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前衛・後衛が自在に入れ替わる「テニス型」の家庭/パートナーシップ

要約すると、
①2年前から半分意図的に主夫を経験している。自分と社会を見つめ直すきっかけになるし、将来的には主婦/主夫の活躍できる社会へのサポートにつながるかもしれない。
②主婦/主夫の有能な人材が埋もれていて勿体無い。経済と家庭の活動をスポーツのFW /DF、前衛/後衛みたいに入れ替わる文化が広がればいい。特に、状況によって最適なポジションをとる「テニス型」を推したい。人材の流動性と経験や能力の最大活用になる。
③主夫とまではいかなくても、泥臭い家庭活動を経験している人が、国や組織のトップ層のマジョリティになってほしい。自分もロールモデルになれたらいいな。家事が苦手だからこその創意工夫も話せるかも。
というお話し。

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今我が家は、妻がフルタイムで働いて、自分が子どもの送り迎えやご飯づくりなど、主夫的な役割を担っている。また子どもたちも親の関わりの濃い幼稚園に通っているのもあり、自由に外に出る時間をつくるのが難しい。自分はもともと短い時間に集中したり、頭を切り替えたりが非常に苦手で、家事だって全然きちんとできていない。そのような事情から、この2年ほどはお声がけいただいた仕事や活動以外は広げず、自分を見つめ直す期間にしてきた。

近年は夫婦共働きが増えてきたとはいえ、さまざまな事情で片方が主婦・主夫をしている家庭はまだまだ多い。共働きでも、子どもの都合で全力で働けない人は多いだろう。スマホやパソコンを見ると、まわりの知人・友人たちが各地を飛び回って活躍をしている姿や、興味深いイベントに参加している姿などが目に入る。でもそれらの輪に入る余裕はなく、どこか置いて行かれている気持ちになってしまう。自分は、こういう「焦り」を半分意図的に経験している。焦りの中には、自分の潜在的な価値観や思考のクセなどが隠れていたりする。どこに、なぜ焦りを感じるのか?この感情をつきつめることが、自分と社会の関わりへの気づきにつながるのではと考えて、思案してきた。

加えて、多くの一般市民が抱える課題の当事者になることで、将来的には「主婦・主夫人材が活躍できる社会」のヒントにつながるのでは、とも考えてきた。京都でまちづくりの支援に関わっていた経験の中で印象的だったのが、「ママさんたちのパワー」だ。自分が主夫業に抵抗がないのには、その影響はあるかもしれない。

これはジェンダー以前に、優秀な人材を最大限活用するという合理性の問題だと思っている。「家事が上手い人は、仕事もできる」「仕事ができる人は家事も上手い」(そして、自分は両方とも手際が悪い!)。今の社会は、男女に関わらず、いろいろな経験や、家事・育児で鍛えられた段取り力もある有能な人材が、活躍の機会やきっかけがなく埋もれてしまっている。これは非常にもったいない!自分は、将来的に主婦・主夫の活躍できる社会へのサポートにつながるよう、今のうちに当事者になって体験しているのだ。

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そもそも家事や育児は本来、未来社会の基盤となる重要な営みのはず。未来を担う人材を育てる役割だけでなく、今の労働者が健全に持続的に最大限能力を発揮できるような環境を整える役割でもある。給料を稼ぐ経済活動と家事・育児などの家庭活動、どちらが上というものではなく、両輪が必要なもの。経済活動を「オフェンス(FW、前衛など)」、家庭活動を「ディフェンス(DF、後衛など)」と捉えて、スポーツのようにチーム内の役割の違いと考えるといいかもしれない。

対等な価値として認識すれば、家庭内(パートナー内)でも柔軟に役割を入れ替わることができる。サッカーのように、本来FWの人が一時的にDFのポジションを経験することで、俯瞰できる視野や新たな気づきを得られたりするかもしれない。さらにはテニスのように、前衛と後衛が自在に入れ替わる形もあるかもしれない。チャンスと見たら二人前に出ての並行陣もいい。個人的にはこの形が理想だと思っている。


イメージ図(西尾作成)。助っ人もフル活用しよう!


主婦・主夫の時間は、決して停滞ではない!FWや前衛が心置きなく活躍できるための下支えであり、自分が前に出た時のための視野やマインドを育む、重要なポジション!担い手を固定化してしまうのではなく、誰もが柔軟に関わっていくことで、社会全体で人材が流動的になり、それぞれの持っている特性や経験、技術を、柔軟に発揮できるようになり、長期的に見て得点力(経済、豊かさ、ウェルビーング)にもつながっていくように思う。最近では「キャリアブレイク」という言葉も出てくるなど、いろいろな動きが後押しをしてくれるかもしれない。

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繰り返しになるが、主婦・主夫という存在を、もっと社会的に理解して、敬意を持っていいと思う。喉元過ぎればなんとやらで、経験した人たちも「今だけだから」「そういうものよ」と人ごとのようなアドバイスになってしまう。それは、社会的に家事育児は、我慢するものみたいな認識になっているのではないか。家庭活動は、誰もが経験したくなるもの、その後の経済活動にもプラスになるものとして、社会全体で尊重する。それが未来の発展にも寄与していく。それが当たり前になればいいと思っている。

大きな問題は、家庭活動を経験していない人たちが、今の国や組織を動かしているトップ層のマジョリティになっていること。自分ごとの発想にならない。国の政策も、組織の制度も昭和の価値観の枠を超えられず、柔軟な風土がなかなか醸成されない。短期的な数字や成果だけでなく、家事・育児を経験しての長期的な視点や視座が必須要素になるくらい、変わってほしい。

そうした変化に向けて、自分にできることとはなんだろうか。自分が段取りが苦手な分、夫婦で創意工夫もしてきているので、「こういう手段もありなのか」という新しい選択肢は示せるかもしれない。いずれは硬式テニス型のロールモデルになれるように、等身大でコツコツ取り組んで発信していきたい。

ちなみに軟式テニスは前衛と後衛が固定されているイメージがあって「硬式テニス型」にしようと思ったけど、調べてみると実はかなり前に「ソフトテニス」に正式名称とルールが変わって、最近は柔軟になってきているらしいので、「テニス」に統一しました。

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