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椀ネス。

寿司屋に行くと決まってあら汁を頼んでしまう。みそ汁よりも貝汁よりもあら汁という言葉にどうにも惹かれてしまう自分がいる。

あら汁には魚のあらが入っている。頭から尻尾まで、だいたいまるまる一匹分のあらが入っていて、ちまちまと身と骨を選り分けながら食べていくことになる。

昨日、寿司屋に入った際にもあら汁を注文し、ちまちまと食べ進めていた。人はあら汁を食べはじめると無口になる。骨やウロコは非常に細かいところにも存在しているため、禅寺で修行する僧のように目と舌の感覚を研ぎ澄ませる必要がある。

昨日もそんな行に入っていたので、誕生日でごちそうしてもらえるにもかかわらず、寿司を食べるペースが落ちてしまった。黙々と箸を進めるその様子を見て、妻がこう言った。

「焼き魚を食べるのはきらいなのに、あら汁は好きなんだね」

時に人は、思いもよらぬところで核心をつく問いを放つ。
たしかに僕は焼き魚を食べるのが苦手だった。その理由は骨を選り分けるのがきらいだから。口の中に骨が入るのをいちいち取るのがいかにもめんどうくさい。しかし、それはあら汁で修行のように取り組んでいる作業とまさしく同じではないか。

なぜ焼き魚の時はいやで、あら汁ならできるのか。
とっさに思いついたのが「椀」の存在だった。

あら汁には椀がある。この真円に包まれているからこそ、中身がどれほど混沌としても耐えられる。しかし焼き魚においては食べれば食べるほどエントロピーが上がる。散らかるばかりのその現実に耐えられないのだ。

まごうことなき真円がすべての混沌を支え、包み込んでいること。僕はそれを「椀ネス」と呼んだ。この「椀ネス」があるからこそ、私は黙々と、賽の河原で石を積むがごとき、骨と身の選別作業に勤しむことができるのだ。

妻は笑って、小ジョッキのビールをもう一口飲んだ。それっきり「椀ネス」の話はしなかったが、案外真をついている気がしてここに書いた次第。

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