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町の仕事。若者の仕事。男の仕事。

今朝、はじめて、町内の清掃に参加させてもらった。

町内清掃2

毎日通勤に歩いてる道の脇にある草を、電動の草刈り機で刈る。
飛び散った葉っぱを竹ぼうきでザッザッと「はわい」ていく。
「はわく」というのは、このあたりの方言で「掃く」という意味だ。

集まったのは、近所に住む方々。
60代、70代の方が多く、僕たち夫婦は圧倒的若手だった。

大家さんに紹介してもらい「名古屋から来ました」とご挨拶。それから奥さんはご近所さんとのおしゃべり、僕はひたすら「はわき」と自然に役割が分かれて一時間。

一生懸命、道を掃き、汗だくになりながら「町の仕事っていいもんだな」と思った。

この草刈りは、年に3回行われる。仕事がある人以外は全員参加ということになっているが、強制力はない。誰も来ないと、三年も経てば、伸びた草は手のつけようのない薮になるという。

自然とともに暮らす人々が、自然の世話を分かち合う。仕事の目的として、至極真っ当に思えたし、その一端を担えるのはうれしかった。

それに「若者」「男」というだけで出番がまわってくるのもありがたい。
一生懸命、力仕事をするだけで、地域に居場所ができる感じがするからだ。

都会にいた時、多くの人は自分の居場所がなくて困っていた。
家族の中に、職場の中に、人間関係の中にいながら、人々は孤立していた。
僕たち夫婦もご近所づきあいはなく、孤島にいるように二人きりで過ごしていた。

それがどうだ。ここでは町内清掃に参加するだけで、近所の皆さんに紹介してもらえる。「はわく」ことで、ここにいてもいい感じがする。

ここでは仕事は「集い」であり「社交の場」であり「役目」であり「居場所」であり「自然とともに生きること」であり「暮らしを支えるもの」なのだ。

昔、父と仕事観について言い合いになったことがある。
父は「人の役に立つことが仕事だ」と思っていて、僕(たぶん20代だったと思う)は「自分が楽しむことが仕事だ」と思っていた。

いまになってみると、父の言っていた「仕事」というのは、この町内清掃のようなものだったんだと思う。仕事を通して人と知り合い、仕事を通して存在を認められ、仕事を通して役目を果たす。そうして町の一部になるという意味の。

20代の僕は、そんな仕事をしたことも見たこともなかったから、父の言うことが分からなかった。それどころか他人のために犠牲になっているようにさえ見えた。

でも、そういうことじゃないのだ。
長らく「仕事ってなんだろう」ということを考えてきたし、時には放棄もしたけれど、ここ南畑へ来てようやく、その意味や価値が分かってきたような気がする。

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