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書くことで、起こること。

いま、この二冊の本を並行して読んでいる。

前者は「随筆」、後者は「詩」を書く人に向けた本だ。
しかし「自分のために書く」という点で共通していて面白い。

両者の違いについては、『読みたいことを、書けばいい。』にこうある。

「事象と心象が交わるところに生まれるのが随筆」と述べたが、これはとりもなおさず「事象を著した文章」も「心象を著した文章」もあるということである。

事象を中心に記述されたもの、それは「報道」や「ルポルタージュ」と呼ばれる。

(略)

次に、心象をメインにして記述されたもの、それは「創作」「フィクション」と呼ばれる。すなわち小説だっったり、詩だったりである。

(略)

事象よりのものを書くのならば、それは「ジャーナリスト」「研究者」であり、心象寄りのものを書くのであればそれは「小説家」「詩人」である。それらは、どちらもある種の専門職というべきものである。

そのどちらでもない「随筆」という分野で文章を綴り、読者の支持を得ることで生きていくのが、いま一般に言われる「ライター」なのである。
(田中泰延『読みたいことを、書けばいい。』P.57-59)

「詩」よりも事象寄りなのが「随筆」。その中で、心象がどのくらいの割合かといえば、

書くという行為において最も重要なのはファクトである。ライターの仕事はまず「調べる」ことから始める。そして調べた9割を棄て、残った1割を書いた中のやっと1割にやっと「筆者はこう思う」と書く。(同書 P.148)

という。つまり「随筆」と「詩」とでは、心象の割合が大きく違うのだ。

このことは、両者の伝わり方の違いを示しているように思う。

「随筆」では、丹念に描写された事象に興味をもってもらい、事象で他者とつながる。そうして橋を架けた上で、ためらいがちに、ほんの少し、心象を伝える。

一方「詩」では、ある事象から生まれた心象を、さらに圧縮して「ことば」にする。他者に伝わるときには、その「ことば」が共鳴して感動を生む。このとき、元になった事象は一切共有されない。

歌もそうだ。ある曲を聴いて感動するのは、その曲の「ことば」や「音」が自分のなかのなにかと共鳴するからで、曲の作者に起きた、その曲をつくる元となる出来事は分からないし、関係がない。

あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら
僕らは いつまでも 見知らぬ二人のまま
(小田和正『ラブストーリーは突然に』より)

小田さんが、その日、その時、その場所で誰に会ったのかは知らない。
もしかしたら、そんなことは起きてすらいないのかもしれない。

けれど「あの日 あの時 あの場所で」という歌詞は、無数の「僕ら」のその日、その時、その場所に触れて響く。その時、人は「ああ、これは私の歌だ」と思う。そういうことが、一人だけでなく大勢に起こる。これはものすごいことだ。

 詩を書くことを勧めたいのは、詩は表層意識だけでなく、私たちの深層意識、こころの深いところにあるものを表現できるからです。
 別の言い方をすれば、意識で考えていることだけでなく、ある意味では思考が及ばないところに大切なものがある場合がある。
(若松英輔『詩を書くってどんなこと?』P.83-84)

思考が及ばないところにある大切なものを、自分に対して明らかにし、なぜか他者とも分かち合える。それが詩を書くことなのだとしたら、それはすごい営みだと思う。

「随筆」の『読みたいことを、書けばいい。』と「詩」の『詩を書くってどんなこと?』。守備範囲はまったく違うが、他者の評価のために書くことを戒めている点は共通している。

詩は、こころの深みから送られた自分への手紙だと(リルケは)いうのです。どうしてそんなに大切なものを他者の優劣の目にさらさなくてはならないのか。それが活字にならないと満足できないのか、というのです。
(若松英輔『詩を書くってどんなこと?』 P.83)
自分が読みたくて、自分のために調べる。それを書き記すことが人生を面白くしてくれるし、自分の思い込みから解放してくれる。何も知らずに生まれてきた中で、わかる、学ぶということ以上の幸せなんてないと、わたしは思う。

自分のために書いたものが、だれかの目に触れて、その人とつながる。孤独な人生の中で、だれかとめぐりあうこと以上の奇跡なんてないとわたしは思う。(田中泰延『読みたいことを、書けばいい。』P.247-248)
詩なんか書けない
そう 君はいうけれど

言葉にならない
おもいが
ないわけでは
ないんだろう

言えない
そう感じることがあるなら
君はもう
詩人なんだ

まだ 詩を
書いていない
世に ただひとりの
詩人なんだ

どうして
そんな君が

誰かが
書いたような言葉を
つむぐ必要が
あるだろう
(若松英輔『詩を書くってどんなこと?』 P.223-224)

僕たちは毎日、かけがえのない「あの日」「あの時」「あの場所」を過ごしている。それは一瞬一瞬、過ぎ去ってしまう。取り戻すことは、できない。

だからこそ、そのことをただ、そのままに。
誰かに誉められるとか、PVが稼げるとか、お金になるとか、そんなこととは関係なしに、自分の言葉で。

そういうものを読みたいと思っている。
そして、書きたいと思って、書く。

すると、突然、奇跡のようにだれかとめぐりあう。
その日、その時、その場所で。

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