の望む現実を創造する力だ。
昨今では引き寄せの法則とも理解されているが、本来は引き寄せるのではなく、創造主たる自分が創り出すことを示唆している。
自分が望んでいないように思える出来事でも実は自分が作り出していて、そのドラマはゲームのプレイヤーとして自分が楽しむ為に作り出されたものだ。
お金がなくても仕事が無くても、それは「人生」ゲームとしてのドラマである。
創造主としての自分という視点から解釈することが出来れば、味わい尽くして楽しむことが可能だ。

日々のストレスや惰性的な生活で忘れがちだけど、
僕らはみんな社会の常識なんか超えた、本当に生命を爆発させる機会を常に伺っていて、偉大なる魂としての自覚を常に求めている。
その自覚を促すものは、個人個人に違いがある。
だからどんなモノでも、各個人にとって価値あるモノならば無駄なんかじゃないし、何かに価値を作り出す自由を奪う権利は誰にも無い。
自分の心と魂に従って何かに夢中になれる事は何より素晴らしい。
魂からの欲求を信じ、使い古した思考判断や移り変わる世間の風潮などを気にするな。
幻想社会にすっかりハマってしまった大人達の言う事は参考程度に聞き流し、あなたの物語を作り出していこう。






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