文化を通して、高次の知識を得る

様々な文化、ハイカルチャーやポップカルチャーと区別され、誰かが概念化し形式的に消費される文化の枠。
そんな枠を飛び越えて様々な形でそこから新たな高次の意識を芽生えさせることが可能だ。

僕は様々な音楽、スケートカルチャーやストリートカルチャーに触れて今新たな意識を形成している途中。
その中で新しい命の芽吹きを感じている。
何故ならば、今この瞬間に現れてくる意識の変幻自在さに驚きながらも、決して揺るぎなく変わることなく新しく生まれ変わる生命のリズムを感じて、そこから今新たに生まれ変わろうとしているのが分かるから。

今ここから。常にいまここから。

そうやって新しく生まれ変わったぼく達が常に真新しい世界を切り開いていくんだ。
そこから生まれ出たモノは、無条件に無目的に人生を謳歌したいという願いや切実な祈り。
それらには、新たな高次的領域へと迎え入れられる為の神聖な可能性が芽吹く。
今ここで感じ取り、今ここで咲き誇る文化の発芽を求めている。
どうやっても諦めていられないから、常に前へ前へと意識の変革を目指す僕らがいる。
そこには理由なんてない、利益損得で測るための物差しなんて必要が無い。
いまここで爆発的に生命を開ききって、自分を自分たらしめるものは何かと探し求めているんだ。

しかし、そこには徹底的な矛盾を孕んでいる。
外側にある文化との交流を目指し、自分を誤魔化しながら進んでいく危険性がある。
「誰かが言ったから正解なんだ」
「あの人がこうやってるから自分も真似をする」
そんなみみちいことでは、本当の文化的人生を切り開いているとは言えないだろう。
自らがここで自らを証明し、いま自分に足りない物は何かと探り当てたら、その足りない事象を作り上げていく無限の可能性に賭ける。
そうやって生命が開いていく。
そうやって開いていくのが生命であって、真似事では決して到達できない地点へと辿り着くんだ。
例え世界がそれを拒んだとしても、僕が誰かに拒まれたとしても一向に構わないんだ。
自分に嘘無く曲げずにやれたのならば、それが正解だと自らに言い聞かせる。

自分や自己、この三次元的な自我とは自分だけども自分じゃない。
狭い価値観に囚われて行き詰まる自我を圧倒的に突き放し、もっと大きくて広い自らを超越した存在との合一を図る。
いわゆる魂や神ハイヤーセルフなど、様々に名付けられた高次の自己との共生をしているんだ。
人それぞれのプランが存在していて、僕が選ぶこのプランは楽な方へと繋がっている。
自らが選ぶプランが、選択が常に存在している。



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