そんなことが言いたいわけじゃなかった。
四年前、僕は結婚して、家族ではなかった人といっしょに暮らすことになった。それは、ひとりの人の話を長期間にわたって聞き続ける、はじめての経験となった。
それまで、僕はお付き合いした人と口論やけんかをした記憶がない。
いま思えば、どうしていたんだろうと思うが、言いくるめていたのか、相性がよかったのか、とにかくいつも関係は良好だった。
奥さんとは違った。
ときどき激しいけんかになるし、いまでもよく揉める。
でも、それで分かったことが二つある。
① 言い過ぎないと、本当に言いたいことにたどり着けない。
僕たちのけんかは、ささいなことからはじまる。
それからヒートアップして、鎮まって、その後、最初のきっかけは、どうでもよくなっていたりする。
それは「本当に言いたかったこと」の火種に過ぎないからだ。
僕らは多少言い過ぎないと、言いたいことにたどり着けないらしい。
人様には聞かせられないような表現で大いに炎上して、それから、ようやく言いたかったことにたどり着く。例えにすぎないが「愛してる」をいう前に「ぶっ殺す」と言わなきゃならない、みたいな。
で、それがわかると「言い過ぎたな」と思うので、互いに謝ったりする。
分かっているなら最初から「本当に言いたかったこと」にいけばいいのに、とも思うが、どうしてもそうはならない。正しい位置を知るために、正しくない位置に振ってみることが必要なのかもしれない。
思ってもないことを口にして吐き出さないと、本当に思っていることが言えない。これは僕らだけなんだろうか。人間はそうできているんじゃないかとすら思っている。
② 聞いてもらわないと、本当に言いたいことにたどり着けない。
ささいなきっかけから、けんかして収まって「本当に言いたかったこと」を知る。
炎上して言い過ぎてはじめて「本当に言いたかったこと」を知る。
どちらも「相手」がいないとできないことだ。
相手がきちんと聞いて、抵抗したり反論したりして関わってくれないと「思ってもないこと」は剥がれ落ちない。
その意味で、一生懸命向き合ってくれる相手がいることは幸運なことだ。
たとえそれがけんかでも、対決することで気づくことが山ほどあるから。
僕たち夫婦は「本当に思っていること」を一発で言えない。
思いあぐねて、見失って、相手にぶつけて、いろいろやってみてはじめて「これが大事なことだ」と悟る。
だから、ふだん「会話が成立している」と思っている状況は「そんなことが言いたいわけじゃなかった」ことがなぜか合意され、固められているのといっしょかもしれない、とすら思う。
ひとりの人を長く聞いていると、そんなことに気づかされる。
聞いて聞いて、あるとき、ある発言を聞いてはじめて「この人はこういう人だったのか」と知り、
そして、またすぐ分からなくなる。
でも、だからこそ、他者と暮らすのは面白いのだと思う。
他者は僕にとって永遠の謎であり、ずっと読み続けられる推理小説なのかもしれない。
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