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鉄棒と重力。

憧れの人がいる。
その人になろうとして努力し、なれずに凹む。

そんな経験はあるだろうか。
僕はある。幾度となくある。

このあいだ『listen.』でおしゃべりしていて、そんな話になった。

憧れの人のような「できる」自分として過ごしているのだけど、思いもよらない時に急にできなくなってポカをする。意識

話をしてくれた人はそれをよくないことと捉えていたようだけれど、僕にはそうは思えなくて、思わずこう言った。

「もしかすると、そのできなくなる方の自分のほうが、ほんとうかもしれないよ」

そう思ったのは、僕自身も、僕の身近な人も似たような経験をしていたからだ。年を経るごとに、憧れの力がだんだんと抜けてなにかができなくなっていく経験を。

ちょうどそれは、鉄棒にぶら下がっている状態に似ている。
「憧れ」とか「理想」の鉄棒にしがみついて、ウンウンと頑張るのだけれど、どこかの時点で筋肉が悲鳴をあげて、地面に落ちてしまう。

でも、その地面に立った状態が「身の丈」であり「等身大の自分」ではなかろうか。自分のことだと気づきにくいけれど、周りの人のことだとそれがよく見える。「憧れ」になったその人よりも、なりきれないその人の方がよく似合うし、親しみやすい感じがするから。

だからといって、「憧れ」に向けて努力をすることが悪いには思えない。そうすることで、腕とか心とかどこかの筋肉は鍛えられていくように思うから。

でも繰り返しになるけれど、ふっと手の力が尽きて地面に落ちてしまったとき、人はいい顔をするんですよねぇ。どういうわけか。

そして、いつだって鉄棒にぶら下がる人には、地面に向かって重力がかかっている。

その重力は「ありのままの自分でいていいんだよ」と言っているような気がするんです。

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