無職最高 無職素晴らしい

なぜ自分の価値観や判断で生きる必要があるのか。
なぜ自分の在り方を自分で決める必要があるのか。
なぜ自己探求と自己創造の道を歩む必要があるか。

ほかにはどうしようもないのだ、真実を生きる為には。幻想を抜けて真実の自分に成る為には。
安易な道を飛び抜けて危険へと身を投げ出すんだ、これは決意であり誓いである。

僕はもうここへと戻ることは無いのかもしれない、
これが最後の人生なのかもしれない、もう人としてこの世に産まれてくることはないのかもしれない。

卒業して新たな段階へと移りゆくのかもしれない。
だから、これが最後の機会であるかのように生きるんだ。

死ぬことは怖いことじゃないんだ、ただ還るだけ。
ここに来る前いた場所へただ還るだけ、それだけ。
これは悲観なんかじゃない、俺が終わっても真実は、魂は死なないことをただ確信しているだけ。

一瞬の夢?一瞬の遊び?それで結構だ構わないよ。
またやって来たとしても、その時は俺じゃない。
ここにいる俺じゃない、だからこそ好きにやってやるのさ、そう決意するんだよ 今ここで。

無職で結構 ニートで結構 好きに生きてるだけだよ
無職の方が良いくらいだ、無職である事は素晴らしい。なんせ自分らしく生きる為に選んだ道がこの道だから。

何となく社会の流れに身を任せ自分を誤魔化しながら働いていたあの時の方が、よっぽど恥ずかしい。
だって自分に嘘をついていたから。
俺がしたいのはこんなことじゃない!と思いながらも、社会の常識やルール 人の目を気にしていた。
だから自分らしく無職を選んだ自分が誇らしいとも思う、俺は俺が大好きで愛しているよ。それだけでいいしそれが全てだ、周りの目なんてクソ喰らえ。

ただ無職である事を恥ずべき事だと思うのなら、他にやりたいことが見つかったのならやってみるべきだ。だってそちらに君の魂は傾いているのだから。
俺の言いたいことは自分に正直になれってこと。

無職であれることも1つの才能であり授かりものだ。この環境があることに感謝している。今あるものに気づくことができるんだよ、無職のうちに。

ずっと金を得ることはストレスだった。
嫌なことをした結果、ストレスを溜め込んだ結果の報酬として金を得ていたからね。

だから使う時もストレスだったし、税金や携帯料金の引き落としによって減った預金残高を見るのもストレスだった。全てはストレスというエネルギーで保たれていたから。

今となっては楽なもんさ、所持金がいくらでも構わない。だってその金を得るのにかけたエネルギーがストレスじゃないから。

嫌なことをして得た金じゃないから愛がある、感謝できるんだよ これだけの金があってありがたいって。分かる? 額は問題じゃないんだよ、その金に対して自分がどう思うのか?が1番大切なんだよ。

例え1000万円あったとしても「足りない」と感じる人はいるんだよ。
俺たちの欲望は止まることを知らないんだから。
それならば自分の認識を変えるしかない。
足るを知るのさ。

今の自分に必要なものは全て揃ってるってな。
言い聞かすのではダメだ 心の底から言えてないと。その為には、いま手元にある物に感謝して愛を抱くこと。それ以上を必要としないことが必要だ。

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