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なぜバカッターは大手飲食チェーンに集中的に現れるのか?

今さらかも知れないが、「バカッター」の文脈を考えてみたい。

なぜバカッターが流行るのか?——というのは多くの人が抱いた疑問だ。なぜなら、それらは同時多発的に現れたからだ。全く関係ない人同士が、なぜか全く同じ時期にバカッターをくり広げていた。それで一種のブームになったのだが、そのことの不思議さがあった。

なぜ、バカッターは同時多発的に起こるのか?——それは純粋な疑問だった。そこで、多くの人がその「なぜ?」を考えた。

すると、そこで出てきた答えは大きく二つある。

一つは、バカッターは以前から不謹慎な動画を上げていた、というものだ。それが流行ったから、探し出す人が急に増えて、それで同時に見つかっただけだ、と。

もう一つは、バカッターをするような人は以前からいたが、そういう人たちがちょうど今、スマホやインスタを始めるようになった、というもの。そもそもいたバカの層がそういうゾーンに同時にリーチしたから、同時多発的に起こった、と。

この分析は、どちらも正しいと思う。文脈としてはきわめてまっとうだろう。ただ、ぼくは咄嗟に、そこにもう一つの文脈を考えた。そして、これは必ずしも科学的に証明されるものではないが、しかし同時に、今我々が必要としている文脈ではないだろうかとも考えた。なぜなら、その文脈を考慮することで、未来への備えをできるのではないかと考えたからだ。

では、その文脈とは何か? なぜバカッターは、同時多発的に現れたのか?

それは、やはり「若者差別」の問題が大きいと思う。

バカッターをする人には、不思議な共通点があった。それは、いずれも若者なのだが、いずれも大手飲食チェーンでアルバイトをしている——ということである。大手飲食チェーン店でアルバイトをしているときに、バカッターをくり広げている。

バカッターが大手飲食チェーンのアルバイトに数多く現れる確率は、通常想定されるものを大きく上回っているはずだ。だから、そこについて何か意味を見出すのは、けっして不自然なことではない。

ただ、大手飲食チェーンアルバイトのバカッターは、他のケースに比べて叩きやすいから話題になっている、という部分はあるだろう。しかしこれも、逆に考えると人々が大手飲食チェーンでアルバイトをしているバカッターを面白いと思うからこそ、それを話題にしている、ということがある。つまり、大手飲食チェーンのバカッターを人々が話題として取り上げるのは、そこに彼らの意思が大きく介在しているからなのだ。

では、なぜ多くの人々が大手飲食チェーンアルバイトのバカッターを話題にするかといえば、そこに何か不穏な空気を感じているからだ。何かサスペンスを感じるからである。独特の緊張感を感じる。だからそこに注視してしまうのだ。

ぼくは近頃飲食店の経営を勉強しているのだが、飲食に限らず小売店は今、大手チェーンでないとなかなか成り立ちにくくなっている。そのため、日本の街並みはほとんどが大手チェーンで埋め尽くされるようにもなっている。

そのことの恩恵は、顧客にとっては大きい。しかし働く側にとっては、際限なく追い詰められる結果ともなっている。

どういうことかというと、例えば若者が今働こうと思っても、近所に大手チェーンしかない場合が多い。そうなると、そこで働かざるを得なくなるのだが、他に選択肢がないがゆえ、労働力を買い叩かれて、最低賃金で働かなければならなくなるのだ。

今、そういうふうに追い詰められている若者が非常に多い。そして、ここからが奇妙なのだが、そういうふうに追い詰められている若者は、実は自分が追い詰められていることに気づいていない。彼らは、息苦しさこそ感じるものの、お店側は法律に則って経営をしているのだから、文句を言えないと思っている。それに、辞めるという選択肢も残されている。だから、働いているのはあくまでも自己責任だととらえているのだ。

そのため、文句を言えないのはもちろん、不満に思うことすらできなくなっている。それがゆえに、表面化されない苛立ちや憤りといったものがマグマのように心の奥底に溜まっていき、それがやがて彼らの心を落ち着かなくさせていくのである。

そのマグマが限界まで溜まってしまうと、今度はいびつな方向へと噴き出していく。すなわち、バカッターという行為となって現れるのだ。

バカッターのことを「アルバイトテロ」と称する人もいるが、これはなかなか鋭いネーミングだ。なぜなら、バカッターは自分を雇っている企業に甚大な被害を与えているからだ。その意味では、それはまさしくテロリズムである。

ただし、その際に自分自身をも巻き込んでしまうから、世間からは「単なるバカ」にしか見えない。あるいは、たまたまバカなアルバイトがいたために、大手飲食チェーンがそれに巻き込まれただけのようにも見える。

しかし、彼らの行為を「アルバイトテロ」ではなく、「アルバイト『自爆』テロ」と定義してみてはどうだろう。そうした瞬間に、彼らの行為まさにテロリズムに他ならないばかりか、その中でも極めて純度が高く、それゆえ世の中に与える影響も大きいものであると、とらえることができるようになるだろう。

ぼくは、今度の一連のバカッター騒動は、この「アルバイト自爆テロ」に他ならないと思っている。彼らは、自分を傷つけてまでも企業の価値を失墜させようとしているのだ。それほど、彼らの心にはうらみやつらみが渦巻いているのである。

だから、未来においてはこの問題を解決しなければならない。すなわち、社会はもうこれ以上若者を差別することをやめなければならない。そうしないと、やがバカッターどころではなく、もっと手痛い形でしっぺ返しがくることになるだろう。

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